第25話 星秘術

『彼らは嘯いた』

『目に焼き付けろ、魔術師の零落を――』

『あんな奴らが、魔術の根源に辿り着ける筈がない』




 ノーヴァンが場に現れた瞬間、オボロとニアリは先程までの態度をがらりと変える。

 彼を嫌うオボロは緋色の瞳を烈火の如く燃え上がらせ、不愉快なる彼を威嚇する様に尻尾が激しく揺らす。

 ニアリの方も彼の事を好いていないようで、無表情な顔の中に激しき不快感を漂わせると共にフルベとベルモンドを守るように陣取る。

 物騒で最強な二人からの明確な敵意を向けられながらも、ノーヴァンはどこ吹く風。皺一つ無い漆黒の背広スーツを着こなした糸目の彼は、初めて私とオボロが出会った時と同じく不気味な笑顔を浮かべている。本当に嫌な笑顔だ、ここまで笑みに嫌悪感を抱かせるのはある種の才能である。

 私自身もノーヴァンの役職クラスをまだ知っていないので、彼を信頼に値する人間とは見ていない。しかし一方では彼から感じる雰囲気から、劇毒でありながら確実にこの世界を知りえている人物と確信している。

 オボロにしろ、ニアリにしろ、私の様な異世界初心者でもヒリヒリと底知れぬ強さが伝わる二人を前に、取り分け彼女達に敵意を向けられているにも関わらずノーヴァンは涼しい顔しているのだ。

 彼は愚人では無い。ノーヴァンから感じる余裕はオボロとニアリの存在を全く脅威と思っていない、そんな自信から来る余裕だ。

 一触即発に近い空気が場を支配しようとするが、その緊張をいち早く察して動いたのがモルゲンラッグだ。 


「どうしたノーヴァン、執務室で待っていたのではないのか」モルゲンラッグはいつもの調子で尋ねる。

「皆様が帰ってきたのは気付いていましたが……中々、わたくしの所に来ないので見に来たのですよ」ノーヴァンは両手を肩程まで上げて、大げさに寂し気な芝居を見せる。

「大人しく部屋で待っていれば良いのですよ」

 ニアリの口調はとても冷たい。元より感情を露わにする事が少ない彼女だが、ノーヴァン相手にはあからさまに自分の声色から感情を抜き去っている。

「そうは言われましても、オボロさんは私と早く会いたかったのではありませんか?」ノーヴァンがオボロを見つめる。

「そうだな。ノーヴァン、我は仕事を済ませた、約束を守ってもらおうか」

「ええ、当然です……貴方を封印していた術の事ですよね」


 ノーヴァンはもったいぶった口調だが、オボロが急かそうとする前に術の名を告げる。


「『』をご存知でしょうか?」


 その言葉に私は当然、オボロやフルベ、ベルモンドも首を傾げる。

 聞いたことの無い言葉だ。近しい言葉で数秘術は聞いたことがあるが、私は超自然学スピリチュアルの分野には疎い。もっとも占いを信じない訳では無く、意外にも私はその日の出来事から一日が良日か悪日か判断する性質たちだ。

 朝の目覚めが良いから今日は良い日になりそうだとか、石に躓いたので今日一日は足元に注意すべきだ等で一日を無事に終わらせる糧にする。どちらかと言えば隠秘学オカルトに近いのかもしれないが、専門分野では無いので明言は避けておこう。

 ただ占いを信じると言っても、私の学生時代に流行った手相や誕生日占いへの信憑性には懐疑的であった。手の皺がその人物の将来の見取り図であろうと、誕生日から算出される数字の羅列がその人物の未来を計算しようとも――未来は既に決まっている。

『ラプラスの悪魔』だったか、こちらも私の専門では無いので見解が少し違うかもしれないが、未来とは既に完成された複数の路線であり、我ら人間が取る選択によって過程こそ違えど行き着く先は同じと私は考えている。結末が同じなら、せめて過程だけは幸せになりたい。

 未来は決まっているんだから、努力したって無駄だと学生時代の私はそんなことも思ったが、そうであっても人間とは現状を少しでも変えるべく努力してしまうのだ。

 未来は決まっている、自分が幾ら努力をしても結末は変わらない。

 だからと言って、努力を放棄するのは思考の放棄だ。

 何より動かないのは

 故に私は学生時代に悩んだ未来決定論に独自の解釈を混ぜて、生きることにした。

 まあ結局、私は努力もせず、何も為せず、何も生まず、何も残せず、死んだのだがな。

 

「星秘術とは何だ」


 私がいつもの癖で無駄な熟考の内に思索の海に沈みかけた時、オボロの声でハッと我に返る。危ない危ない、こんな事を考えている場合では無い。今はノーヴァンの告げた『星秘術』について詳しく聞かねばならない。

 くだらぬ考え事を脳から追い出す様に私は頭を振って、ノーヴァンの言葉を待つ。

 しかし待ち望んだノーヴァンの言葉は何とも私とオボロを嘲た言葉。


「ここから先は教えません。私の次の仕事を頼まれたらお伝えしますよ」

「――貴様、何を呆けた事を言っているッ」


 オボロの裂帛が響く。瞳に宿るは憤怒の色、威嚇する獅子の如く牙を剥きだし、尻尾はより激しく揺れる。今にもノーヴァンに飛び掛かりそうだが、彼女の中にある理性が何とかその裸足を跳躍を留めさせている。

 正直に言って私は驚いた。ノーヴァンの言葉もだが、それ以上にオボロの怒りにだ。

 子供の様に激しい気性の彼女だが、ここまで怒りをむき出しにするは初めて見た。

 今のオボロは爆発寸前の火薬だ。下手に触れば、例え宥めの言葉であっても爆発しかねない。私は当然、モルゲンラッグやニアリ達も彼女の怒りに手を出すのを避けている。

 だが、ノーヴァンだけは違う。彼は未だに笑みを浮かべ、手を後ろに組んだままオボロと相対している。その自信の在処は、彼が有する役職から来ているのか。


「私はお話をするとは言いましたが、星秘術について詳しく説明するとは言っておりません。あまり早合点をしないで欲しいですね」


 そりゃあ、あまりにも屁理屈だろうが。

 私はそう言いたくなるが、声の出せぬ私に発言権など当然に無い。


「戯言を申すな」

「我が儘を言わないでください」

「疾く、星秘術について教えろ。今なら我はまだ己を抑えられる」

「よく、聞いてくださいね。私の依頼を引き受けて頂ければ、ご説明します」


 お互いに一歩も譲らない。話は解決の糸口を掴めず、平行線を辿り、オボロが実力行使に出ようとした時だ、不意にニアリが口を開く。


「星秘術ですか成程、それならわたしでもある程度の説明ができます」

「――本当か?」オボロがくるりと振り返る。


 思わぬ助け舟だ。魔術に詳しいニアリですらオボロの封印の事は分かっていなかったが、星秘術自体は知識として持っているようだ。

 先程の怒りを少し抑えるオボロだが、一方でノーヴァンは不敵に笑ったまま。あの笑みの理由からして、彼はニアリが星秘術の詳しい部分までは分からないと踏んでいるに違いない。

 何よりニアリが星秘術の事を熟達しているなら、星秘術の説明云々を交換条件には出さない。

 オボロの期待する視線とノーヴァンの不敵な視線に見つめられながら、ニアリは星秘術の事について語り始める。


 ニアリの説明によれば、星秘術とは魔術とは異なる体系の術で、魔術が大気中に浮かぶ不可視の動力である『魔力』を用いて行使するが、星秘術は空に浮かぶ太陽や月に星、更には一部の気候から放たれる未知の動力(この部分はニアリにも不明だ)で行使する。

 ただ、その詳しい術に関する事は現状解っていない。何故ならば、星秘術に関する書物や文献更には使える者は全て大昔に失われている。理由は定かでないが、一説には星秘術を危険視した魔術師によって抹消されたとも、天体との交信であらぬ存在の降臨を危惧した魔族に滅ぼされたとも。

 理由はどうであれ今日星秘術は歴史の表舞台から姿を消し、今や伝説や寓話に語られる幻想の存在となった、らしい。

 ニアリはそこで説明を終えると、最後にオボロに告げる。


「貴方程の存在を封印できたのは星秘術の中でも秘匿を隠すに際に使われた『月隠』と言う術だと思われます。魔術では絶対に壊せず、更には貴方と言う存在自体を何者かが誰にも発見されないように森の中に隠蔽したのでしょう。

「恐らくはピョンちゃんに掛けられている術も星秘術の可能性が高いと思われます。もっとも、わたしにも星秘術は大昔の存在故に知識はありません。ですが『月隠』で隠匿された貴方を見つけ出し、封印を解いたのなら星秘術以外には成しえません。

「貴方の記憶が失われているのも星秘術が関係していると思いますが、わたしが説明できるのは以上です。少しでもお力になれたら幸いです」

「むしろ、ありがとうだ。後は簡単な話だ、我に星秘術を掛けた者を見つければ良い。ノーヴァン、命拾いをしたな」


 オボロはニヤリと笑うが、ノーヴァンは表情を変えずに告げる。


「そうですか、所でどうやって星秘術の術者を見つけるのでしょうか。できればご教授いただければ幸いです」

 嫌な物言いだ。ノーヴァンはそれが藁の山から針を探すよりも難しいと分かっている。

「時間を掛ければ良い」

「気の長い話ですね。誰を頼るのでしょうか? 如何に魔王軍でも、貴方の記憶探しを無償で手伝う程に暇な方はいませんよ」

「……貴様らでなくとも、他の連中を頼れば……」

「他の方ですか? 王国も帝国もその他の国家も貴方を手伝いませんよ。何故ならば、貴方はあの森でハインツと戦いそして彼を撃退した、この時点で帝国は貴方を魔王軍の仲間としたでしょう」


 ノーヴァンの言いたいことが分かった。

 帝国と敵対する魔王軍の一員とオボロが誤認されているなら、他の国家もオボロに協力はしない。帝国は王国と並ぶこの世界の二大国家。帝国の機嫌を損ねる厄介者を進んで手伝う物好きは、ノーヴァンが言うには少なくとも人間側には居ない筈なのだろう。

  

「大変だと思いますよ。帝国から逃げ、縄張り意識の強い魔族からも逃げ、星秘術を探るのは至難の業。何より貴方は確かに強いですが、戦いの最中で大事なぬいぐるみに傷がつくかもしれませんね」


 ああ、こいつ、かなりのやり手だな。ノーヴァンに出会ってしまった時点で既に彼の策に嵌まっていた事に私は臍を噛む。大抵の相手ならばオボロは苦戦は強いられないだろうが、一方で何も出来ない私を守りながら戦うのは難しいかもしれない。

 絶対に出来ると言う確証が無い以上、ソレを犯してしまう可能性が微塵とは言えあるのだ。

 これは、もう、この時点では素直にノーヴァンに従う方が賢明かもしれない。少なくとも私は結論付けていたが、オボロは眉に皺を寄せながら精一杯の反抗をノーヴァンに向けている。

 にっちもさっちも行かないこの場を再びとりなそうとしたのはニアリだ。


「オボロ、わたしからもお願いします。貴方の力量はハインツとの戦闘で良く解っています、故に今の魔王軍を立て直すためにも是非ともご協力をお願いしたい。無論、貴方やピョンちゃんに関する事にも必ず協力致します」


 ニアリは頭を下げてお願いするが、それこそがノーヴァンの策略の一つと気付いているのだろうか。彼女は魔王軍の中では重役であり、彼女を無事に生還させることが魔王軍の崩壊を繋ぎとめる理由になると言うのは、つまりは今後の魔王軍はニアリが主導していくと思われる。

 ニアリを助け出し、ハインツの襲撃を予測し、そしてオボロを魔王軍と密接な関係にさせ、ノーヴァンはオボロを飼い慣らすつもりだ。

 見事な策だ。

 私達はノーヴァンの掌の上で踊る人形なのだ。

 決めるのはオボロだ。

 さて、彼女はどうでるか。

 見守る事しか出来ぬ私を持ち上げて、オボロが尋ねる。


「……我はどうすればよいのか分からぬ。ピョンちゃん、貴様が決めてくれ」

 

 えぇ、ここで私に委ねるのか。思わぬオボロの言葉に困ったのは当然。確かに私にも星秘術が掛けられているのは疑問だが、今の私は特に不満も無い。

 むしろ、オボロが記憶を取り戻すのが先決で、それを私に委ねさせるのは如何なものか。第一に物言えぬ私が、どうやって自分の意志を伝えればよいのだ。

 困り果てる私をオボロは何も言わず、ただ一心に見つめてくる。美しく整った相貌に緋色を宿す双眸が、私の釦の目を捉えて離さない。

 彼女の瞳は、自分を肯定しろとも信じろとも述べていない。私に全てを委ね、その判断の良し悪しに関係無く、私の選択を呑みこむ、オボロはその所存だ。


 悪いな、オボロ。

 私は君のように強くもなければ、自立心も無い。

 何より社会の一部として生きてきた私には、自ずと大小に関わらず組織の一員になる方が賢いと脳に刻み込まれている。

 私はゆっくりと腕を、ノーヴァンの方へ向ける。魔王軍に身を置き、彼等からの仕事を受諾し、オボロの記憶を取り戻す方を選ぶ。

 私の選択にオボロもノーヴァンも大袈裟な反応は見せなかった。オボロは落胆も激怒もせず、目を瞑りゆっくりと頷いて私の意見に同意する。


「良い選択です。貴方のぬいぐるみは非常に賢い、その判断は間違いではありません」


 満足気に微笑むノーヴァン。

 その反応が私は何故か気に食わなかった。

 自分さえ良ければどうでもいい。心配こそすれど、結局他人の事はどうだっていい。

 矛盾的で、冷たい人間として生きてきた私なのに、何故こうも不満なのだろうか。


 ノーヴァンの策略通りに行くからか?

 それとも、私はいつの間にかオボロを大事に思ってしまっているからなのか?

 大事とは何だ?

 彼女の事が自分と同じくらい、大事なのか?

 私は暫く考えたが――自分が納得できる答えは終ぞ出なかった。

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