第24話 一寸一服 

『仕事終わりの一服に勝る喜び無し』




 ハインツ・ブリッツの襲撃を何とか退けた私達が砦に到着した頃には、時は既に夕刻を迎える。空高く昇っていた筈の太陽はいつの間にか地平線へと沈みかけ、大空と大地は茜色の炎に呑み込まれた様に焼けた橙色に染める。

 夕焼けの美しさは視る人の胸を強く突くもので、私も仕事中に運転席から見る夕焼けに感動していたものだ。夕方と言うのは人の移動が多くなる時間であり、忙しさに目を回して拷問の如き渋滞に呆然とした中で見る夕焼けの何と美しき事か。

 もっとも、今の私達には楽しむ余裕もない。

 撤退したとは言えブリッツが何時襲ってくるかも分からず、はたまた帝国兵と接敵して無駄な戦闘も御免だ。それでいて、森の中には凶暴化した魔物も跋扈しているのだから、落ち着いている暇など無い。

 ブリッツの時に犯した失敗の轍を踏まない為にも、オボロは己に備わった異常な程の直感を研ぎ澄まし、ニアリは高性能の探知魔術並びに自動で敵を攻撃する魔術を用いて周囲の警戒にあたる。

 ハインツ・ブリッツの役職である『急襲者レイダー』は完全なる潜伏性能を持つが、先の様に襲撃時には潜伏が強制的に解除される。その僅かな隙を見逃さず、彼の出端を挫いてやるつもりだ。

 当然、私こと蔵人に加えフルベとベルモンドの三名は戦力外。索敵に関するスキルも魔術も無いので(ベルモンドは気配遮断に関するスキルは持っているらしい)、二人の邪魔をしないよう大人しくしておく。

 真剣に集中するオボロとニアリが醸し出す緊張感の張り詰めた空気は中々に息苦しく、砦が見えた時には思わず私とフルベにベルモンドは(ホッと)安堵の息を吐いた程だ。

 砦の入り口では、モルゲンラッグと彼に仕えるヴァルガが自分達の帰りを待っていた。彼は私達に気付くと、ゆったりとした動作で手を振る。好々爺な性分である彼の姿を見ると私に自然と癒される。

 

「おかえり、皆無事で何よりだ……少々疲れているなニアリ、君の顔色がそこまで悪いとは何かあったのか」モルゲンラッグは手を後ろに組みながら一歩近づく。

「ええ、ハインツ・ブリッツの襲撃を受けまして」

 ニアリの口からブリッツの名が出た瞬間、モルゲンラッグの纏う雰囲気が変化した。好々爺たる様子から、この世界で四十年も生き抜いた老練さが姿を見せる。

が居るのか……おかしいな、帝国から派遣された兵は四十名と聞いていた筈だが」

「はい。王国に潜む我らの仲間が人数の間違いなど初歩的な失敗を犯す筈もありません。恐らくは内密に王国へ渡ったのでしょう……帝国は既に王国に我らの同胞が潜んでいる事に気付いています」ニアリは確信の瞳で訴える。

「……帝国がその旨を王国に告げれば危険だな。何名かはこっちに戻すべきか……」

「――おい、細かい話は後にしろ。我は即刻にノーヴァンに会って、我を封じていた術の詳細を聞かねばならぬのだ」


 モルゲンラッグとニアリの話を強引に遮るオボロ。彼女は既におかんむりだ。己を不快にさせるノーヴァンに出会うのだ、あの最悪な邂逅を彼女は忘れてはいない。

 

「ああ、そうだったな。ノーヴァンは砦の二階にある執務室に居る、案内の緑鬼族オークを中で待たせている。先に行っていてくれ」

 そう言ってモルゲンラッグが扉を開けようとしたが、オボロが止める。

「……貴様らは来ないのか?」

「ノーヴァンと君、それとピョンちゃんに関する事だからな。それに私は少しニアリと話がある」

「ハインツの事か?」オボロは首を傾げる。

「それもそうだが、ニアリにも君やピョンちゃんに対する所感を聞きたいのでね」モルゲンラッグが言うと、ニアリも何か言いたげに頷いた。

「むう……それなら我も聞きたい。何か分かるかもしれぬ」


 オボロは少し考え込んでから言う。無論ノーヴァンに勝る情報が出ると私は思わないので、さっさと彼に会いに行く方が賢明だとは思う。


「それに我が居た方が話も進み易いのではないか?」

「そうかもしれないが……困ったな、ここから先は大人の時間なんだがね」


 モルゲンラッグはそう言うと、服の裏側から何かを取り出してオボロに見せる。

 二本の指で挟んだソレは煙草。

 さては煙草が吸う為にオボロを追っ払おうとしたな、と私は思ったが彼の口ぶりからするに煙草片手に話そうとした魂胆だろう。と言うか、もしかしてニアリも煙草を吸う口なのか。


「我を子供扱いするな。そんな臭いだけの煙如きで、我の身体など毒されもせん」

 オボロは腕を腰に当て、鼻で笑いながら言う。子供特有の我が儘にも見えるが、あの森で毒が効かないことを明言した辺り、本当に煙草の有害な煙等に毒されないのだろう。

「そうか……では、お言葉に甘えて吸わせてもらうぞ」


 モルゲンラッグは黒死病覆面ペストマスクの下を少しずらすと煙草を咥える。それに倣い、フルベとベルモンド(彼の翁面はよく見ると口の辺りに穴がある)も嬉しそうに煙草を咥えている。

 何と言うか喫煙率の高い職場だ。元の世界で働いていた会社も、喫煙者が多いので私には親近感が湧く。なおヴァルガは煙草は咥えず、しかしモルゲンラッグの後ろに控えている。

 そしてニアリはと言うと、彼女が指を鳴らすと(ポンと)軽快な音と共に小型の鉄桶バケツが宙に浮いて出る。吸殻を棄てる容器だ、この世界の喫煙者は作法をよく守っている。

 次いでニアリは(パチンと)指を鳴らして魔術による火でモルゲンラッグ達が咥えていた煙草に火を点けつつ、自分は宙から既に紫煙を上げる煙草を取り出し燻らし始める。


 本当に魔術は便利だ。

 喫煙者にとって火が無いのは死活問題。私も点火器ライターの燃料切れや充電切れには悩んでいた。

 喫煙者四人は揃って息を吸い、美味そうに紫煙を吐き出す。

 その光景に私は自ずと羨ましくなる。

 依然としてこの兎のぬいぐるみの身体は煙草を欲して無いが、眼前で吸われると流石にうずうずしてくる。それに魔術の火で味わう煙草にも興味がある。

 非喫煙者には分からなくて当然だが、煙草に火を点ける道具によって匂いに変化がある。

 一般的な気体の点火器や電熱線の物には、これと言って変化は無い。だが液体式の点火器なら油の匂い、燐寸マッチならあの特有の匂いが付加される。

 私もそれなりに様々な点火器を使ってきたので、魔術で吸う煙草の匂いも当然気になる。もっとも、嗅覚の無いこの身体では決して味わえないのが残念だ。


「さて率直に尋ねるがニアリ、君はオボロを魔族と見るか」

「現状ではそう考えざるを得ません。しかし種族に関しては掴めませんが、少なくとも魔人族ダビル以外は候補から外して良いでしょう」

「ならば、魔人族では無いのかね?」ベルモンドが聞いた。

「断定はできません。如何せん魔人族は多様なだけに、種族の特徴を掴むのが難しいのです。何よりブリッツの大盾を一瞬で焦がしたあの炎を出力する体内の魔力量は、わたしが今まで見てきた全ての魔人族を凌駕しています」

「ん、待て、炎を吐いたのか?」モルゲンラッグが尋ねる。彼はその光景を見ていないので、当然疑問に思ったのだろう。

「そうっスよ! こう、何と言うか、火山の噴火みたいでやばかったスッ!」


 フルベは興奮した口調と、両手で大きく半円を描いて火山の噴火を表している。何と言うか、彼は本当に身振り手振りが大げさだ。

 まあ、彼も私も世界有数の火山大国の出身なので活火山は身近な存在だ。都会に住む私はあまりな馴染みが無いが、フルベはもしかすると火山の噴火を直に目にした事があるのだろう


「オボロ、君はその炎を吐く行為を何故思い出したのだ? 私達を巨熊から救った際には見せなかったではないか」

「我も忘れていたのだ。言ったであろう、我は己の事に関するのみ記憶が曖昧だ。炎に関してもニアリが口にしなければ、思い出せていなかった」

「まだ秘めたる事がありそうだな。ちなみにニアリよ、私はオボロの身体を仮のモノだと視ている」


 おっと、それは初耳だな。

 オボロの身体が仮、何を言っているんだと馬鹿にしそうになるが、ここは異世界。

 それに魔物が人の姿を真似る等、古今東西よくある話だ。オボロも少し気になったのか、僅かに身を乗り出している。

 いや、お前さ、と私は少し呆れる。

 その身体が仮のモノ、だと言われて見せる反応じゃないだろう。


「どのような理由でしょうか」

「彼女の裸体には乳房があるが乳頭が無い。加えて、間近で確認はしていないが排泄器官と生殖器官も見当たらなかった」

「――え、モル爺視たんスか」フルベは思わず煙草を落としそうになる。

 

 ふむ、モルゲンラッグの言葉は非常に興味深い。

 裸体のオボロを私は見ているが、そこまでは確認していない。乳頭は無い事ばかりに目がいっていたのと、色気が無いとは言え直視するのは憚れたからだ。普通、私のような身長の低いぬいぐるみなら気付きそうなものだが、気付けなかった。

 と言うか排泄器官が無いなら、食べた後に出す物はどうしているのか。 


「そんなに気になるか? ならば見せようか」


 オボロはそう言うと片手で私を持ちつつ、もう片方の手で華装ドレスの裾を恥ずかしげも無く持ち上げた。私からは見えないが、モルゲンラッグ達にはオボロの綺麗な下半身がくっきりと見ている。

 無反応で顔を向けるモルゲンラッグとニアリに対し、フルベとベルモンドは一瞬目を向けると恥ずかしそうに後ろを向いた。この二人、意外と女性の身体に対する耐性が無いのだろうか。

 ベルモンドはともかく、フルベは女慣れしてそうに見ていたが実は彼も生身の女性を直に見るのが初めてだったりするのか。 

 

「確かにありませんね。成程、実に興味深い」ニアリはそう言うと、オボロに服を下げるように手で合図する。

「モルゲンラッグの仮説も頷けます。乳頭があって乳房が無いのも、人間或いは魔人族を服の上から見よう見まねで模したと言えば頷けます」

「故に臍があるのが解せぬがな」モルゲンラッグが唸りながら言う。

 確かにそうだ。仮の姿なのに、臍があるのは不可解だ。

「単に臍を出した服装の女の姿を模したのではないでしょうか」

「……それは盲点だった」


 ううむ、確かにそうだが。

 それで済まして良いのか疑問が残る。


「つまりはオボロの真の姿こそが彼女の正体を突き止める鍵です。もっとも本人はそれを知りたいのでしょうがね」

「結局は分からずか、まあ構わぬ。ならば、ピョンちゃんはどうだ」


 オボロは私の事を持ち上げる。

 どうだろうな、正直言って分かることは少ないだろう。

 現状この中で魔術に明るそうなのはニアリだけだと思うからだ。

 私の読みは正解で、ニアリはあの森で私から感じた事を告げただけに留める。モルゲンラッグもやはり魔術には明るくなく、オボロ以上に私の事は不明のままだ。

 

「所で先程ハインツの大盾と言っていたが、彼がそんな物を持っているとは初耳だ。何より、彼がこの森に来ていること自体聞いていない」


 どうやら、私とオボロの件は一旦終わりのようだ。オボロは不満な様子だが、ブリッツの事が気になるのかこの場を離れようとはしない。 

 ニアリは魔術鉄の事を、モルゲンラッグはこの森に来ている帝国からの増援数にブリッツが入っていない事をお互いに伝える。

 この件に関しては帝国への情報収集及び王国に潜伏させている魔王軍を数名撤退させるかの議論がなされた。どうやら魔王軍は王国に転生者を潜伏させており、王国を経由してくる帝国の情報を盗んでいる。

 ならば帝国にも密偵を派遣すれば良いと私は思ったが、どうにも帝国の防衛意識は非常に高く、過去に魔族を派遣した際にたちどころに露見されたそうだ。

 魔王軍の今後の話をしている間に彼らの煙草休憩は終わりを見せる。ニアリの出した鉄桶に煙草を入れ、砦に戻ろうとした時だった。


「おや、こんな所に居たのですね」


 は唐突にこの場に現れた。

 嫌な空気を纏わせ、オボロとニアリが同時に鋭い視線を向ける相手――

 ノーヴァンだ。

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