第23話 ダンディライオン 後篇
『最高の戦闘方法は相手に何もさせない事です』
切断されたオボロの左腕が舞う。断面から流れる鮮血はまるで赤い絵の具のようで、宙に赤い線を描き落下する。突然の襲撃はあのオボロですら直前まで気付かせずに、彼女に致命傷を与えた。
ニアリが咄嗟に手を引っ込めたお陰で私は難を逃れたが、オボロが心配だ。襲撃者への恐怖に怯えてニアリの胸元に引っ付きつつ、肘の切断面から血を滴らせるオボロを案ずる。この世界の医療技術の程は知らないが、仮に魔術による治療が存在したとしても四肢を再び生やす事は難しい筈だ。
取り分け――非常に緻密な動作を可能にする人の手足は再生は出来ない筈だ。
しかし、オボロは腕を失った事に悲しみも呆然も無い。一抹の関心すら無く、ただオボロは襲撃者を前に――その幼い顔に喜悦を浮かばせていた。
待ちに待った強敵を前に舌なめずりするように口は半開き、緋色の瞳で襲撃者を歓迎するかのように見つめている。彼女の異様な態度はニアリ達は勿論、襲撃者すらも困惑させる。
「……オボロ」
ニアリは私を大事に抱えつつ、名を告げる。感情の無い声色だが、確かに己の失態を恥じる気持ちがあった。
「気にするな、それで奴は何者だ?」
僅かに身を屈めて戦闘態勢に入るオボロ。
ん、いや、待て。
先端?
いや、おかしい。
確かオボロの尻尾は中程から切り落とされた筈――だ。
しかし、オボロの尻尾は元通りになっている。七色に輝くつるりとした鱗で隙間なく覆われた尻尾は、切断など無かったように傷一つ無い。
もしかして再生をしたのか。
蜥蜴でも尻尾の再生には時間を要すのに、彼女は数秒だ。
まさか、左腕も再生できるのか。それならオボロが己の四肢の欠損に何ら悲しまないのも説明がつく。
そして、そのまさかは起きた。
肘の部分から流れていた血が止まると、切断面の辺りから柔らかな炎が舞い始める。
最初に骨が形成され、肉が纏わりつき、最後に彼女の白い肌が生成される。動物の死体が徐々に分解されていく映像を逆再生するように、肘の先からオボロの腕が再生していき――
手首の辺りが再生成され、手の平にくっきりと線の走った手が、オボロの細く折れそうな五本の指までも完全に再生した。時間にして一分も経っていない。
おいおい、まじかよ、そんなのありかよ。
私は自分の目を疑った。確かにオボロは普通の生物では無い雰囲気を出していたが、まさか易々と切断された腕まで再生してしまうとは。
オボロが凄いのか、それとも魔術が万能すぎるのだろうか。
そう言えば、切断されたオボロの左腕はどうなったのか。私が視線を向けた時には、こちらも驚く事に左腕は真っ赤な炎を纏い――肉片も骨も残さずに灰となって消えてしまった。
「莫大な魔力を貴方の身体から感じました。体内の魔力を急速回動させた強引な再生、理論上は可能と言え、簡単に成してしまうとは驚きです」
ニアリの説明を聞くに魔術を使えば四肢の欠損なら再生は可能、ただし理論上だ。その文言から推測するに、少なくともニアリが知る限りでは四肢を再生させた魔術師はまだ存在してないとなる。
前人未到の行為をオボロは簡単にやってのけた。魔術を熟知しているニアリは当然、魔術の事等殆ど解らない私も驚かざるを得ない。オボロ自身は、そんなに驚く事かと首を傾げているのが、より彼女の底知れぬ力量を露わにさせる。
「それよりもニアリ、奴は何者なのだ?」オボロの関心は襲撃者のみに向けられている。
襲撃者は私達から少し距離を取り、こちらの様子をしきりに窺っている。軽量の鈍色に輝く鎧の上から濃い緑色の軍服を纏い、更にその上に黒みの強い緑の
中世の騎士と近代の軍人を混ぜたような独特な衣装。そして一際目を惹くのは、襲撃者の素性を隠す獅子の頭部を精巧に模した兜。口を開け威嚇する獅子の目には緑色に光る宝石が嵌め込まれている。
左手には黒い手斧――形状からして
「帝国国防軍に存在する
ハインツ・ブリッツか、物騒な外見に似合わず随分とご機嫌な名前だ。声に出して読みたい程に語感が良い。ホップステップみたな、非常に小気味いい名前だ。
暢気な事を思いつつも、彼が役職持ちだと聞いた私は唯一のスキルを使って役職を盗み見る。使い方にも大分慣れてきたので、サッと集中すればすぐにブリッツの隣に文字が浮かんでくる。
『
ふむ、まあ慣れた所で英語の知識が乏しい私には使いこなせないスキルだ。
何だレイダーって?
「役職持ちか、それは面白い」オボロは今すぐにでも飛び掛かりそうだ。
「はい、あの男の役職は急襲者。茂みに身を潜め、一撃の機会を狙い待つ――わたしや貴方が気付けなかったのも、あの男の役職の為です」
どうやら既にブリッツの事はニアリ達も把握していた。英語が分からずモヤモヤした感情を持つことにならず、私は安堵する。
しかし急襲者か、正しく襲撃者である。軽量とは言え重そうな鎧を付けて音を一切出さないなど土台無理な話だ。それが役職故の効果であるなら頷ける。色々な役職があるのは面倒だと思ったが、役職ごとに独自の色を持つのは面白い。
何より急襲者つまりは奇襲に特化した役職なら、普通の戦闘能力はそこまで高く無いかもしれない。先の様な凄まじい速度を一向に見せないブリッツの様子からして、私の推測は凡そ当たっている筈だ。
更にこっちは二人の役職持ちとオボロにニアリと言うぶっ飛んだ戦闘能力の持ち主が居る。数の面でも質においても、こっちの利は堅いはずだ
「あの男は白兵戦も難なく熟します。貴方の強さは理解していますが、わたしも助力致します」
ニアリは
肉体の線を露わにする
「構わぬが……我でも流石にそこの二人の御守はできんぞ」
オボロが指摘したのはフルベとベルモンドだ。
いや、大丈夫ではないのか、と私は思う。二人とも役職持ちなのだから、普通の一般人よりは動ける筈だろう。それに彼らにもスキルがあるのなら、共に戦った方が良い気がする。
しかしニアリの考えは違った。彼女が青く細長い指で宙をなぞると、半透明の青い壁がフルベとベルモンドを囲う。もしかして、魔術による壁の類なのだろうか。
「貴方達はそこで待っていてください。わたしも彼相手には集中せねばなりませんので」
「了解。応援しているからな」ベルモンドは拳を上げて早速大げさな応援を始める。
「俺は準備しておくんで、何かあればすぐにでもスキルを使うっすよ!」フルベも応援を始める。
なんか、こう、何と言うか、もう少し噛みついたりしてこないのだろうか。
映画や小説なら、自分も戦う等と言いそうな場面なのだが、二人は完全に観客気分だ。フルベは一応何かやる気だが、果たしてその場面が来るだろうか。
それだけニアリやオボロに信頼を寄せている証左でもあるか。まあ、そもそも戦力外な私が文句を言うのも良くない。
「――我は好きにやる。ニアリ、貴様も自分の思うままにやれ」
オボロは告げると、力強く地面を蹴り飛ばし――その勢いでブリッツへ飛び掛かる。
当然ながら私を抱いた状態。再び襲い掛かる目が回りそうな景色、そして何より恐怖なのはオボロが私を抱いたまま戦闘を始めたこと。今更私を置いていけと文句は言わないが、両手が塞がった状態で戦うのは不利だ。
オボロは特に武器を持っている訳でも無い。ならば、武器になるのは己の肉体でそれは四肢と尻尾。如何にオボロと言えど、両手を使わずにブリッツを相手に出来るのか。
これが、意外にも可能なのだ。
素早く襲い掛かるオボロにブリッツは手斧で迎撃をする。鋭く横に薙いだ手斧をオボロは尻尾で簡単に弾き飛ばす。その衝撃は、体格も良く鎧を着ているブリッツを後退りさせた程。
オボロの攻撃は止まらない。
着地と同時に尻尾を大きく振り、ブリッツの足元を狙う。
軽やかに跳躍して回避する彼に、オボロは地面を再び蹴り上げ――浮かした身体を捻り尻尾を突き出す。先端の一撃は巨熊の頑丈な皮膚を貫く威力、ただの鎧では紙同然。
危機を察したブリッツ。しかし彼は避けようとせず、空いていた右手で何か操作する。
瞬間――彼の右手に鉄製の板が展開し、オボロの尻尾の一撃を防ぐ。
「――面白い」オボロは口に笑みを浮かべる
森に甲高く響いた衝撃音。ブリッツの身体半分程に広がった鉄製の板――否大盾はオボロの尻尾の一撃を受けても傷一つ無い。
彼はそのまま大盾を押してオボロを地面に叩き落とそうとするも、オボロは素早く大盾を尻尾で叩き大きく飛び退く。
「――ぬッ⁉」ブリッツが初めて声を漏らした。
オボロに代わって、今度は身を低く屈めた状態でニアリが吶喊してきたのだ。彼女の両手には何やら青白い炎のようなモノ(恐らくは魔術)を纏い、ブリッツの構える大盾を目にも止まらぬ連打を放つ。
硬い鉄の大盾にニアリの拳の雨。聞くだけで痛そうな音が響くが、ニアリは涼し気な顔でブリッツを防御一辺倒にさせる。ニアリの手足が長い為、彼の武器である手斧も間合いに入れていない。
流石に堪らずブリッツはニアリから距離を取ろうとするが――今度はオボロが再び突っ込んでくる。
戦意を喪失しかねない一方的な戦闘。
そして、それを会話をせずにお互いの動きを見て連携するオボロとニアリ。こんな化け物が大量に魔族に居ると思うと寒気がする。本当、私は自分が戦闘をする役職で無くて幸運だと思う。
しかし、ブリッツも中々にやる。嵐の様なオボロとニアリの連撃を大盾で防ぎ、彼自身は殆ど傷を負っていない。何より彼の動きを見るに下手に攻撃はせずに、じっくりと機会を待ち、ここぞという場面でのみ手斧を振っている。
決して急がず。
絶対に焦らず。
何より逸らず。
一度の好機に全力を懸けて一撃を狙う。
この戦い、一見すると有利に見えるのはオボロとニアリだが。
実の所、戦闘の行方はハインツ・ブリッツが操っている。
このまま彼のやり方に付き合っていれば、僅かな隙を突かれて圧倒されかねない。
「――厄介な盾です。あの展開の仕方といい、鉄に魔力を混ぜた魔力鉄で間違いない。しかし、帝国がこの技術を一体どうやって……」
どうやら、あの頑丈な盾はただの鉄製では無いようだ。
「破壊は難しいか?」オボロが尻尾でブリッツを牽制しつつ聞いた。
「強力な魔術でも難しいでしょう。圧倒的な魔力か、それとも超高温の炎が必要です」
「……炎……っ! ニアリ、我の前に決して出るなよ」
何か思い出したのか、オボロは声を荒げてニアリを引っ込めさせる。その間に一際強く尻尾を叩きつけて、ブリッツの態勢を大きく崩しつつ自らも後退する。
何をする気なのか――見上げた私の釦の目に、大きく息を吸い込むオボロの顔。
上体を逸らしながら息を吸い続ける彼女の口元から――真っ赤な炎がチラついた。
おいおい、まさか、まさか――炎を吐けるのかッ⁉
私の予想は的中した。
大きく息を吸い込んだオボロは――ブリッツに向かって火山の噴火程の勢いの炎を吐く。何もかもを呑み込みそうな炎の渦は地面に生えた草を焼き、空気を焦がし、灼熱の息吹が彼に襲い掛かる。
炎が風を焼く音がする。
数秒に亘り炎を吐き続けたオボロだが、限界が来たのか最後に大きく炎の塊を吐き出した。口の周りで燃える火を腕で擦り消し、僅かに開いた口から黒煙が昇る。
「……驚いたな」
ハインツ・ブリッツは初めて言葉を口にした。
少なくとも彼は無傷であった。鎧や軍服に多少の焦げが見る程度。
だが業火から己の身を守った大盾は真っ黒に変色し、一部は既に崩れかけていた。これでは、先程と同じ防御力は無いに等しい。
「良いモノを見せて貰った。さらばだ――〝
ブリッツの声と共に彼の周囲に非常に濃い煙が発生する。
一寸先すら見えなぬ煙が数分経って徐々に消えた時にはブリッツの姿は消えていた。彼を探そうと周囲を見渡すオボロにニアリが声をかける。
「彼の使った〝煙に巻け〟は逃走スキルです。既に彼はこの場から遠くへ逃げました。追跡は不可能です、それに今は砦に戻る方が先決です」
既にニアリは外套を纏い、遮光眼鏡を付けている。一先ず、彼を撤退させる事には成功したようだ。
「……物足りぬな」
オボロは大層不満気であった。
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