第21話 青き長耳族
『苛烈な彼女も今では随分と丸くなりました』
オボロはと言えば、怨敵が如く敵視していた長耳族の事が未だに気に障るのか不機嫌だったが、仕事を済ますべく素直に歩き始める。
ムスッとした顔もその内に戻るだろう。しかし私が気がかりなのは、ニアリも長耳族だということ。ニアリがどのような性格かは知らないが、先程の長耳族の様な態度であれば衝突は免れない。
もっとも私にはどうすることも出来ないので、一触即発の空気になったらフルベやニアリと一緒にいるベルモンドに治めてもらうしかない。事なかれ主義の私は波風を立てられるのは嫌いだが、かと言って人の間に立って場を治めるのも得意でない。
フルベとベルモンドに全てを託しつつ、私は行儀よくオボロの腕の中で揺られる。彼女の身体の揺れや歩き方から、僅かに機嫌を良くしてくれたのが伝わる。
森を進むこと数十分。周囲の風景は帝国兵の死体を見る前の姿に戻りつつあった。虫の音や鳥の囀りが聞こえ始めた――その時だ。
まるで青天の霹靂もかくや。
やや遠くで数発の乾いた発砲音が響く。森の平穏さを崩壊させる音、それに驚き数羽の鳥たちが一斉に飛び立つ音がした。
やがて男の怒号が響き――銃声、破砕音、蛮声、悲鳴が滅茶苦茶に入り乱れる。
身構えるオボロの腕の中、私は前方を見やる。
森の奥、木々が密生して薄暗くなったその先で――無数の青白い光が変則的な機動で舞った。
高速で飛ぶ蛍のようなソレは、何かを狙うかのように飛来すると着弾――稲妻の如き光を放出しつつ全ての音をかき消す程の爆音を響かせる。
何だアレは?
もしかして、アレが魔術――?
それとも、スキルの一つなのか?
非現実的な光景を前に私の脳は混乱する。
だが、一つ分かるのは。
魔術にしろスキルにしろ――この世界で火器はその最強の座を譲らざるを得ない。
「フルベ」オボロが呟く。
「うっす……ニアリ様が居るのはあの方向っす」
険しい顔のフルベは既に長銃を構えている。どうやらニアリとやらは戦闘中のようだ。
ならば急ぐしかない。もし仮に彼女に何かあれば――ノーヴァンに何を言われるか分かったものではない。
「――貴様らそこで止まれッ!」
私達が動こうとした時だ、戦闘が行われている茂みとは違う方向から男の怒号が響く。茂みを乱暴に掻き分けて現れたのは、先の帝国兵と同じ服装をした十四名の男達。短めの銃を構えて先頭に立つ男がこの部隊の隊長なのか、他の兵士と比べてやや威圧的で顔には髭を蓄えている。
男の背後にはこちらに銃を構える兵士達。軍帽の下から覗く瞳は荒んでおり、傷ついた顔や汚れた服装から非常に熾烈な戦いの跡が見て取れる。
これが――兵士か。
平和な国に生まれた私が終ぞ相対することのなかった存在。映画や小説の中でしかない存在を前に私は畏怖を感じていた。嗅覚を失った私ですらも、感じえない硝煙と土と血の臭いを感じてしまう程。
ごくりと、もし私が人間の身体であれば生唾を飲んでいた。オボロを傍に感じながら、銃を向けられる事への恐怖心はまるで身体中を虫が這い回る気分だ。
私の恐怖が伝わったのか、オボロは一際強く抱きしめてくれる。そんな彼女の相貌は涼し気で眼前の彼らを前に狩りの昂揚に酔っている。相変わらずの喧嘩っ早さだが、今はそんな彼女が何よりも心強い。
「まあまあ、帝国さん落ち着いて……何も俺らはあんた等を殺そうとか思ってないっすから」
長銃を構えつつフルベは言うが、当然説得力は皆無。
「貴様はフルベか、投降しろ。貴様が居れば、ニアリを簡単に捕縛できる。おっと、スキルを発動しない方が良い、貴様のソレが発動する前に我らの銃弾がその胸を貫くからな」
隊長格の男は聞く耳を持たない。
そして男はオボロに視線を向ける。初めの彼の視線には人の子を見るような優しがあったが、オボロの尻尾に気付くと僅かに眉を顰めた。
「魔族の子か? 無力な子供まで出さないといけないとはな、貴様らに躊躇は無いのか」
オボロの事をよく知らないなら、男の言葉も意味が分かる。
しかしオボロは子供扱いが癪に障ったのか、それとも無力が気にくわなかったのか。男を鋭く睨み返し、早くも挑発の言葉を投げた。
「フルベ引っ込んでいろ――数秒で片付ける」
「何だと――ッ⁉」
オボロが尻尾を上げたその時――。
森の奥から、十個程の青い白い光の塊が音も無く飛んでくる。それは見た目には鬼火のようだが、速度は段違い。高速道路を走行する車のように私の目の前を通り過ぎる。
隊長格の男は一足早くに気付き回避行動を取ったが、後ろの兵士達はオボロとフルベに集中していた為に回避が遅れる。悲鳴を上げながら半数ほどが光の塊に吹き飛ばされ、難を逃れた兵士も衝撃により尻もちをつく。
「――魔術ッ! まさか――」咳き込みながら男は叫ぶ。
「ええ、そのまさかですよ」
感情の無い低く冷めきった声。森の奥から現れたのは背の高い一人の女。
彼女の容姿に私は釦で出来た目を見開いた。
青く長い髪を
何より目を惹くのは、女が纏っているまるで
淫靡さよりも、美しさが勝っている。
「ニアリ様! ご無事で何よりっす!」フルベがまるで子供の様に喜ぶ。
どうやら彼女が件のニアリだ。
しかし彼女はフルベの方は視ずに、隊長格の男と兵士達に一際冷たい視線を向ける。
「先程戦闘していた部隊は退きました。そちらも退いた方がよろしいかと」
隊長格の男は不快感に歯を食いしばるも、戦力の差と今の状況を忘れるほど愚かではなかった。敵対心を剥きだしにする一瞥の後、気絶した者を運ぶよう兵士に告げると自身も近くで目を回している兵を担ぎ、森の奥へと撤退してゆく。
ほっと安心した私。一先ずこの場は凌げたようだ。戦いに昂揚していたオボロには悪いが、戦闘に参加しない私でも戦闘はなるべく避けたい。流石に眼前で血飛沫や四肢が吹き飛ぶのは心臓に悪い。
「ニアリ様、怪我は無いっすか?」
「あの程度の相手に怪我などしません……それよりも」
ニアリの瞳がオボロを見つめる。
まずい、先の長耳族と同じような事になるか。しかしオボロを見ると、彼女はそこまで不機嫌では無い。少し頬を膨らませているが、恐らくそれは戦闘が出来なかった故の不満なのだろう。
しかしニアリがそれを見て変に喧嘩を売り始めるのは頂けない。
私はそう思ったのだが、どうもニアリは違う様で彼女はフルベに近づくと――
「――アダダダダッ⁉ ちょ、ちょっとニアリ様ッ⁉」
ニアリはフルベの頬をつねり始める。「わたしが居ながら、他の女を連れるとは随分と良い度胸ですねフルベ。誘いの言葉を放った悪い口はコレですか?」
どうやら嫉妬のようだ。
無表情で責め立てるニアリだが、その顔はあからさまに不満気。余程独占欲が強いのだろう。
一日で二度もオボロとの関係性を勘違いされるフルベも不憫である。
「違うっすよ! この子はオボロちゃん、モル爺からも腕扱きと言われたんで、戦闘の苦手な俺に代わってここまで護衛してもらったんす!」フルベは必死に弁解をする。
「腕扱き……強いのが好みですか? わたしの方が強いと思いますけれど」
今度は力量がニアリの地雷を踏んだようだ。彼女は両手でフルベの頬をつねり始めている。
流石に止めに行きたいが私もニアリの恐ろしさを前に憚られる。
「ほう、わたしの方が強い……か?」
そこでオボロが口を開く。助け船という名の喧嘩を売り始めたが。
「試してみるか? ニアリとやらよ」
完全にやる気満々のオボロ。本当、彼女の喧嘩っ早さには頭を抱えたくなる。というか、アイナを除くと今の所物騒な女にしか出会っていない。
オボロの言葉にニアリはフルベの頬から手を離す。感情の希薄な金色の目がジッと見つめ、それに爆ぜるような緋色の瞳が喜悦に色めく。
一触即発かに思われたが、数秒両者は睨み合った後、ニアリがフッと視線を逸らす。
「いえ、今は遠慮しておきます。貴方と戦えばこの森を吹き飛ばしそうですし、わたしは大怪我では済まないでしょう」
オボロの底知れぬ実力にニアリは気付いてくれた。
一先ず戦闘は回避できた。当然オボロは不満そうだが、ニアリを探す当初の目的を思い出すと早々に砦へ戻るように催促する。
「早く戻るぞ。我は一刻も早くノーヴァンから聞かねばならぬ事がある」オボロはフルベの
「聞かねばならぬ事……何でしょうか」ニアリは小首を傾げる。
「道中で話す! 一先ず戻るぞ!」
まあ、ここで話すと長い。オボロの提案も悪くないだろう。
ニアリもその辺りは解っているのか頷くと、空を見上げてある人物の名を呼んだ。
「ベルモンド行きますよ、周囲の状況はどうですか」
「帝国の連中は去りましたよ。一先ず、安全ですな」
木から降りてきたのはニアリの部下であるベルモンド。全身を覆う真っ黒な服を纏う彼は顔に翁面を付けている。お面越しにくぐもった声と白髪の混じる頭髪から中年男性か、やけに渋みのある声で俳優のようだ。
彼も転生者なら役職がある筈だ。私は早速ベルモンドに視線を向け続ける。
『
よし見えた。
しかし暗殺者か、随分と物騒な役職だ。
ベルモンドの役職を知り身構える私だが、おっかない役職名に反し彼は温和な性格のようだ。
「おっ! ベルモンドさんも無事で何よりッす!」
「おお、フルベ! お前もだッ!」
相当仲が良いのか二人は再会を喜んで抱き合う。それを見るニアリは少し不満そうだ。
しかし今は戻ることが優先であるとニアリは二人の再開を程々に抑えると、指をパチンと鳴らした。すると、彼女の周囲に青い粒子が舞い始め――それが彼女の身体に吸着する。
時間にして数秒。ニアリは全身覆服の上から、灰色の
オボロが見せた魔術と同じものか。
本当に便利だな魔術って。
羨ましがる私に気付かず、ニアリは出発を呼び掛ける。
「では、行きましょうか」
ふとニアリは何かに気付き、外套の内側から黒い眼鏡――年季の入った
当然この世界にその企業は無いだろう――つまり、私と同じ転生者から貰ったのか。
遮光眼鏡を大事そうに付けるニアリ――彼女の過去を私は少し知りたくなった。
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