第20話 ようこそ! 長耳族の森へ

『本で異世界を知った気の奴から先に――』

長耳族エルフに殺されるのです』




 緊張した面持ちのフルベ。先程までの楽天家の態度は消え去り、周囲への警戒を緩めずに片手で抱えていた長銃を構える。森に入る前はオボロに荒事は全部任せる気であった彼だが、いざとなれば戦う気はあるようだ。

 あくまでも戦闘が苦手なだけで、戦う度胸はあるフルベにオボロも感心したようだ。彼への評価を僅かに上げたのか「ほう……」と満足気に微笑んでいる。オボロの方もパッと見はいつもの調子を崩していないが、主の感情に素直な彼女の尻尾は短く小刻みに揺れている。


「流石に感づいたか、人間の血の臭いに」オボロは言う。

「そりゃあ、そうっす。伊達にこの世界で数年過ごしてませんっすよ」


 フルベが異世界に来て数年経っているのも驚きだが、今はオボロの口にした血の臭いという文言の方が重要だ。今の私には嗅覚が無いので解らないが、二人の反応を見るにまだ新しいのだろう。

 つまり、血の臭いを出させた何かは近くにいる。 

 しかも、人の血の臭い。

 昨夜の巨熊か、それとも全く新しい何かか。

 異世界に詳しくない私にはそれは分からない。

 身構える私を抱くオボロの力が強くなる。こういう状況では本当に彼女は頼りになる


「我が先行しよう。後ろは貴様に任す」オボロは一歩踏み出す。

「了解っす」フルベが追随を始める。


 瞬く間に物々しい雰囲気となった森。人間の感性とは不思議で、一度そう思ってしまうと長閑な森の風景も様変わりだ。茂みの先で何かが動く音、静かな森に響く虫の音がこちらの宿した恐怖心に薪をくべる。

 五感の内、三つを転生時に代償にした私の聴覚と視覚はそれを補い始めている。取り分け聴覚に関しては、元の世界と比べて僅かに鋭くなっている。小さな音も明瞭に拾い始め、音の強弱で大まかな距離も掴めるようになっている。

 しかし、それ故に私は今の雰囲気も合わさって、僅かな音にも不安を感じてしまう。今も近くでなった小動物の足音に思わず身体を震わせてしまった。

 まったく――心臓に悪い。

 私を安堵させるオボロの手つきを感じる。今の私にとって彼女が全てだ。彼女が失敗を犯せば、私の異世界での生活は困窮の一途を辿るに易い。頼むから、無理はしないでくれよ

 

 一歩、また一歩。

 歩みを進めるごとに臭いは強くなっているのが、フルベとオボロを見てわかる。

 何も出来ない私には事の成り行きを見守るしかない。固唾を呑んで見守る、正にこれだ。

 

「近いっすよ……」

 フルベがそう言った時だ――既に私は前方に何かを捉えていた。

 邪魔な茂みをオボロが掻き分けて、目に飛び込んできたのは人間――の死体。数は都合七名、全員が軍隊で使用する戦闘服を着ており、彼らの傍には武器である銃が落ちている。昨夜目にした鎧の騎士の事を考えると、彼らの装いはやや現代的で時代の不調和を感じる。

 フルベと共にオボロは彼らに恐る恐る近づく。異世界故に死体が動き出す何て魔術もあるのだろうし、悪質な者なら死体に罠を仕掛けることも辞さないだからだろうか。

 私は少し気分が悪い。流石に死体は見慣れていない。だが、仕事柄、大事故の現場に遭遇することも多く――彼ら以上に酷い損傷の死体も目にはしている。

 臭いを感じないのも、幸運だ。

 死体の臭いは――元々嗅覚の鋭かった私にはかなりきつい。

 

「この服は帝国兵っすね」フルベが言った。

「……矢か」

 オボロは死体の額に突き刺さっていた矢を引き抜く。ジロジロとやじりを見ていたオボロは青い舌を出すと、不用心にも鋭い鉄製のソレを舐めた。

 外見だけでも鋭利さが分かる、何より毒が塗っていたらどうするのだ。

 私の不安を余所にオボロは何か確認するように口を動かし――唾液を(ペッと)吐き出す。

「毒か……」

 言わんこっちゃない。私は呆れるが、オボロは気にしていない。毒に耐性でもあるのか。

「舐めたんスか⁉ 致死毒だったらどうするんスかっ!」

 フルベの言葉はごもっとも。

 しかし、オボロは平然とした様子で告げた。

「毒が効くような脆弱な身体ではない」

 

 いや、すげぇな。毒が効かないとか、そんなのありか。

 凄さを通り越して、オボロの底の知れなさに私は恐ろしくなってくる。


「まじっすか……モル爺と同じとはすげぇっす」

 先程から彼が言っているモル爺とは、モルゲンラッグの事だろう。

「奴も毒が効かないのか?」

「そうっす。モル爺が唯一持ってるスキルっす。あの人、あのスキル一つでこの世界を四十年ぐらい生きてますからね」


 成程、スキルにはそのような種類のもあるのか。正直言って欲しいスキルだ。元の世界とは異なる生態系を築いている異世界、生えている植物なり茸なり木の実なり毒性があるのか定かでない物も多い筈だ。

 空腹に耐えかねて毒物を食べてあの世行き。或いは見分けるのが難しいか、混同で食べてしまって死ぬ。元の世界でも誤食による死は多いのだ、この世界でも少なくないだろう。

 それを踏まえると非常に助かるスキルなのは間違いないだろう。彼が長く生きているのも、そのスキルによる一環なのは違いない。


「……鏃の刻印と矢羽根からして――彼らをったのは長耳族エルフっすね。それも、この森を縄張りにしている長耳族」フルベは矢を見ながら言う。

 

 長耳族、また出てきた。確かフルベが探しているニアリも長耳族だ。

 武器を扱うと言う事は少なくとも、人間と同じ程の知識はあると見て良いだろう。ならば言語もあるだろうし、危険な相手では無いのかもしれない。


「長耳族か……確か反魔王戦争を扇動し、敗北が濃厚になると一足先に逃げた連中だったか」

 オボロの言葉は非常に刺々しい。長耳族をかなり嫌悪しているのは間違いないが、一体何が過去にあったのか。まあ、その辺りの記憶は定かでは無いのかもしれない。

「基本はそうっすね。でも長耳族の中にも陛下に従った部族も居ますし、元から中立の立場を崩さなかった部族もいるっす」


 なるほど、国単位ではなく部族単位で生活するのが長耳族のようだ。しかも部族ごとで方針も非常に違うとなれば――割と血生臭い歴史を辿ってきた種族かもしれない。

 もしかすると、緑鬼族オーク以上に筋肉隆々の外見だけで危険と分かる姿をしていそうだ。


「ふん……それで、彼らを殺したのはどんな部族なんだ」

「中立派の長耳族っすね。魔族にも人間にも与せず、己の部族だけで生きていく――そうっすよね?」


 途中でフルベは樹上を見上げて言った。

 まるで、そこに件の長耳族が居るかのように――否、実際に居たのだ。


「不用意に我らの森を歩くのは頂けないなフルベ」


 凛とした女の声と共に、何者かが飛び降りる。全身を襤褸布で覆い、露出している目元には刃物の様に鋭く磨いたような金色の双眸がこちらを睨みつけている。

 その視線に身を竦めつつ、私は横方向へ長く伸びた――まるで笹の葉のような――耳に注目していた。これが長耳族の特徴なのだろう。何と言うか、寝る時にとても不便な耳だ。 


「まあまあ、そう言わないでケレブさん。こっちにも事情があるっす」

「魔王軍の事情など我らには関係ない。モルゲンラッグのよしみで看過はしているが、今の我らは非常に気が立っていることは理解して頂こうか」


 ケレブと呼ばれた長耳族はさらに視線を強める。彼女の背中には狩猟で用いる弓を背負い、腰には幾つもの短刀や小刀を吊り下げている。襤褸布に付着した乾いた血もあってか、彼女の見た目は猟師というよりも古風な殺し屋を彷彿とさせた。

 ふと、私はそこで四方八方から異様な数の視線を感じ、ハッとして周囲を見渡す。

 あっちも、そっちも、こっちにも――茂みや樹上、木の陰に隠れ潜む長耳族達。数は大体十数名、全員ケレブと同じ装いと武装。獣に似た金色の双眸の群れが自分達を囲み、不穏な動きをすれば即座に反応する臨戦態勢を取っている。

 驚愕の隠密性。

 ここに転がっている兵士達が銃を撃つ暇も無く、討ち取られたのも頷ける。


「分かってるっす。こっちはニアリ様を探しているだけっすよ」フルベは長銃を脇に挟み、両手を少し上げて話を続ける。

 こちらに戦闘の意志は無いとも、ケレブや他の長耳族を宥めているようにも見える。

「そうか。ならニアリを見つけた時には即刻――魔王の死を人間に伝えさせろ。これ以上、この森に人間が居るのは我慢ならない」

「当然っすよ……あ、それと彼らの手帳回収して良いっすか」


 フルベは兵士の死体へ顔を向けて、ケレブに肯定を求める。手帳とはの事だろうか、簡潔に言えば軍人の身分証明書だ。それ以上の事は専門家ではない私には解らない。

 塵を見るような瞳で兵士を一瞥し、ケレブは浅く頷く。その仕草だけでも、彼女が人間を蛇蝎の如く嫌っているのが分かる。

 フルベはしゃがみ込み、数秒両手を合わせてから帝国兵達の死体に丁寧に触れていく。手帳が何処にあるかは既に知っているのだろう、フルベは無駄のない動作で七名の手帳全てを回収する。

 

「手帳は回収したっす。帝国兵の遺体は、そっちと決めた規定通りでお願いするっす」

 どうやら、彼らは二度と祖国には帰れないようだ。

「当たり前だ……ところでフルベ、そっちの小娘はお前の新しい女か?」

 ケレブの瞳がオボロへ向けられる。

 揶揄いの言葉かと思ったが、彼女の声色からして本当にそう思っている。多分だが、フルベの女癖を彼女は知っているのではないだろうか。

「違うっすよ! この子はオボロちゃん、訳あって仕事を手伝ってもらってるだけっす」

「……子供に頼らねば満足に森にも入れぬとはな」

 

 ケレブは呆れた物言いをしつつ、オボロを興味気に見ている。長耳族という事は彼女も魔族なのだろう、ならばオボロが『魔王』であると仄かに察していても不思議でない。

 しかし当のオボロは長耳族を嫌悪しており、ケレブの視線に鋭く睨み返すと、フルベにさっさと行くように促す。

 嫌いなのは分かるが、ちょいとその態度は不味くないかオボロ。

 私の不安は的中。オボロの前に数名の長耳族が立ち塞がった。


「貴様、ケレブ様に対してその態度はどのようなつもりだ?」

「その尻尾からして魔人族ダビルか? 如何に魔人族であろうと、その傲慢さは我等の森では通用せぬぞ」


 五名程の長耳族がオボロを囲み、怒気に染まった声と視線で威圧してくる。彼女達の身長も人間の頃の私と同じくらいで、今や子供に抱えられる程の大きさになった私には巨人の如く。

 それを抜きにしてもかなりの高身長。

 おっかない女だな……と私は思いつつも、オボロの腕の中に居るので恐怖はそこまで感じていない。あの巨熊を倒し、毒も効かないオボロなら長耳族ぐらい余裕だろうと思う。


「邪魔だ。我は貴様らが好かん、疾くそこをどけ」

 オボロもオボロで言葉を選ぶつもりがない。長耳族達の挑発を完全に理解し、来るなら来いと言った姿勢。両者とも、頭に血が上り易い性質たちでは無いが、既に一触即発の状態であることは明らか。

 オボロの力量に全幅の信頼を置く私だが、流石に無駄な戦闘は避けて欲しい。何とかオボロに落ち着くように宥めようとするが、如何せん喋れぬ私に出来る事は少ない。


「――はいはい、そこまでっすよー」

 素早く駆けてきたフルベがオボロの脇の下から手を入れて、彼女を軽々と持ち上げる。さながら猫を持つような手つき。僅かに不快な目をしつつも、微動だにしないオボロも相まって本当に猫のようだ。

「フルベ、さっさと行け」

「了解っす!」


 足早に去るフルベ。彼に掴まれたオボロに抱かれている私は、そのやや気持ち悪い揺れを味わいながら周囲を見やる。数名の長耳族達が静かにこちらを追跡していたからだ。

 もしや油断したところを襲うつもりか。そう思ったが、単純にこちらが完全に離れるのをしっかりと監視していたようだ。少し走った頃には長耳族達はもう追ってきてない。

  

 ――まったく。緑鬼族オーク小鬼族ゴブリン以上におっかないな、長耳族は。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る