第17話 きょう何食べる?

『彼は継ぎ――伝える』

『斃れた者から継ぎ――』

『現れた者に伝えるのだ』


 


 夜が明けたばかりだと言うのに、既に砦内は緑鬼族オーク達が忙しそうにしていた。駆け足気味で階段を昇り降り、書類や木箱をあちらこちらへと運び、皆一様に眠そうに眼を擦り具合の悪そうに首を抑えながら移動している。

 中には食事をしながら、何処へ出発する準備をしている緑鬼族も見受けられる。オボロに抱えながら、私は焦燥感を漂わせる砦内の風景に自然と身を引き締めてしまう。道中、喋る緑鬼族の言葉に耳をそばだてると『王国』『帝国』や『衛士』『指揮官』等の単語が途切れ途切れに聞こえてくる。


 食事処に続く扉の横では、緑鬼族と一緒に見慣れぬ種族が額に皺を寄せながら何か喋っている。 身長はオボロよりも小さく、鼻高で尖った耳に紫色の肌をした種族。

 確か小鬼族ゴブリンだったか。如何にも狡猾そうな見た目をしているが、やはりこの場に居る緑鬼族と同じ教育を受けているのか、オボロを見ると彼は人の良さそうな笑みで会釈をしてくる。

 本来の小鬼族の在り方をオボロは知っているのだろう。少し興味深そうに見ていたが空腹には敵わないのか、我慢できない感情の出る足取りで扉を開ける。


「おはよう。よく眠れたかな」


 食事処に居たのはモルゲンラッグとヴァルガのみ。大きな机の上にはオボロの朝食が用意されていたが、その量たるや正に大人十数人分。料理の種類自体は昨日と変わらないが、量は段違いに多い。

 何と言うか、食べ盛りの学生に向けて大盛りにした料理や拉麺ラーメン屋の盛りに盛った拉麺を彷彿とさせる。小食な上に仕事時は一日一食の私からすると、見ているだけでお腹一杯になる。

 山盛りの料理に引き気味の私に対し、オボロは気分の高揚した足取りを見せる。オボロは椅子に座ると、私を膝の上に座らせて眼前の料理に目を輝かせる。

 食事は愉しみに過ぎないとオボロは言っていたが、どう見ても今の彼女は酷く空腹な食べ盛りの子供。とは言え、昨日のアレが強がりや冗談にも見えない。

 もしかしたら、食べるのが好きなのかもしれない。


「昨日と殆ど品目は変わらぬが、張り切って量は多めにしておいた。たんと食べると良い」

「ありがたい。だが、もう少し多くても我は構わんぞ」


 オボロはそう言うや否や早速果実を手に取り始める。

 膝の上からそれを見ていた私は、昨日から心の隅に思っていた疑問に確信を持った。


 この世界にいただきます、の概念は無いのか。


 私の両親は食事の作法には厳しい方で、幼少期から箸の細かな使い方まで徹底的に叩き込まれている。私自身子供の頃には反抗していたが、それなりに成長した後はこの細かな作法が好きになり、食事では欠かしたことが無い。

 ――とは言え、他人がそれをしなくても目くじらを立てたりはしない。食をありがたく思う心は大事だが、誰かと食べるときは何より料理を楽しむのが一番だからだ。

 故にオボロが言わなくとも私は気には留めないが、それはそれとして気になる点である。確かに元の世界でもその概念の無い国はあるので、異世界も同じと考えればそこまで不思議でない。


 だが、この世界には転生者が居る。

 つまり、私と同じ国に生まれた者が居れば、その手の作法はそれなりに浸透していてもおかしくは無いだろう。

 まあオボロ自体が他の種族とは一線を画しているので、同じ土俵で考えるのは不相応か。

 しかし気になる疑問ではある。

 今度、緑鬼族や小鬼族の食事風景でも見て見るか、と私は考える。何せやれる事の少ない身だ、こうした疑問を自分なりに解釈や思考するのは良い時間の使い方になる。

 

「所でモルゲンラッグ、ノーヴァンは居ないのか」麺麭パンを齧って丸飲みしたオボロが聞く。

「彼も忙しい身ではあるからな。仕事で部屋に籠っている」


 モルゲンラッグは容器に注いだ黒い水――黒茶か珈琲か――を吸引藁ストローで飲んでいる。藁で出来たソレを私は興味津々に見つめる。吸引藁の歴史が古いのは知っていたが、藁製のを見るのは初めてだ。

 名前を付けるなら、ストロー吸引藁藁ストロー、かな。

 下らない冗談を思いつき、私は自分でクスリと笑う。

 まあ、どちらかと言えば原点回帰である。


「奴は好かんが、我の封印の謎は知りたいところ。奴の仕事はすぐに終わるのか?」

「いや、今日は部屋に籠りっきりになるだろうな」

「それでは、我に課された仕事はどうするのだ? 今日詳しく説明すると奴は言っていたぞ」

 オボロは干し肉を噛み千切る。やや荒っぽい仕草に彼女の怒りが見える。

「安心しろ、その件については外にある人物を待たせてある。彼から聞いてくれ」

「誰なのだ?」オボロは果実の切れ端を口に放る。

「ニアリが唯一従えている二名の部下の一人だ。名前はフルベ、私やノーヴァンと同じ転生者だ」


 フルベ、その名前からして私と同じ出身国だろう。

 しかし、気になるのが唯一という文言。それなら、ニアリの傍に居るのが普通な気がする。

 何より、そこから導き出される答えの一つとして――最も想定したくない彼の性格を身構えなければならないだろう。

 私の浮かべた疑問にオボロも同じことを思ったのか、モルゲンラッグに尋ねてくれる。


「唯一の部下が、何故主人の傍を離れているのだ?」

「まあ、それは奴に聞くと良い。あいつは気さくな男だ、大抵の事なら何でも答えてくれる」

 答えないモルゲンラッグだったが、彼を擁護する言葉を付け加える。

「ただ、怖くて逃げだしたと言う訳では無い」

「そうか、なら安心か」オボロは最後に残した果実を飲み込む。


 ふむ、どうやら私の危惧していた理由では無いようだ。

 怖くて逃げだしたとなれば、道中の案内人も務まらない。昨日出会った熊に遭遇して一目散に逃げるなどすれば、ニアリを探すのは難航する。

 精確な地図も無ければ、電話も無い。何処まで広がるかも解らないこの森の中で、人探しなど遭難してくださいと言ってるようなものだ。


「所でオボロ。もし、良ければ君の口の中を見せて貰ってもよいか?」

 唐突にモルゲンラッグが変な事を聞いてくる。増してや食事を終えたばかり、と言うのが何とも意味深である。

「……何をする気だ?」警戒するオボロの尻尾が少し上がる。

 当然の反応だ。まだよく解っていない相手から口を見せろと言われて、馬鹿正直に従う者は居ないだろう。

「ただ見るだけだ。これでも私は一応は医者でね……君の身体には興味がある」


 後半の部分が非常に変態めいているが、医者となると話は別か。一応、と言っているのは少し気になる点だが少なくとも私より見識は遥かにある。

 オボロの正体を掴む手掛かりにもなるので、私としても是非彼女に協力して頂きたい。

 何なら、私もモルゲンラッグの提案に同意していると行動で見せよう。

 オボロの膝に立ち上がると、私は自分の顔にある糸で出来た口を頻りに手で叩く。

 

「何だ……? もしかしてピョンちゃんも我に口を開けろと言っているのか」


 こちらの行動の意図を察したオボロに私は頷いて肯定する。良し悪しの振れ幅は広いが彼女の察しは喋れぬ私にとって非常にありがたい。

 オボロは暫く考えていたが、やがておずおずと口を開いた。鋭く並んだ歯、炎の様に真っ赤な口内、そして青く先端が分かれた舌をモルゲンラッグは興味深そうに観察している。


「ふむ、やはり咀嚼には適していないな。しかし丸飲みをしているには喉は細い……あの食べ方は大丈夫なのか?」

「問題ない。喉に感じる感覚も、非常に細かい物が通る感覚だ」

 どうやらオボロは自分自身の身体の特徴も忘れている様だ。

 モルゲンラッグは暫く口を覗いた後、フッと彼女から離れて席に座る。

「やはり見ただけでは解らぬな」モルゲンラッグは自分を恥じるように言う。

 

 ううむ、それは残念だが仕方ない。

 まあ、急く理由も無い。自ずと彼女の記憶が戻れば、その正体も判明するだろう。


「少々我も期待したが……まあ、良いか。美味しかったぞ、次回の食事も愉しみだ」オボロは勢いよく席を立つ。

「お粗末様でした。そうか、今度は少し凝ってみるか」

「お粗末?」オボロは首を傾げた。

「ああ、私と共に転生した友人が言っていた。食事の前に『いただきます』、食べ終えたら『ごちそうさまでした』とあいつはそうした作法を緑鬼族や小鬼族に教えていたものだ」


 おお、どうやら、その手の言葉は既に異世界にあるようだ。

 さしずめ、その転生者とやらは私と同じ出身国。少し前に浮かべていた疑問が思わぬ場面で解決したのは少し残念だが、この世界とは全く違う様式の世界の言葉が出てくるのは嬉しい。

 モルゲンラッグの説明にオボロも何か思う所があったのか、少し考えた後に席に座り直す。


「……ごちそうさま」


 手を合わせてオボロは言う。

 私は彼女の動作を疑問に思う。どうして手を合わせたのか、だ。

 モルゲンラッグはあくまでも言葉しか教えていない、それなのに彼女は自然に――まるで何処かでそれを見たかのように手を合わせたのだ。

 オボロに対する謎がより一層深まった瞬間である。

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