第15話 王国と帝国 後篇
『喫煙者にとって――』
『異世界に煙草があるのは何物にも勝る幸運です』
この世界に存在する二大国家、王国と帝国。ここに魔族を加えた三大勢力が、今日まで続く悠久の歴史の多くを紡いできた。王国・帝国・魔族、いずれかが最初から存在していなければ、或いは長き時間の中で歴史の表舞台から脱落していれば、まったく違った世界になっていただろう。
ただ、この三大勢力の関係は非常に流動的。魔族という共通の敵を持ちながらも、王国と帝国は長い歴史の中で幾度となく戦火を交えてきた。時としてその戦いは未開の地多き魔族領域で行われ、豊かな自然の残る魔族領域に深い爪痕を残した。
広大な海洋を挟むように西の大陸には王国、東の大陸には帝国がある為に、二つの大陸を唯一結ぶ魔族領域を経由しなければならないのが原因。船舶の技術はあれど、荒れやすい上に未知の海洋性の魔物が住む海洋を進むのは危険が多いのも要因。
王国と帝国の火種となるのは主に魔術だ。
魔術を用いる魔術師は王国のある大陸での誕生率が非常に高く、一方で帝国のある大陸では魔術師が生まれるのは数十年に一度と言われる程。これに関しては、魔術の元になる魔力を含む土壌と空気の濃度が王国は高い事が理由だ。
魔術の有無は、それだけで国の技術進化を大きく左右させる。魔力と魔術師が居ればほぼ無尽蔵な動力を確保できる王国に比べ、帝国は蒸気機関が主。そして両国の戦いでは、王国の魔術師は蒸気機関を容易く破壊していた。
いわゆる対魔術の技術が未熟な上に、魔力を鉄に練り込む冶金技術を帝国は持っていない。僅かに存在する魔術師も、所謂技術屋としての側面が強い帝国人による追放で多くが王国へ流れてしまっていた。
帝国が冶金技術に精通した
鉄山族の隷属化と魔術石の独占の為に、帝国は今日まで続く長き魔族との争いを始めた。鉄山族の確保こそ未だに達成していないが魔術石の採掘には成功し、帝国内に技術革命を起こしたのは記憶に新しい。
蒸気を凌駕する燃料になる上に、帝国内に残った一握りの魔術師と転生者によって簡易な通信手段の確立や帝国の主要武器である火器技術の発展を齎した。少量の魔術石を求め、帝国による周辺小国の侵攻・吸収の嚆矢ともなった。
国土を広げ、強大な軍事力を有した帝国。しかし、それでも魔族との争いは苦戦を強いられた。単純な種族の差と魔術の有無、こればかりは帝国の進んだ技術だけでは対処はできない。
数度に亘る争い、そして数年前に起きた反魔王戦争による被害。目先に利益にかまけ、楽観主義と希望的観測に頼った帝国は多くの死傷者を生んだ。
此度の魔王による突発的な侵攻に帝国が苛烈な攻撃を続けているのも、成果を上げて吸収した国々の民による反抗心を少しでも抑える為なのは明確だろうが――
帝国の瓦解は間もない、と言うのが王国の見立てだ。
「失礼な奴ね、こんな夜遅くに訪問だなんて、礼儀知らずもいいところよ」
隣を歩くネイルーカは口を尖らせている。彼女の周囲は先程から(パチパチと)小さな魔術が弾ける音がしている。魔力を大量に体内に溜め込める体質のある者は、怒りの感情によってこのような現象を起こすのだ。
「まあまあ、急用なのかもしれないだろ?」アレックスは宥める口調だ。
「だったら、それこそ事前に連絡をしなさいなって話よ」
確かにネイルーカの言葉も一理ある。
アレックスは少し云々と唸りながらも、必死に擁護の言葉を口にする。
「事前に連絡も出来ない程に切迫している、のかもしれないだろ」
「……どうだかね」
ネイルーカは納得こそしていないが、アレックスに何を言っても無駄だと解っているのでそれ以上の追及は止めた。
相棒を組んだばかりなら彼女は尚も言葉を続けたので、それなりにネイルーカとは仲良くやれているとアレックスは察する。
僅かな仮眠を取る衛士を起こさぬようにアレックスは足音を立てぬように移動し――ネイルーカにその気は無い――入口近くで警備にあたっている衛士の敬礼を受けつつ外に出る。
件の客人は入口を出て、少し歩いた所に立っていた。陣地近くを衛士が警備しているとは言え、危険な魔物が闊歩する森を不用心にも背にする男は雲の残る夜空を見上げている。
雲間に輝く月や星々に夢中なのか、アレックスとネイルーカが近づいても男は気付いていない。ふとアレックスは空気中に嫌な臭いがしているのに気づく。
僅かに紅茶のような華やかな匂いが混じっているも、人によっては鼻を摘まみたくなる臭い。
その臭いを感じていたネイルーカが苛立たしく男に声をかける。
「――ん? ああ、来ていたのか、悪い悪い」
男の口調は軽い。彼は青白い煙を上げる煙草を咥えており、それがこの臭いの原因。
緑を基調とする帝国の軍服に黒い前鍔のある軍帽。金色の髪と金眼、長身瘦躯の男の非常に整った顔つきはやや凶相気味。
「夜分遅くに悪いな――ッ、アチチッ⁉」
咥えていた煙草が突然燃え上がり、男は堪らず口から離す。落ちていく煙草は燃え上がり、最期の灯のように赤い炎を煌めかせ、灰すら残さずに消えた。
呆気に取られる男に対し、アレックスは隣に居るネイルーカがやったのだと気付いた。小さな対象に火を点け、地面に落ちるよりも速く燃やし、灰すら残さない。
見た目以上に難しい細かな魔術の操作を素早く精確に熟せるのは、この場ではネイルーカ以外にいない。
「暢気に煙草を吸ってないで、さっさと用件を話しなさいな」ネイルーカの口調はきつい。
帝国人嫌いな彼女の性格に反し普段は穏やかな青い瞳は、今や荒れ狂う海洋が如き強い眼力を放っている。
「ネイルーカッ!」
素早く叱りつけるアレックス。ただネイルーカは聞く耳を持たずで、プイっと顔を背ける。
最悪の出だしだ、とアレックスは頭を抱えつつも、一先ず男に謝ろうとするが――
「……後で一本分の煙草代、請求するからな」
無愛想な顔の男はそう告げて再び新しい煙草を咥えると、華麗な手つきで
怒っていない――いや、大人の対応をしてくれた様だ。多分、彼は魔術師にありがちな性格も既に学んでいるのだろう。
「後でアレックス・グレイトウィズ宛に出しておいてくれ」アレックスは返す。勿論、彼が請求をすれば当然応えるつもりだ。
「……お前が例の史上最年少で特級衛士になった男か。一度ぐらい会ってみたいと思ったが、意外とすんなり叶うものだな」男は紫煙を美味そうに吐く。
「帝国でも有名とは、ね。貴方が想像していた通りの男かな、僕は?」個人的な興味でアレックスは男に尋ねる。
「最初に見た時、衛士長かと思ったな」
誉め言葉、として受け取って良いのだろう。アレックスは照れながらも、笑みを浮かべて礼を言う。照れくさいとすぐに笑みを零すのが彼の特徴である。
「ねぇ、さっさと用を言ったらどうかしら? それとも、もう一本煙草を無駄にされたいのかしら?」ネイルーカはやはり、刺々しい言葉だ。
「君の相棒さんの財布を空にしたいなら、どうぞ」男も挑発的に言う。
中々肝が据わっている男だ。ネイルーカ相手にこうも言える人間は、そう居ない。
売り言葉に買い言葉を主義として生きている様なネイルーカは当然言葉を返そうとするが、そんな彼女の言葉を遮るように男は言う。
「用件は簡単だ。明日の朝を以て、この森に展開している帝国軍は撤退を開始する」
想定外の言葉だ。
衝撃を受けるアレックスに対し、ネイルーカは「でしょうね」と言いたげである。
「現在この森に展開する三部隊。これを無事に撤退させるべく、俺を含めて計四十一名の兵が、既に王国に到着して、ここに移動を始めている。本国からの連絡は早朝になるからな、見慣れない連中を見つけて、あんた等が警戒しないように俺が伝えに来た訳だ」
男の来訪理由は分かった。
しかし、気になるのは帝国軍の撤退の方だ。
王国を置いて、意気揚々と進軍をしていた彼らに何かあったのか。
アレックスは気になり尋ねると、男は簡単に答えてくれる。
「看過できない被害が出始めているからな。元々突発的な魔王の侵攻に、帝国も急ごしらえで兵を出した――その代償だ」
男は苛立ち混じりに紫煙を強く吐く。
看過できない被害――帝国の状況を完全に把握してはいないが、衛士達の話を聞くにかなり無理な進軍をしていると聞いている。
回復魔術が発展している王国に比べ、魔術師が殆ど居ない帝国は薬草や医療道具に頼っている。故に戦場での負傷者の死亡率や後遺症に悩む者の数は段違い。
「――僕らに出来る事はないか?」アレックスは反射的に尋ねていた。
助けられる命があれば、それを見過ごす事など彼にはできない。
しかし、所詮特級衛士である彼にそんな権利は無い。アレックスがどうこう言おうが、それの決定権は衛士長や王国の重鎮にしかない。
その事は男も知っている。彼はアレックスの言葉に少し笑いつつも、無慈悲な言葉を告げる。
「ハハッ――そりゃあ嬉しい言葉だが、あんたに決定権は無いだろ?」
諦観の極致に至った表情。
両国の了解や上の指示が無ければ、人を助けることすらできない。
あんまりだよな、と言いたげな表情。
だが、次に男は少しばかり不敵な笑みで――独り言のように呟く。
「ただ、流石に陣地近くを怪我人がうろついていれば、応急処置ぐらいしたって叱られはしないだろな?」
男の言いたいことをアレックスは理解する。
緊急性と人の心。苦しそうな怪我人を見て見ぬ振りをするのは難しい。
手を差し伸べる――そこに国も人間もしがらみも政治も関係ない。
「用件は以上。それじゃあな――ああ、しっかりと煙草代は請求するから覚悟しておけよ」
男はそう告げて、アレックス達に背を向ける。
このまま帰るつもりなのか。それは不味い、男は武装をしているようには見えない。
何の装備も無しに、森を行くのは自殺行為。
アレックスは呼び止めようとして――そこで、彼の名前を聞いていなかったことを思い出す。男の名を聞こうと呼び止めると、彼はくるりとこちらを向いて告げる。
「グモウだ。帝国国防軍特任指揮官のグモウだ。帰りの警護は結構だ、運は良い方でね」
不敵に笑うグモウ。彼の襟詰めには軍の指揮官を示す徽章――少し形状が異なる――が輝いていた。
去ってゆくグモウが森の中に消えていくまで、アレックスは見届ける。ネイルーカは興味も無ければ、グモウの安否も気にせずソッポを向いたまま。
グモウ。その名乗り方と彼の名前に、アレックスは気づいた。彼は――転生者だ。
グモウ――噂に聞いている。彼が帝国に属した時から、彼の指揮する新兵の死傷者数はゼロになった、と。
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