第13話 仕事はディナーのあとで 後篇

『ノックスの十戒』

『一、犯人は物語の序盤に登場していなければならない』




「その件では、お世話になりました。モルゲンラッグさん達を助けてくれたようで、重ねてわたくしからもお礼申し上げます」


 手を後ろに組んだまま、革靴の音を(ツカツカと)立てて男はこちらに近づく。

 真っ黒な髪を整え、漆黒の背広を纏った男。その装いの色合いに私は不気味なモノを感じていた。

 黒過ぎる、のだ。

 如何せん私の隣には白い服のオボロが居るので、男の黒さが一層際立っている。

 ……白きオボロ、灰色の私、そして漆黒の男。

 何とも出来過ぎた色の配置だ、と想像力豊かな私の脳を自嘲した。


 背広と言えば黒に思えるが、実際に所は少し青の混じった紺色の方が多い。或いはやや薄い黒の背広もある。

 だが、男の背広は吸光黒色ベンタブラックもかくやの漆黒色で、見る者を引きずり込む光無穴ブラックホールのよう。

 それに加えて襟締めネクタイも同じ色。


 これが何を意味するか。

 さながら死の象徴とされる烏のように黒い格好が何を意味するか。

 そう、喪服だ。

 男の装いは正に喪服なのだ。

 私はこの異世界の事を何ら知らぬが、元の世界の常識に浸ってしまっている以上、男の装いが不気味に思えてしたうのだ。


 加えて男の笑みが不気味さを更に加速させる。  

 貼り付けたような、笑顔なのだ。

 まるで人形の顔に笑顔を描いたような、露骨な程に造形的なのだ。

 今の私の口が一本の糸で造られているように――

 この男の笑みもまた、鉛筆を(サッと)走らせたようなのだ。

 そこへ男の鞭の様に細い目がさらに不気味さを助長させている。


「申し遅れました、私はノーヴァン。モルゲンラッグさんと同じく、この異世界に転生してきた者です」


 ノーヴァンは軽く頭を下げる。言葉遣いは柔らかく、所作はとても丁寧で、一見すれば紳士的である。だが、前述した彼の醸し出す不気味さがより一層強まった気がする。

 転生者と聞くと、同族意識からか警戒を緩めたくなるが、それは危険だ。

 異世界に転生した以上――彼もモルゲンラッグもそして私も、目的を持っているのは確実。それが私のような単純な興味本位を持つ者ばかり、とは限らない。

 

 よし、ここは一つ先手を打つとしよう。

 私には相手の役職を見透かすスキルがある。

 もっとも英語への知識に乏しく、情報を得た所で共有する手段が無い以上は宝の持ち腐れ状態になっているスキル。それでも、仮にノーヴァンが虚偽を申したり、はぐらかすような事があれば彼の役職を知る私は少し優位に立てる。

 何よりここは異世界だ。魔術と言う便利なモノがあるのだから、意外にも伝達をする術が見つかるかもしれない。


 早速、私はノーヴァンに視線を向ける。ぬいぐるみなのは、この点で便利だ。瞳の動きで相手にこちらの視線を悟らせないのだ。

 しかし――私が一向にノーヴァンを見ても、彼に近くにお馴染みの文字が浮かぶことは無い。

 

 何故だ?

 何か阻害されているのか?

 

 怪訝に思った私は、そこで視線をモルゲンラッグへ向ける。

役職クラス薬草師ケミスト』の文字列がモルゲンラッグの近くに浮かぶ。

 いや、私のスキルはしっかりと機能している。

 阻害されている訳では無い。


 しかし……何と言うか、本当に不便なスキルだな。

 なんだ『ケミスト』って?

 錬金術師アルケミストは知っているが、ケミストは馴染みの無い英単語だ。

 ああ、今すぐにも英和辞典が欲しい。

 

 そんな事はさておき、私はノーヴァンを再び、よりじっくりと見て見るが、やはり彼の近くに文字が浮かんでこない。

 つまり、だ。ここから導き出される答えは二つ。

 一つは彼が自分にのみ役職の開示をさせない効果を発揮する、スキルを有している事。

 もう一つは、彼が自分を転生者だと偽っているか、のどちらかだろう。

 可能性としては前者の方があるか。当然私の持つスキルと似た効果のモノはあるだろうし、それこそ私と同等のスキルを所持している者が居ない訳が無い。

 如何なる場においても、相手を知ると言うのは何よりも重要な事だ。相手の特性を見極め、それに対応出来る最善の一手を用意するのだ。

 だからこそ、自分の役職を悟らせない。そんなスキル或いは魔術があってもおかしくは無いだろう。

 一方で、自分が転生者であると偽る。それに対する利点はあるのだろうか。

 これに関しては現状、私の中では答えが出せない。如何せん異世界における、転生者の立ち位置が不明だ。モルゲンラッグと緑鬼族の関係や、アイナを助けた人間達を見るに、悪くは無さそうに思える。

 しかし一般的に考えてみれば、転生者とは部外者だ。それも異世界とは別の世界から来た部外者だ。歴史を振り返っても、その手の部外者が現地の住民に決して良い結果ばかり齎した訳でも無い。

 所謂文明の発達した国家の人間は非常に勝手だ。

 自分たちが先進的であること理由に、現地の文明や文化を遅れていると定義し、強引に作り変えてしまう。その場所にあった文化や文明というものは、その土地の風土と歴史によって最適化されているのだ。

 そこへ価値観も文化も何もかも違う存在が入ればどうなるか――火を見るよりも明らか。

 この異世界においても、既に過去に転生して来た者が勝手なことをしている可能性は大いにあるだろう。転生者を積極的に排他していてる連中や国家があっても、不思議ではない。


 まあ結局のところ正確な答えは出せない。歯がゆいが、これ以上私に出来る事は無い。

 私が考えに夢中になっている間、ノーヴァンは何か話していた――内容は覚えていないが、大した事ではないと思う――所で不意にオボロが口を開いた。


「能書きは結構。それで、我に何を求めている?」オボロの緋色の双眸が警戒を意味する赤色灯もかくやに光る。

「――求めている、ですか?」ノーヴァンは笑みを浮かべたままだ。

「貴様の迂遠な口ぶり……我に何か頼もうとしているのだろう? 遠回しは好かぬ、疾く用件を申せ」


 オボロの語気は強い。

 先程私は彼女の衣装をお姫様と形容したが、今の彼女はまるで女王もかくや。見た目に合わない言葉遣いも、今は不思議な程に違和感が無い。

 同時にオボロは机の上に居た私の身体を持つと、膝の上に座らせる。彼女の両腕がぎゅっと私を強く掴んでいる事からして、オボロもノーヴァンに嫌な気配を感じているのだろう。

 警戒心から来る鋭き双眸と共に、主人オボロの感情に非常に忠実な尻尾はまるで威嚇をする響尾蛇ガラガラヘビの如く激しく振られている。

 

「あまり睨まないでくださいよ」


 ノーヴァンは笑みを絶やすことなく、両手を広げてオボロを宥めようとしている。

 しかし彼の口調は先程と同じ声色。オボロの不機嫌の理由に気付いていないのか、或いは気付いた上でなおも彼女を揶揄うつもりなのか。後者であれば、非常に性格が悪い。

 当然ノーヴァンの薄っぺらい宥め賺しはオボロの機嫌を一層悪くさせている。彼女の外見が子供であるから、舐めた態度でかかっているのか。

 私ですら本能的に敵わぬ相手だとオボロを認識したのに、そんな私よりも賢そうなノーヴァンが気付かない事は無いと思うが。

 

「分かりました。確かに私は貴方に一つ頼みたいことがあります」

 流石にオボロを怒らしては不味いと思ったノーヴァンは、揶揄いの態度こそ辞めたがその薄気味悪い笑みは浮かべたままだ。

「頼みと言いますのは、あるお方を探す手伝いをして欲しいのです」

 オボロは答えない。

 もう少し詳しく説明しろ、と視線で促す。

「ニアリさんと言う長耳族エルフを探して欲しいのです」


 長耳族エルフ、何だそれは、貨物自動車トラックの事か?

 私は小首を傾げる。また、知らない単語が出てきたからだ。

 当然貨物自動車の事では無いだろう。

 何か種族の事なのだろうか? この異世界には緑鬼族オークなる種族も居るので、他にも人間に酷似した種族が居ても不思議ではないだろう。


「長耳族を探している? あの傲慢で排他的な種族が人間と仲良くしているとは思えんがな」

 オボロはうんざりとした口調だ。その口ぶりからして、長耳族の事は知っているのだろう。

「長耳族にも色々といますので。それに彼女は私やモルゲンラッグさんと同じく魔王軍に属する者なのです。とりわけニアリさんは魔王軍の中でも重役です」


 魔王軍?

 魔王って、あの魔王の事だろうか。

 この手の知識に疎い私も、流石に魔王が何なのかは知っている。

 魔物とか悪魔とかの王、なのだろう。

 そして、それらの種族は確実に人間と敵対している。

 

 ……ん、ちょっと待て、

 つまり、私は今魔王軍側に居る、と言う事だ。

 ……あれ、これ、私はつまり人類にとっての敵側に立っている。

 ……はぁ、冗談だろ。

 全身の血の気が一斉に引いていく気がした。

 いや、だが、慌てるな。

 魔王が居るのだろう?

 魔王は強い存在だ。

 この世界の均衡は知らないが、大抵の場合魔物や悪魔が圧倒している事が多い。つまり現状は勝ち馬に乗っている、と見て希望を持つのが一番だろう。

 

「……現在の魔王軍はです。魔王、ああ魔王ロードよ、陛下よッ! 何故、あのように乱心などをして死んでしまったのですか……」


 感情が突然爆発したのかノーヴァンはまるで舞台役者の如き大仰な身振りをする。如何せん、あまりにも唐突な仕草は少し不自然であったが――

 今の私にとって重要なのは魔王が死んだこと。

 そして――ノーヴァンが口にした『ロード』と言う単語だ。


魔王ロード』って、魔王のことなのか……あれ?

 いやいや、居るって!

 私を膝の上に乗せているオボロ。

 彼女の役職が魔王だぞッ!

 私の上をフォーカスしろッ!

 

 驚愕の事実を知った私は必死に両腕を上げ、オボロを指さす仕草をする。だが、ノーヴァンはそんな私の動きを笑顔のまま見ているだけだ。いや鞭の様に細い目のせいで、私の動きに気付いているかも定かでない。

 モルゲンラッグに至っては疲れたのか椅子に座っており、私の姿は死角に入ってしまっている。

 何よりオボロも私の突拍子な行動を不快に感じ、強引に私の腕を下げさせるとより強く掴み直したのだ。現状私だけが知っているであろうオボロが『魔王』である事は、やはりと言うか誰にも共有がされずに終わる。


 くそぅ、と私は心の中で盛大に吐き捨てた。

 オボロが魔王であると分かれば、事は驚愕の展開を迎えた筈なのだ。

 この世界の魔王がどんな事をしてるかは解らないが、少なくとも王であるなら優遇されること請け合いだ。王の政務は大変そうだが、ぬいぐるみの私など知ったことでは無い。

 悠々自適な生活が出来る絶好の機会を逃した、私は今まで感じたことが無い程の落胆を覚える。

 だが、少なくともオボロが『魔王』である、この事実を知れたことは大きい。


「……成程、つまりはそのニアリと言う長耳族を探して、魔王軍の瓦解を防ごうと言う魂胆か。しかし、何故我がその手伝いをしなければならないのだ?」

「貴方がご自身の記憶を失っているのはモルゲンラッグさんから聞いております。ですが、貴方の外見や能力からして少なくとも人間では無い。ならば、魔族側であるのが普通だと思いますがね」

「それが、我が魔王軍に与する理由になるのか?」


 オボロは淡々と言葉を紡ぐ。

 どう見ても、ノーヴァンの依頼を二つ返事で受ける気配は無い。

 オボロは自分が『魔王』であることを認識していない。

 確かにノーヴァンの態度は癪に障るが、ここは依頼を受けておくのが良いと思う。

 もっとも、言葉を喋れぬ私にどうこうは出来ない。

 

「……貴方は記憶が無いと言いましたね? それまでは何処に?」ノーヴァンは笑みを絶やしていない。

「この森の中で封印をされていた。魔術に似ていながら魔術ではない、奇妙な術でな。それを解いてくれたのがピョンちゃんだ」オボロは私の事を持ち上げる。 

「その術を私は少し知っています」


 ノーヴァンは唐突に告げた。

 オボロの瞳が驚いたように丸くなり、僅かに身を乗り出した。


「ご依頼を受けて頂き、無事にニアリさんを見つけてくれればお話しますよ。それに、貴方が今後も我々魔王軍に協力してくれるならば、記憶を取り戻すお手伝いをしましょう」

「その言葉に偽りは無いな?」オボロは強く問う。


 ノーヴァンは頷く。

 どうやら、話は一先ず纏まった様だ。

 どうにもノーヴァンを信じきれないが、どちらにせよ私に拒否権は無い。

 

「それで、そのニアリとはどんな長耳族だ?」

「それは明日お話します。今日は遅いので、お休みください」

「我は今すぐにでも済ませたいのだが……」

「事を急ぐと元も子も無くしますよお姫様。外に緑鬼族を待たせていますので、彼から案内された寝室でお休みください」


 ノーヴァンのあからさまな揶揄いの言葉にオボロは再び不機嫌になった。彼女は私を抱えて椅子から飛び上がると、怒りの籠った足並みで部屋を出て行こうとする。

 すると、ノーヴァンが呼び止めた。


「そのぬいぐるみ、可愛らしいですね。中身はどうなっているのですか?」

「触らせると思うか?」オボロはまるで威嚇する猫のように、尻尾を逆立てる。

「どうやら、お尻の部分が解れているようですが?」


 ノーヴァンの言葉に私とオボロは当然慌てる。オボロは私を持ち上げて、臀部を確認しようとしたが――私はその時に気付いた。

 ノーヴァンの指が迫り――私の額の辺りを軽く押したのだ。


「……貴様」オボロもすぐに気付くと、私を強く抱きしめる。息苦しさにもがきつつ、私は彼女の顔を見ると――今までに見たことの無い怒りの感情が表れている。

「フワフワですね」

 

 ノーヴァンは悪びれる事も無く言う。

 何らかの余裕なのか、それとも愚かなのか解らないが、何とも嫌な人間だ。

 完全にノーヴァンに敵意を露わにしたオボロ。

 そんな関係で今後は大丈夫なのかと心配する私だが、オボロの退出を見送り、手まで振った彼に呆れる。

 多分、あの男はそういう人間なのだ。

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