第11話 全裸の魔王様

『ナイスな尻尾さばきですね』




 対峙するは二匹の怪物。

 彼方あちらは正気を失った巨熊。

 此方こちらは興奮に酔った少女。

 双方動かず、向こうの出方を待つ。

 悍ましく爛々とした赤眼が少女を見つめ。

 恐ろしく煌々とした緋眼は巨熊を捉える。

 強者と狂者の放つ覇気が周囲の空気を一段と重くさせ、戦闘の始まりを固唾を呑んで待つしかない緑鬼族オークたちの呼気を激しくさせる。

 

 体格の良い屈強な緑鬼族でさえ、あの様子だ。当然、少女の胸元に抱かれている蔵人に至っては自分が戦う訳でも無いのに震えが止まらない状態。

 野生の獣など、せいぜい野良猫しか見たことの無い私だ。私の生まれた国にも野生の熊は生息していたが、鉄と混凝土コンクリート密林ジャングルに住む私に馴染みのある生物では無い。

 進化の過程で身体由来の攻撃手段を退化させた人類には、決して敵わない存在。圧倒的なまでの生物としての強靭さを前に、私は親を見失った童もかくや。

 

 怯えた視線を向ける私に熊は気付いたのか。

 生物的弱者の視線を煩わしく感じた熊は、あしらうように吼える。軽い威嚇じみた声だが、小動物を恐慌させるに充分。

 私の中に眠る古代の先人の残した野生動物への恐怖が噴水が如く噴き上がる。

 そんな怯える私を抱える少女の腕が一層と強くなる。そこで少女の手が私の頭を優しく撫でていたことに、初めて気づいた。

 感覚が無いので気付かなかったが、私に対する少女の確かな優しが安堵を齎す。しかし私に対する少女の一方的な優しさは怖くもある。

 私が少女の封印を解いたそうだが、私にはその実感が無い。性根のひん曲がった私は、他者からの優しさの内に何か思惑や意図があるのでは、と勘繰ってしまう。


 全く、自分のことながら――正直に他人からの優しさを正直に享受できぬ性格と言うのは存外に面倒である。


 とは言え、身内も知人も居ない異世界。頼れる存在が限られている以上、少しばかりは私に対する少女の思いを多少なりにも信じるべきだろう。

 何より今の私は第二の人生セカンドライフなのだ、元の世界と同じ様に生きると言うのも些か面白みを欠く。

 

 私は自分を撫でる少女を見上げる。

 狩りへの興奮に昂る少女は、相対する巨熊を前に捕食者や上位者故に自信からなる愉悦を湛えた笑みを依然として浮かべている。

 開かれた口には肉食動物――中でも鮫や鰐を彷彿とさせる――もかくやの鋭利な歯が綺麗に整列している。鋭い歯の隙間から、先端が割れた青い舌を覗かせる。

 蛇舌スプリット・タン。書籍でその名は知っていたが、実物を見るのは初めてだ。

 身体改造にはあまり好意的で無い私にとって、その異様さや舌を切ると言う行為から背筋を刃物で(ゾワリと)撫でられたような感覚がある。

 

 しかし、よく見て見ると少女のソレは人工的な施しでは無いことに気づく。

 異物感が無いと言えば良いのか。

 一つの生物として成り立っている、と言えば良いのか。

 自然的、或いは先天的な形状なのだろう。

 何せここは異世界。緑鬼族のような種族が居るのだから、少女の特異性も異世界という膜を通してみれば不可解ではないのだろう。

 そう思ってくると、気持ち悪さも感じない。


 まあ、益々人外であることを理解させられるのだがな。

 邂逅の時も含めて、少女への謎は多い。雰囲気も相まって神聖さと邪悪さを兼ね備える様相。

 異世界の伝承や信仰云々はまだ解っていないが、あの水晶の塊に封印されていた事実からして、世に顕現してはならぬ存在なのではないか。

 愚かな人類が厄災パンドラの箱を開けてしまうのは、お約束な展開。さながら私は物語の序盤でソレをしてしまう――愚人。

 ――或いは、まさに道化師か。

 事態を劇的ドラマチックに解決する主役を登場させる為の舞台装置。私のような人間にとっては、大役だろう。

 いつもの悪癖で負の感情に浸りながら、私は少女を見つめていた時だ。


役職クラス魔王ロード


 その文字の並びが少女の近くに浮き出る。

 一瞬、キョトンとした私だったが、すぐさまにソレが転生して得たスキルであった事を思い出す。

 転生したばかりで不慣れな事もあるが、何より他者を(ジッと)見つめると言うのが私に合致していない。基本的に私の目線は下に行きがちなのだ。


 だが、魔王ロード

 少女を示す役職に私は驚くべきだ。

 何故なら魔王ロードだ。

 そう魔王ロードなのだ。


 ――いや、ロードって何なのさ。

 道のことか?

 仮にそうだとして、何なのだ『クラス・ロード』とは?

 道が役職になるのか? 

 それともアレか? 英語にありがちな、一つの単語に幾つもの意味が含まれてるアレか? 

 これだから英語は嫌いなんだ!

 

 ――まあ、恨み節を吐くのはここまでにしよう。

 元より私の得たスキルが宝の持ち腐れであることは明白だ。英語の知識が無い云々よりも、こうして得た情報を誰かと共有できないのだ。

 この際少女の役職については一先ず置いておこう。

 驚きなのは役職を転生者以外が有していることだ。何故なら、私はてっきり転生者だけの特権だと思っていたからである。

 それとも少女も転生者なのだろうか。現状確かめる術は無いが、私の直感がソレを否定している。

 

 私は試しに緑鬼族たちを見つめるも、一向に文字は浮かんでこない。

 続けて他の緑鬼族も見てみるが、結果は同じだ。

『役職』やその他も含めて、この異世界には私の知らない事が多すぎる。

 何とかして少しでも情報が欲しいものだ――ッ⁉


 巨熊が一際大きな声で吼えた。

 考え事に集中し、思索の海を潜っていた私を強引に陸へ引きずり上げる程の迫力。地鳴りが如き咆哮に私は身体を大きくびくつかせる。

 無いにも関わらず心臓の鼓動が早まる気がして、私は自分を落ち着かせながら、現在の状況に集中する。完全に蚊帳の外な私だが、正しく今――二匹の怪物の戦いが始まろうとしている。

 

 少女は一向に動かない。美しくも背筋が凍る程の笑みを浮かべ、緋色の双眸に嗜虐を湛える。

 その時だ――先に巨熊が動く。

 まるで発射されたロケットの如く、目にも止まらぬ速度で猛進する巨熊。その図体に似つかわしくない速度だが――相手は筋肉の塊。

 巨体だから動作が遅い、なんて事は無い。

 肉体の全てが生存に特化している。余分な部分は一つも無い。

 大地を大きく揺らし、土を蹴り上げ、唸りを上げ、赤い瞳に狂気を満たし――眼前に獲物を捕らえるべく襲い掛かる。

 その狂気的で恐ろしき姿は、脆弱な人間の足を竦ませ、逃がすことすら許さない。

 

 ――だが、少女はまだ動かない。

 もう、動いていなければ間に合わない。

 それでも少女は笑みを絶やさず、接近する巨熊を待ち構える。

 隆々と発達した巨木が如き前脚を巨熊が振り上げる。先端に備わった鋭い爪が残虐に煌めく。

 恐怖に塗れ、無駄であるにも関わらず私は惰弱な両腕で顔を覆う。

 巨熊の前脚が素早く強引に空気を断ち切る音。

 次いで――その一撃をしなやかな何かが受け止めた音。鞭で床を叩いたような音だ。

 

 何が起きた?


 恐る恐る両腕を下ろした私の目の前に悍ましき巨熊と――その前脚の一撃を受け止める、つるりとした蛇のような

 巨熊は黒い体液をまき散らし、怒りに吼えながら体重を両前脚にかけるが、少女の尻尾はびくともしない。

 拮抗――ですらない。

 圧倒――でもない。

 少女は巨熊の攻撃を全く意に介していない。

 ただ、浮かべていた笑みは消え、凍てつく程に冷めきった相貌を見せている。

 まるで子供の遊びに付き合うかのように、少女はしばし巨熊の力の程を値踏みしていたようだが、やがて――その底が浅いと判断した。

 尻尾を軽く薙ぎ、それだけで巨熊の態勢を大きく崩させる。

 

「――瘴気に中てられたのか、悪いが正気を失っている以上、生きて返す訳にはいかぬぞ」


 少女が告げ――宙を舞う尻尾はまるで蛇が如く。

 そして、少女は鋭く尖った尻尾の先端を巨熊の胸元へ突き刺し、素早く抜き去る。

 巨体に詰まった筋肉の鎧を物ともせず、生物の急所を的確に狙った一撃。

 あまりにも鮮やかで、華麗な殺しの妙技。

 いや――介錯のようなモノか。

 瘴気に苦しむ巨熊に、これ以上の苦しみを与えずに絶命させたのだ。


 こと切れた巨熊の身体が地面へ斃れる。再起の気配は当然無い。

 少女は尻尾に付着した僅かな黒い血液を振り払う。

 

 おお……まじか、この娘強いな……

 圧倒的な次元の違いを見せられ感心する私、一方で少女は自分を見つめていた緑鬼族達へ視線を向ける。

 反射的に臨戦態勢を取り、各々武器を構える緑鬼族。

 場は再び一触即発の状態になろうとしていたが―― 


「君達、武器を下ろし給え。勝てる相手では無い」


 緑鬼族たちの背後から、やや老齢の男の声がした。

 素直に武装を解除した緑鬼族たちが少し動いて、通り道を開ける。そこから現れたのは、共に真っ黒な装いをした二人。  

 片方はガタイの良い緑鬼族たちよりも一回り背が高い。頭巾フードの付いた黒い襤褸布を纏い、腰に刀を携えている。頭巾のせいで顔は見えない。


「助かったよ、ありがとう」


 緑鬼族たちに武器を下ろさせた男が礼を言う。背丈は人間の時に私と同じくらいだ。

 頭巾の付いた黒い服――医者が手術時に着るガウンに似ている――を纏い、顔には鳥を彷彿とさせる覆面を付けている。黒死病覆面ペストマスクのような形状だ。


「助けた訳では無いのだがな」少女は素っ気なく言う。

「結果的に私達は助かったのだよ」

 男はそこで何か思い出したようだ。

「自己紹介をしていなかったな、私はモルゲンラッグ。この異世界に転生をした者だ」


 モルゲンラッグはそう言って会釈する。

 思わぬ展開だ。まさか、ここに来て新たな転生者と出会えたのだ。

 

「それで君は一体何者なのかね? 名前は何と言うのかな?」

「……我か? 我は……」

 

 そこで少女は夜空を見上げる。

 名前――そう言えば、私は少女の名前を知らない。

 いや、少女は記憶が無いのだ。自分に関する全ての記憶が失われている。


 少女はしばし夜空を見上げ、美しい朧月夜を緋色の目に映し続け――


「オボロ……今はオボロと呼ぶがいい」少女は告げた。


 その含みのある言い方にモルゲンラッグは察したのだろう。

 うんうんと何か考えながら頷き、そして一言。

 

「ふむ、ではオボロ。君が裸族で無いのなら――服を着てくれないかな」


 全裸のオボロにモルゲンラッグはそう告げた。

 彼の後ろに居る緑鬼族達はやり場のない視線に困惑しているのだ。

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