第9話 朧月夜物語 後篇

『強くなるプロセスは往々にして面倒なモノ』

『手っ取り早く最強になりたければ――』

『チートを宿すか、チートな仲間を持つか』




「居るのだろう? 疾く姿を見せるが良い。これだけ粗悪な使い魔だ、至近距離で動かすのが精一杯だろう?」


 少女は問い続ける。人っ子一人居ない雰囲気の森の中。

 幼くも貫録を感じさせる声が静謐を保つ木々の闇の中へ吸い込まれていく。返って来る声は当然無く、ただ微かに虫の音が無情に響くだけ。

 全くの反応の無さに少女は苛立っているようだ。

 嗜虐性と残酷性を混ぜた美貌にはあからさまな不機嫌の色が現れて、少女の特異性を際立たせる尻尾が怒りで地面を叩いている。この感情の分かり易さは少女の外見もあって、幼子と同然だ。

 プルプルと静かな怒りで揺れる少女の手に掴まれている私は少女の言っている意味を理解しきれていない。


 先程から言っている使い魔とは何なのか。

 無論使い魔と言う単語を私は知らない訳ではない。

 学生時代暇があれば図書室に行っていたので、大抵の書籍は読んでいる。ジャンルに一貫性が無いと友人によく言われたものだが、私は題名で読む本を決める質なので致し方無い。

 何よりジャンルに縛られないことは本との出会いをより豊かにするのだ。

 ただし恋愛モノと分かれば即座に棚に収めるだけの好き嫌いは持っている。


 さて『使い魔』と言う単語が何かの本に直接登場していたかは定かでないが、私の奥底に仕舞い込んだ記憶が件の単語と合致している。恐らく使い魔とは日本における式神の類と考えて良いだろう。

 そして少女は私の事を使い魔と思い込んでいる様だ。

 何とも失礼なことだ、と腹を立てるほど私は底の知れる人間ではない。大人なので寛大な心を持つのは当然。

 それに少女にしても、よもや私が異世界へ転生をしたぬいぐるみとは予想できないだろう。

 彼女には、この世界での常識というフィルターが思考を覆っている。こちらの状況を察せない状態で、そのような結論を導き出すのも仕方がない。

 一先ずは少女に私が使い魔でないことを教えなければならない。

 さて、言葉を喋れぬ今の私に出来る事と言えば、当然仕草しかない。

 私は少女の手を叩いて自分の方に視線を向けさせると、何度も腕でバツ印を作る。

 

 使い魔じゃない、使い魔じゃないよ、と。

 本当に無様な方法だ。

 つくづく声というものが如何に大事なのか分かる。


「……もしや、貴様は使い魔では無いのか?」

 少女の言葉に私は正解と言わんばかりに何度も頷く。


 おお、今回は察しが良くて助かった。

 随分振れ幅の大きい察しの良し悪しである。まるで振り子のようだ。


「しかし、我の勘は貴様が何者かの所有物であると言っているのだが?」


 ふむ、油を差したらどうかな? 勘も鈍る、時折油を差して滑りを良くするべきだろう。

 そんな冗談はさておき。所有物とは少々聞き捨てならない言葉だ。


 まあ、私も『国家の一部』であり『社会の歯車』であり『会社の一員』であるので所有物と言う表現もあながち間違いでは無い。

 だが、彼女が言いたいのはそのようなジョークでは無いのだろう。

 何より異世界に来た、否死んだ時点で私は元の世界による所有権など無い筈だ。

 つまり、異世界に来た時点で私は何者かによって所有されていると少女は言いたのだろう。

 しかし私には思い当たる節は無い。

 何せ異世界に来てから出会った人物など片手で数えられる程だ。

 

 考えられる中で一番怪しいのはアイナだろう。しかし、彼女のあの時の状態を見るにそんな暇があるとは思えない。

 第一に人を所有物にする魔術があったとして、私が何も感じないのもおかしいだろう。

 知ったようなことを言っているが、私は別に魔術など詳しく無いので確証は持てない。

 ただ、私の認識として誰かの所有物になった覚えが無い以上は否定せねばならない。


「ふむ、あくまでも否定をするか……まあ、構わん。我が上書きすれば良いだけだ」


 物騒なことを突然と言い出した少女はそのまま片方の手を私の顔に置く。

 急な出来事に混乱する私は徐々に少女の掌に青い粒子が舞い始めるのを見る。

 これが魔術なのか、と言うか上書きとは何だ。困惑する私に少女は構わず行為を続けようとするが、数秒も経たないうちに僅かに眉を顰めた。


「使い魔としての魔術が貴様にかけられているようだが……ふん、この程度造作も無い」


 少女はそう言って再び手の周りに青い粒子をまき散らす。

 それはたった数秒で終わり、少女は少し満足した様子だが一方の私は何が何だか解らない。

 少女の言葉は嘘とは思えないので、やはり私には誰か所有者が居るのか。と言うか、私の意見も待たずに勝手に所有者登録をしたのか、この女は。

 堪ったものじゃないと怒る私は四肢を動かすが、どうにも少女はそれを喜んでいると勘違いしている。忘れていた、この女の勘の良し悪しが振り子並みに安定しないことを。


「ふふ、嬉しそうで何よりだ。これからよろしく頼むぞ『ピョンちゃん』よ」


 勝手ここに極まる。

 無茶苦茶にカッコ悪い名前まで付けられた。

 兎なので、ピョンちゃんなのか、安直にも程がある。

 齢三十五になるおっさんに付ける名前でないだろう――いや、今の私はぬいぐるみなのだが。

 あまりにも腑抜けた名前に私の怒りはすっかり消えてしまう。燃え盛る炎を水が一瞬で消す、そんな比喩が相応しいほどにだ。


「前の所有者が分からぬのは気になるが、姿を見せぬ以上――そして我が名を付けた以上は我のモノだ。我の封印を解いた貴様には我の予想のせぬ力があることは明確だからな」


 少女はそう言うと私の事をギュッと強く抱きしめて、とことこと歩き始める。

 向かっていく方向は彼女が封印されていた月のような水晶の塊――今は崩れて小さな粒の山となった場所。

 封印とは何のことなのか、疑問に思う私だがそれを告げることは当然できない。

 

「この封印は魔術とは違う系統のもの……我にもこれが何かは分からぬ。我が分からぬそれを解いた貴様を欲するのは当然」


 自身が封印されていた月の塊の山の前で少女は言う。礼を言う代わりに少女は私の頭を撫でている。無論触覚を差し出した私に彼女の柔らかな手つきは感じることは無い。

 そして私の心は複雑であった。  

 封印を解いた、と言っても私は単に手を触れただけ。故に私には少女を救い出した感触は無く、何かの間違い或いは単なる偶然にしか考えられない。 

 マイナスな思考を極める私は、誰かが解きかけた封印を横取りしてしまったのではと思うばかり。三十五年生きた中で迷惑ばかりかけてきた私にそのような事が出来る筈が無い、と考えてしまうのだ。

 

 覚えの無い成果は手放しで喜べるモノでない。


「……しかしな、我は自分のことを思い出せないのだ。名前を含めた我に関わる全てのことが朧気で――まるで月も星も隠してしまう灰雲が我の中を覆ったような感覚なのだ」


 少女が私を更に強く抱きしめたのを、私は彼女の華奢な腕の動きから察知する。 

 成程、確かに自分のことが何一つもわからないのは怖い。

 記憶喪失とは少し違うのだろう。

 分かりそうで分からない、晴れることのない雲が頭や心を覆う気持ち悪さは理解できる。

 

 少女と私の現状は少し似ている。

 片やこの世界が何一つもわからぬ男。

 片や自分が何者なのかもわからぬ女。

 この世界で目覚め、己の中は不安と恐怖で一杯。

 だが決定的に違うのは、少女のそれは時間をかければいずれ判明することだ。

 少なくとも私なんかより、余程やりようがある。


 気楽に構えな、気楽に行こう、と私は少女を安心させるべく彼女の手を優しく(ポンポンと)叩いてやる。


「……ありがとうなピョンちゃん」


 スッと腰を下ろして座り込んだ少女が笑みを見せる。

 外見相応の無垢な笑顔。それは真夏の眩しい太陽が如くで、私のような陰気な男には直視できない。

 

「貴様をこうして抱いていると、とても心が落ち着く。名前も顔も思い出せぬ父を我は感じてしまう」


 少女はややうっとりした表情で、形の良い顎を私の頭上にグリグリと押し当てている。立派に伸びる兎の耳が潰れているが、彼女は気にも留めない。

 父を感じるか、それは父性的なことを言っているのだろうか。性格からして結婚のできぬ私に当然子供は居ないので、父性など微塵も無いはずなのだが。

 何より幼い頃から老け顔の私には皮肉にしか聞こえないが、まあ良いか。 


 がっちりと少女に抱きしめられ、身動きの取れぬ私は自然と夜空を見上げる。

 煌々とした輝きを放つ銀月は未だに薄い雲に覆われて、風情のある朧月夜を魅せる。

 だが夜空の端から流れてくる暗雲の群れが、嵐の前の静けさと言わんばかりに私の直感を刺激していた。

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