第5話 迷子の私と雨天の異世界 中編
『ぬいぐるみに口なし』
木の下で座り込んでいる少女――アイナ――を見つけ、私は年甲斐もなく声を張り上げながら駆ける。殆ど知らぬ異世界に転生し、人っ子ひとり居ない森の中を歩き続けた私だ。
生物、それも一番に人間に出会えたのは幸運である。獣は勿論、異世界特有の種族でも会話に苦労するのは必定。何せ世界が違えば、当然言語も異なる。
ボディランゲージの限界を知る身として、やはり言語が何処まで通じるかは重要。そしてアイナは自分と同じ転生者且つ名前からして出身国も同じだろう。
アイナの元に駆け寄った私は、彼女の名前を呼びながら腕を揺する。人間の姿であれば、緊急時であろうと異性の身体に触れる勇気の無い私。
己の外見の醜さを知っているが故の行動原理なのだが、パッと見て今の私は愛らしい(自分で言って反吐が出る)兎のぬいぐるみ。
目覚めの一発に、不健康で雨雲のような暗い人相の男を目にして悲鳴を上げられる心配は無い。こちらにその気が無くとも、彼女に私が邪な人間だと警戒される事も無い。
この点で言えば、私がぬいぐるみに転生したメリットがあったと言うことだ。
しかし、私が全力で揺すっているのにアイナは目覚める素振りが無い。死んでいると言う訳では無く、呼吸で胸や肩は上下している。
口からは言葉に表せぬ不明瞭な呻きを上げており、意識が朦朧としているようだ。目立った外傷も見当たらないので、命に別条はない。
だが、ゆっくりしている暇は無い。
先程から森の奥で獣の唸りが聞こえており、遠くで何かが走る音が私に恐怖を与えている。知識も無い上に異世界である事で、どのような生き物が生息しているか不明な事による恐怖。
外見が無機物である私が狙われる可能性は低いが、一方のアイナは獣にとって格好の餌。
幾ら冷たい私でも流石に目の前で、獣達の暴力的な新鮮ビュッフェは見物できない。
く、くそぅ……さっさと起きてくれ。
こちらとら、無力なぬいぐるみだぞ。
万が一にも襲われたら、護れないぞ。
――いや、待てよ。彼女も転生者なら、私と同じように役職を持っている筈だ。
そして、私には相手の役職を見ただけで知ることのできるスキルがある。
さっそく私はアイナの身体を揺すりながら、彼女のことをジッと見つめ続ける。まだ使い方に不安のある私だが、スキルは正解を指し示すように彼女の役職をぼんやりと映し出す。
……なんだ、ヒーラーって。
文句は言いたくないが、何故こうも連続して馴染みのない役職持ちに出会うのか。種類が豊富なのは良いが、細かな区分化は総じてとっつき易さを損ねやすいモノだろうに。
うむぅ……ヒーラーか。
私の知り得る知識に該当するものや近しい言葉は無い。
こうなると見た目から判断するしかないが、少なくとも騎士や戦士の類では無い。
ゆったりとした服装に儀式的で神聖な雰囲気。そして、よく見るとアイナの右手には杖が落ちている。
しっかりとした鉄の素材で出来ており、上部には透き通るように美しい青色の宝石が嵌め込まれている。
飾り気の無さが逆に杖全体に清廉と厳粛を漂わせており、興味本位で触れた私に吐き気を伴う不快感の罰を与えた。余程癪に障ったのだろう、手を離した後も気分が悪い。
つまり彼女の役職は魔術師に近しいモノなのだろう。
どの程度戦闘を行えるかは不明だが、少なくとも
だから、さっさと起きてくれ。少々不機嫌になりつつある私は強くアイナを揺する。
こんな事で腹を立てたくはないが、私一人ではどうにも打開不可能な状況が自分を苛立たせる。怒りが一銭の価値も無いのは理解しているからこそ、怒ってしまう自分に更に苛立つ負のスパイラルに陥りそうだ。
「……誰? 誰ですか?」
やっとアイナの意識が戻ってきたようだ。今にも消え入りそうな声色は、不安と恐怖に彩られている。
私の方に顔を向けているが、目は苦しそうに瞑ったまま。どうやら視力を一時的にやられたようで、時折開けようと瞼は動いているが開かない。
アイナの不安を可能な限り拭ってやろうと私は優しく声をかけ続けたが、どうも彼女には私の声が届いていないようだ。しきりに「誰ですか」と問いかけ、その小さな身体を更に縮こませる。
目だけでなく耳も一時的に聞こえないのか。
そう推測した所で私は――自分の今の姿に気づく。
今の私はぬいぐるみ。
ぬいぐるみは喋らない。
つまり、今の私は声を発せられない。
ああ……嘘だろ。
驚愕の事実に気づいた私。
嘘であってくれと願うも、周囲の音は確実に聞こえているアイナの素振りが私に残酷な現実を突きつけた。
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