第2話 転生者はどこからくるの?
『人がキャラメイクでふざけるように』
『神も人間の生成でふざけるのだろうか』
「
男はそう言って、形式的に頭を下げた。彼の手元には何枚かの書類があり、一番上には私の名が題名のように書いてあり、ご丁寧に私の不機嫌な顔――どんよりとした灰雲のような表情――が貼られている。
恐らく、私のこれまでの人生の軌跡が記されているのだろう。
好奇心のある私の視線に気付き、男は中を見てみますか、と提案してくるがお断りする。私自身面白くもない人生だと自認している。その証拠に他の書類に比べると、私の書類は薄い。
しかし、35か。
数字で聞いてみると短い。
ただ、まあ、我ながら、それなりには頑張ったと言える人生だろう。
何の才も無く、取り柄もない人間でもここまで生きる事が可能なのだ。
ふむ、年上の人に聞かれれば間違いなく叱られる。
「では、時間もないですし……失礼。速やかに次の生の手続きをしましょうか」
男はまるでそこに時計があるかのように、後ろを振り返った所で慌てて、こちらに向き直す。
何か習慣や癖じみたものなのだろう。もしかすれば、彼もまた私と同じく生前は何処かの会社に務めていたのかもしれない。
男が机の上に積んだ書類の山から数枚の冊子を慎重に取り出そうとしている間、私は机の隅に興味深いモノを見つける。
それは私と同じく、名前と顔写真のある書類。不可解なことに名前の部分は鉛筆で黒塗りにされ、上部には『アイナ』と殴り書きがされている。
写真に映る青みがかった黒髪の少女の顔は不安げな様子で、その上から『異世界行き』と真っ赤な判子が捺されている。
異世界、聞き馴染みの無い言葉に私は頭に疑問を浮かべる。
何かの名称であることは確か、しかし具体的に何を意味するのか。
読んで字の如く『異なる世界』だが、どういうことなのか。
世界がそんなに複数もあること自体、私には突拍子な話に聞こえて仕方がない。昨今耳にする、マルチバースやパラレルワールドみたいなモノなのだろうか。
私が困惑している中、男はやっと冊子を抜き取るとこちらに提示してくる。
「それではプランの選択をお願い致します」
男が出した二枚の冊子。
片方は『一般プラン』と銘打ってあるが、もう片方は――
「異世界プラン?」
先の書類と同じく『異世界』という言葉が登場する。
だから何なのだ異世界とは。
知らぬ言葉に困惑を超えて少し憤慨しかけた私を察したのか、男が怪訝な顔で尋ねてくる。
「もしかして異世界をご存知ないですか?」
男の問いに私は頷くと、彼は僅かに目を丸くしながら丁寧な説明を始めてくれた。
「異世界、蔵人様のいた世界とは違う――魔術なる超能力が存在し、ドラゴンやゴーレムと言った幻の生物が住まう世界のことです。なお条件によって異なりますが、基本的に異世界へは今の蔵人様の状態のままで転生をします」
成程、言わばやり直しやセカンドライフのようなものか。
いざ死んでみると私のような人間でも、今までの人生に未練が無いわけでは無い。
それに、少し怖いが異世界での生活にも興味がある。出不精の身だが、いざ何処かへ行けば割と行動的になるのが私の性分だ。
「ちなみに蔵人様は
「
「いえ、生物ですよ。何と言いますか、緑や灰色の体色をした、二足歩行の怪物ですね」
「怪物? え、人じゃないんですかッ⁉」
思いもしなかった来世の自分の姿を聞き、私はおおきな声を上げてしまった。
「人間の身分になれるほど、蔵人様にはこれまでの人生で積み重ねた経験値がありませんよ」男は少し嘲た物言いをする。
なんてこった。英語で言うなら『Oh,my god』中国語なら『我的天哪』。
ここに来て、そんなモノが必要になるとは。異世界に胸を躍らせていた私はガクリと肩を落とす。
何より私の人生の経験値はそんなに少ないのか。こうなると具体的な数値が知りたくなった私は男に尋ねる。
「蔵人様の経験値は51ですね。大抵の方は500程持っています」
何と驚きの十分の一。あまりの少なさに落胆を通り越して乾いた笑いが込み上げてくる。
むしろ、500も経験値を所有している方が不思議に思える程だ。一体どのような計算や配分をしているのかと私が疑問に思ったことを、男は察知した素振りを見せる。
「経験値の内訳ですが、若い方はこちらが規定する
男はそこで舌で唇を湿らしてから言葉を続ける。
「一方で老齢の方は規定年数を超えた年を加算し、死亡時までに生んだ利益から経験値を算出します」
男の説明を聞いて愕然としてしまう。
つまり35歳と中途半端な年齢で死んだ私は完全に損ではないか。
死んだことに損だの何だのと文句は言いたくないが、これは流石に不公平であろう。
「しかし、これでは蔵人様のような方は非常に不公平です。そこで、対価を払うことで経験値を増す方法があります」
思わぬ男の言葉に私は身を乗り出しそうになる。
そんな方法があるとは驚きだ。対価という言葉に不穏な気配を感じざるを得ないが、聞くべきであろう。
「最も一般的な対価は五感ですね。異世界での転生時に対価として支払った五感は無くなりますが――まあ、場合によっては然程必要でもない五感もあるでしょう?」
男の意見には同意しかねるが、救済措置には変わりない。
「一先ず、蔵人様のお姿のままで転生の可能な経験値100を目指してはいかがですか? 蔵人様の場合ですと五感を
ん、ちょっと待て。
三つ? 三つと男は言ったのか?
生きる上で必要な五感を三つも支払って、私の経験値は百に達するのか。
冗談を言うな。余りにも価値が低すぎるではないか。
再び憤慨しかける私を宥めるように、しかしその言葉はあからさまな嘲りを伴って男は言う。
「蔵人様は生前に幾つかの五感は必要ないと考えていますからね。不要なモノを支払って他人と同じ利益を得ようなど、傲慢ではありませんか?」
いやいや、その理論はおかしい。
確かに味覚や嗅覚は要らないな、と思った時があるのは認めよう。しかし不当に経験値を下げるやり方としてどうなのだ。
断固認めんとする私に対し、男はまるでクレーマーを相手するような表情を浮かべてくる。
そして「では――」と男は半ばぶっきらぼうな声色で、一般プランの冊子を机に叩きつけ、粗雑に頁を捲る。
「なら一般プランにしますか? 元の世界での蔵人様の次の転生先は蟻ですが」
「――蟻!?」予想のできぬ男の言葉に私は怒りを忘れ、素っ頓狂な叫びを上げてしまう。
これは困った、非常に困った。
小さい頃に蟻の巣に水を流した記憶があるが、そうなるのは嫌だ。
一方で異世界では
究極の選択肢に私は唸りながら、必死に脳内の天秤に目を凝らす。真面目に物事を考えるのは久し振りで、私の脳は回転に回転を重ねた為に熱を帯びたようになる。
数分程熟考していただろう、私は意を決して五感を支払うことを選択する。無論耐え難い事だが、蟻も緑鬼族になるのも御免だ。
支払う対価は味覚と嗅覚、そして触覚。煙草好きにとって、味覚と嗅覚を失うのは手痛い。
何より触覚を失うのは非常に不味いが、視覚と聴覚の方が私には重要だ。
これで三つ。男の言う経験値100に達した。さて、これで緑鬼族になるのは回避できる。
「では支払った対価の合計値50を足して101。そこから手数料を引きまして……丁度100ですね」
ん? 手数料?
待て待て、何だ手数料とは。
聞いていないぞ。
「こちらもボランティアでやってはおりませんので。それに100も101も変わりませんよ」
男は笑いながらに言う。
納得はいかないが、先程のように彼を怒らしたくはない。それに彼の言う『1』の差異が変わりないのは私も同意できる
「さて経験値が100になりましたので、一先ず蔵人様は人間にはなれますね。しかし五感を三つ支払った以上、
役職とは勇者とか魔術師みたいなモノだろうか。確かに嗅覚や触覚が無いと言うのは、モンスターと戦う上で不便だ。
いや、というか私を含め現代人がモンスターだの魔物だのと戦えるのか、甚だ疑問である。
全身を鎧で固めて、銃でも剣でも持ってライオンや象と戦え、と言われるようなモノだろう。
ここに来て異世界という未知の世界への恐怖を抱いた私だが、既に撤回を求められそうにもない。
「そこで『ランダム転生』というものがあります。これは文字通り、何に転生するか分からない、ですが何にでも転生できる可能性があるモノです」
「何でも……って、何でもですか?」
「ええ。騎士なり魔術師なり、勇者なり、王様なり――変わり種では魔王や剣、ドラゴンやスライムなんてのもあります。」
うーむ、それはそれで勇気がいる。
男は言っていないが、ドラゴンになれるなら緑鬼族になる可能性もあるし、スライムとかもあり得るだろう。
嫌だなぁ、スライムなんて序盤の雑魚敵に転生するのは。
あんな形状では何もできないだろ。ニコニコしながら体当たりで何とかなる世界とは思えない。
だが良い可能性があるなら、賭けてみる価値はある。
一抹の不安を浮かべつつも、私はランダム転生をおねがいする。
「承りました、それではあちらの扉へどうぞ」
男が手を向けた方向にはいつの間にか木製の扉がある。扉だけが立っているのは不思議な光景で、見ようによっては現代アートのようだ。
「扉を開けて中に入れば、すぐに異世界へと転生します。また、転生する異世界の基本知識や概念及び獲得した経験値をスキル等に割り振りします。それは私の上司の管轄ですので指示に従ってください」
男は通告を終えると、すぐに机での作業に移ってしまう。もう自分の範囲の仕事は終わったと言わんばかりの様子は、お役人さながら。
規則に忠実と感心すべきか、愛想がないと文句を言うか。感じ方は人次第だろう。
私もそんな些細な事にいちいち目くじらを立てる質ではないので、扉に近づくと取っ手を掴んだ。
そこで私はこの扉が外開きと内開きのどちらなのか悩む。外見では判別できない。
だが取っ手に触れた瞬間、扉が内側に動いたので私はそのまま扉を開く。
眩い光が扉から溢れる。あまりの光の強さに私は反射的に片腕で目を覆いながらも、ゆっくりと光の中へ進んでいく。
「良い転生を」
遥か後方で男の声が微かに聞こえた時には、私の全身は光に包まれ、嫌な浮遊感が身体に纏わりつく。
次いで瞼を閉じたように視界が黒に染まり――
私の意識は眠りに落ちるように――闇の中へ沈んでいく。
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