第7話 民間伝承を読んでみよう

 神隠しと生贄の儀式について記載された文献を読んでみることにした。


『オトクイサマの伝承について』


 霧の深い夜に漁に出てはいけない。

 オトクイサマに連れていかれるよ。


 オトクイサマは女性や子供は家に帰してくれる。

 オトクイサマは男だけを連れていく。


 今にも雨が降りそうな。

 大漁になりそうな日がには、特に出歩いてはならない。


 次男坊は海を見に行った。

 オトクイサマに連れていかれた。


 長男だけは縛っておくんだよ。

 オトクイサマに連れていかれるからね。


 オトクイサマってなん何でしょうね。調べてもよくわかりませんでした。

 でも、古くは江戸後期にはこういった警句が紡がれていたようです。


 皆さんも瀬戸内に行くときは、霧の出る夜や雨の夜に海を見に行かないようお気を付けください。


『オトクイ島の最後の巫女について』


 瀬戸内海にある小梨島(現・理祖島)では、渇水になったときに雨ごいの儀式が行われていた。

 その儀式とは、山の上の方にある大きなため池に、妙齢の巫女を投げ込んで雨を乞うと言う今の時代であれば問題になるものであった。

 だが、この儀式実は江戸後期以降行われていないらしいのです。


 そのきっかけが、とある巫女が残した呪いによるものとのこと。

 その巫女は今でいうフェミニズムの片鱗を見せていたとのことで、女性ばかり生贄にされるのが許せなかったらしいのです。


 そのため、生贄の儀式の最中に恨み言を言いながら、そこに集まった男衆のをにらみつけながらこう言いは放ったという記録が残っています。


をなごの股から生まれてきた餓鬼がをなごを粗末にするのか!

 そんなにをのこが大事か!

 もういいそれであれば、をのこ同士でまぐわうがいいよ。

 をのこ同士で子を成すがよい。

 金輪際をなごに頼ることを許さぬ。

 繁殖すらをのこのみで行うがよいよ」


 男性たちは、気味悪がって儀式を簡略化したうえでそうそうに巫女を投げ込んだそうですが、その年は雨があまり降らず渇水で飲み水が不足したとの情報もありました。

 その後しばらく、この島がオトクイ島と呼ばれていた時期もあるそうですが、その情報は見つかり次第追記します。


 ……

 うむ、これだけではヒントにしかならないが、どちらも発生時期が江戸後期であることが一致している。

 そうなると考えるべきは、どちらが先かだろうな……。

 警句が語られるようになったのは、江戸後期以降。

 最後の巫女が投げ込まれたのは、江戸後期の儀式。


「巫女の呪いでオトクイサマが生まれて、そのオトクイサマが男を神隠ししているっていうのが自然な気もするな」

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