6.噂と真実
『月に行ける能力のある方、お話を聞かせてください。謝礼はそれなりにお支払いいたします』
とある掲示板に、無断でこのようなチラシが張りだされた。許可を得ていない掲示物だったので、町の担当者がさっさと撤去してしまった。
しかしその数日後、何十本ものガス灯に、まったく同じチラシが張られていた。もちろん、担当者はそれらも撤去した。
チラシの作成者の正体は、売れない童話作家だった。
――そのチラシは一枚だけ、とある職人の元へ届けられたそうだ。
その町には数年前から、集団催眠にかかったかのように、似たようなことを話す人々が現れた。
曰く「月にはウサギじゃなくて人間が住んでいる」だの、「ハシゴで地球に来ている宇宙人がいる」だの、「ガス灯から漏れる光を集めている不審者がいる」だの。
童話作家は、そのことが前々から気になっていたそうだ。
「俺はこういう職業なものですから、少しでも面白いなと思ったり、不思議だと感じたことには、首を突っ込みたくなるんですよ」
「なるほどなあ」
オルゴール職人は、シガレットをきゅっと噛みしめた。歯型がついてヘロヘロになったものは灰皿に捨て、新しいものを取り出す。
「あの……どうして火をつけないんですか?」
「あ? ああ、格好だけつけるために、こうしてるんだよ」
「面白い方ですね。それじゃあ、タバコの味を楽しめないでしょうに」
「俺から言わせれば、こんなチラシをつくるあんたの方が面白い奴だよ」
ぺしぺし、と職人はテーブルの上のチラシを叩く。ここは職人の店の中だが、今は臨時休業中であり、他に客はいない。
「あなただって、ごく普通のオルゴール職人を自称する割には、俺と話をしてみたいと連絡をくれるなんて、変わってると思いますけどね」
「それはな、俺もあんたも、インスピレィションが大事な仕事をしている訳だろ? あんたには無駄足だったろうけど、俺としては、こんなチラシをわざわざ作っちゃうような奴と話をしてみて、何かを得られればいいと思ったんだよ」
「はあ、そうですかあ……」
望んだ取材にならなさそうなので、童話作家はやや失望していた。
しかし、この店は面白い。箱型のオルゴールも、人形や動物をかたどったオルゴールも、棚を埋め尽くすように並べられている。実際に音が奏でられてはいないが、このきらびやかな光景を目にするだけでも、人によっては非常に満足しそうだ。
青年は、地球儀をかたどったオルゴールに目を止めた。
「あの地球、大陸がほとんど描かれてないですね。海と雲ばかりだ。これはわざとですか?」
「おう、見る奴によっては、きらきら輝いて見えるんだと」
「へえ……?」
さらに目をこらそうとした童話作家は、ふと奇妙な物音を聞いた。
「あの、何か転がりましたかね? ゴロンって、聞こえたような気が……」
「ああ、そうか?」
不思議そうに返す職人に、気のせいか……とひとりで結論づけた時。
頭に重い衝撃が落ちてきて、童話作家の両目から火花が飛び散った。
そして彼は、そのまま気を失った。
「おいおい、乱暴だな。もうちょっと紳士的に殴ったらどうだ? まあ、殴ることに紳士もクソもないか」
職人は、床に転がっているものを両手で救い上げ、定位置に戻してやった。
戻した先は装飾の細かな、細長い木箱だ。普段はカウンター席の下に置いてあるので、めったなことがない限り、職人以外が触ることはない。
ただどうしてか、この箱は時々、職人の知らない間に店のあちこちを移動しているのだ。
「動くことは出来るけど、天へは行けないのにな。お前さんに、地上の食べ物を与えたのはやっぱりマズかったかなあ。神話にだって、時々あるだろ。冥界の食べ物を食べたから、冥界の住人になっちゃう、って話がさ……。いや、そんなことはどうでもいいか。これでまた、余計な光景を見る住人が一人、減ってくれる」
まだ気絶している童話作家はおそらく、この店に何の目的があって訪れたのかを忘れている。たぶん、チラシを作製したことも。
「こういう因果にとらわれる奴は、少ない方がいいのさ。そう思うだろう?」
職人は、蓋をした木箱に話しかけてみた。
いつものことではあるが、返事はいっさいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます