第16話 健やかな領民の暮らしを守る「死神騎士と治療士」
辺境騎士団によって保護された商隊は、6人からなる小規模なものだった。
急な移動を余儀なくされたのか、積み荷の量も、荷馬車に広く空きが出来るほど少ない。積み荷を狙う野党が襲うにはあまりに貧相。傭兵が武力を持って潰しにあたる、武器や要人を乗せているわけでもない。ただの女性向き商品を乗せた商隊だった。
その点が、一層不可解だったため、彼らは「保護」の名目でトルネドロスに留め置かれることになった。
その日も、いつもと変わらぬ朝食の時間を迎えていた。
「あら? ミルマ、お化粧を変えたのね」
ふと、おかわりの水を注ぐミルマに視線を向けたエリーゼが、自身の唇をツンツンと指先で突いて見せる。
なんと、夫婦そろっての食事は第1回をもって完結とはならなかった。危急の案件が無い限り続いている夫婦そろっての食事の席。――エリーゼの食事光景に危機感を募らせたバレントと、恩義あるバレントと歩み寄れるのならばとのエリーゼの思惑が重なった結果なのだが。その回数も、最早両手の指では足りない程繰り返されることになっていた。
「エリーゼ……! まさか君が、手元以外に注意を向ける日が来るなんて!」
「奥様が……! 一心不乱に丸のみをされていた奥様が、食べ物と治療以外に興味を示されるなんて!」
「ミシェル様、ミルマ、ちょっとひどいんじゃないの!?」
喜びに打ち震える2人に、ぶすくれた表情を向けるエリーゼだが、ふと視線を逸らした先では、執事までもが目頭を押さえている。
「んもぉ、わたしだってお化粧くらい目に入りますよ! お化粧品には色んな効能の薬草や香草が使われていますし、加工方法だってエキスを取り出す方法が、製薬に通じる物もあるんですから」
憤慨して言うと、何故か3人は「結局、薬か」と呟くと同時にすとんと納得の表情を浮かべる。
「そうそう、この
どこかやけっぱちでミルマが話し始めた。
ミルマが付けていたのは、最近トルネドロスに保護された、隣国との行き来をする商隊により販売されているものだった。良くも悪くも隣国から物の流入の有るトルネドロス。商隊では、そんな土地でも見慣れない、小物や女性の好む化粧品なども多数扱っていた。
中でも人気が出たのは、ミルマも購入したと云う妖艶な紅に鬱金色の輝きを混ぜた、てらりと光るグロスだ。
(どこかで見た気がするのよねー)
薬草園に場所を移っても、エリーゼは傍で作業を手伝うミルマの唇にチラチラと視線が向かうのを止められない。
何か、重要なことを忘れている気がするのだ。
「奥様? ご興味がおありでしたら商隊の者を屋敷へ呼びましょうか」
「ん? なんで?」
キョトンとしたエリーゼの肌や髪は、ここへ来てから自身で作り始めたケアグッズで艶々だ。追放されて来た時のくたびれきった面影は、ない。「ですよねー」と苦笑するミルマを他所に、エリーゼは記憶の糸を辿って首を傾げるのだった。
その日の療養区画では、怪我や病気でない何人かの騎士がエリーゼの到着を待っていた。
自身の不調ではなく、家族や恋人にかかる相談らしい。衛生兵長は「外のことで奥様の手を煩わせるなんて」とちょっぴり不満げだったが、エリーゼ自身はその相談を快諾した。
ミシェル辺境伯が治めるトルネドロス領民のことなら、嫁いだ自分にとっても守るべき人たちだ。何より周囲の人の相談をされるほど信頼されたと実感できて嬉しかったのだ。
けれど、その表情はすぐに曇ることになった。
「内腿に赤い蕁麻疹――。で、そちらの方は瞼の腫れ。一時的なものだと?」
騎士と個別に行おうとした相談だった。けれど、彼女が来る前に衛生兵長が行った聞き取りで、共通した不調だと分かっていた為、まとめて行うことになっていた。
「そうなんです。朝にはひいているんですが、日中になるとまた出て来るみたいで」
「うちもです。それも、だんだんひどくなってるんです」
相談に来た騎士らには変調は無く、相変わらず『
「同じものを食べてるし、寝起きしている場所も同じ……なのに妻ばかりが体調を崩していって」
「俺の恋人も同じです……。俺や、彼女の家族は何でもなくって。いや、あいつの母ちゃんにも最近症状が出始めたとか言ってたかな」
しかも症状がでているのは女性ばかりらしい。
「同時期にあちこちで発生。病気の線も無いわけじゃないけど……。食べ物も、環境も考えにくい。女性特有? ううん、女性に発症しやすい? 女性だけが――」
呟いた瞬間、エリーゼの脳裏に閃いたのは「夜会の景色」と――。
(けど、確証はないわ)
「彼女らの持ち物で、確認して欲しいことがあります」
真剣な面持ちで、エリーゼは騎士らに告げた。
騎士らの相談から2日後。相談者から提供された持ち物の確認をした翌日から、その動きは迅速だった。
陽もまだ登りきらぬ早朝、商隊が留め置かれている街外れの宿の前。その玄関前で、領主命令を読み上げる辺境騎士団隊員と、受けた商隊の責任者である恰幅の良い男がにらみ合っていた。
周囲には、騒ぎを聞きつけた町人が集まって人垣を作り、何事かとさざめき合いながら聞き耳を立てている。
「何でいきなり販売の禁止だなんて! 理由だって曖昧なまんまで、街から出してもくれず、商売もするなって、俺たち商隊の者を飢え死にさせる気か!? 収入がなけりゃあ、飯も食えん。それにうちの商品は人気があるんだ。まさかその人気を妬んだ誰かが商売の邪魔をしようってのか!?」
いきり立って大声を上げるのは商隊の責任者だ。
「領主様からのご命令だ。複数の健康被害が訴えられている。即刻全商品の販売を止められよ、とのことだ」
騎士の言葉に、人垣はざわつき、商品を購入していた人々は顔色を青くする。
「そんないい加減な事、仰らないでよオニイサン? 私はずっとこの商隊の物を使っているけど、この通り、おかしいところなんて有りはしないわ? まぁ、美しすぎるところがおかしいと言われるならそうなんでしょうけど……?」
ふふ、と笑いながら宿から出て来たのは、商隊の広告塔とも言える女だ。彼女は広すぎる襟刳りから零れ落ちんばかりの胸を強調する夜着を纏って、騎士の前でしなをつくる。その唇は、妖艶な紅に鬱金色の輝きを混ぜた、てらりと光るグロスで蠱惑的に彩られて挑発的に弧を描く。
「とにかく騎士団屯所へ来てもらおう。商隊の者全員だ!」
「困りますね、我々はこのデンファレ王国が誇る、ガディリウス公爵家にも御贔屓賜る由緒ある商隊なんだ! このカルロッタだって、ガディリウス公爵様に特別に目を掛けていただいているのだぞ!?」
辺境騎士の指示に、権力者の名と自分との関係性を強調して、優位性を保とうと高圧的な態度を取って抵抗する。妖艶な女は名をカルロッタと言う様であるが、無意識に常態化している媚びを売る動きと、着用している衣服の露出の高さから、彼女をただの商隊員だと思うものは誰もいないだろう。だから「ガディリウス公爵様に特別に目を掛けていただいている」の言葉も、威圧と言うよりは、公爵の醜聞としてしか響かない。
何より、辺境騎士団へ商隊の捕縛を命じたのは、公爵などより関わり合いがあり、恩義もあり、恐ろしい上司でもある『死神騎士』なのだ。さらに今回の一件には療養区画での信任も厚い『治療士』である彼の妻までもが強く指示を出している。
「恐ろしさも、恩義も上の方々からの命令でね。顔も見ない公爵なんかより俺たちはあの方々の命令に従う。貴方がたも問題ないなら堂々としていればいい」
公爵の名を出しても何の恐れも示さない騎士らに、商隊の責任者は「後悔することになるぞ」と不快感も顕わな表情で、しぶしぶ従ったのだった。
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