044 バッドエンド

 ゲームの[バッドエンド]とは、プレイヤーが取った行動により、その世界やNPCとして登場する人々、あるいは主人公自身が救われない終わり方を迎えるエンディングである。たとえ、どんなに悲惨ひさんであれ、悲劇的ひげきてきであろうとも、物語には必ず終幕が用意されている。もっとも、いくつかの分岐点ぶんきてんに直面したとき、正しいとされる選択肢を引き当て(ヒントなしでは、なかなかむずかしいが……)、ハッピーエンド設定のルートへと進むことができれば、イヤな結末は避けられる。


 俺的には最近まで知らなかったが、[メリーバッドエンド]という種類のエンディングもあったりする。メリーとは愉快なことを意味する英語(形容詞)だが、そこに不幸な結末を意味するバッドエンド(和製英語)を組み合わせると、幸福と不幸の解釈が受け手により、分かれるそうだ。狭義きょうぎでは、受け手(俺たち)にとってはバッドのように感じる結末であっても、登場人物(中の人)からするとハッピー(幸福的)であるエンドらしい。架空の出来事だからこそ、さまざまな見方ができるというオチのようだ。……おそらく。


 俺が中学生のとき、単行本を集めて読んでいた漫画がある。連載している本誌での人気も高く、アニメや映画化もしたが、ある日、漫画の作者が「エンターテイメントの基本は、ハッピーエンドでなければならない」と語っていた記事を見かけ、それ以降、作品に対する興味が薄れた。あれほど発売日が待ち遠しかった単行本も、すべて古本屋で手放した。……たしかに、結末はハッピーエンドが望ましいのかもしれないが、連載中に断言されてしまうと、作中で必死にもがき苦しむ主人公に、共感できなくなってしまった。結局、今がどんなにツラくても、主人公には幸福な未来が(作者によって)きちんと用意されているぞ、と。つい、嫉妬に近い感情がわいてきて、純粋にストーリーを楽しめなくなった。ようは、主人公の努力は見世物みせものにすぎない。読者の応援は、意味がないということだ。作者の意図いとが気になって物語に集中できなくなった俺は、漫画を手にする機会が減った。


 主人公が底辺から奮起ふんきして、逆境を乗り越えていく姿は感動を覚えやすい。俺も、ひねくれる前はそうだった。


「……寝ちまってたか」


 すっかり暗くなった部屋で、ぼんやり目が覚めた俺は、ベッドから起きあがると、キルクスが置いていった燐寸マッチを使い、サイドテーブルの洋燈ランプに火を点けた。ほんの少し休むつもりが、1時間近く眠っていた。となりのベッドにキルクスの姿はなく、まだ風呂場から戻っていないようだ。



✓つづく

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