聖なる光は真実を照らした 全5話

助手は神様をきらう

 築六十年の年季の入ったアパートといえば、この辺りではわたしが住んでいるムサシ荘以外にない。木造二階建ての、見るからに古いその建物は、台風どころかそよ風でも倒れてしまいそうだけど、今のところ何とか原形を保っている。神様のご加護があるからとかなんとか大家が言っていた。


 確かに、加護でもなければ今にも倒れてしまいそうだけど、そのおかげで家賃はかなり安い。わたしのような花の大学生が住むような場所じゃないことはわかってるんだけど、それはさておき。


 いつものようにバイト先のネカフェへ向かうため、アパートの廊下へ。忌々しい夏の太陽は、今日も今日とて有害な光を、わたしへと突き刺してくる。


 扉を閉めて、鍵をかけてようとしたところで、扉に貼られているものが目に入った。


「ん?」


 扉には、だれがやったのかポスターが貼られていた。そのポスターには、天から降り注ぐ光と、それに相対するいくつかの人々が描かれている。彼もしくは彼女たちは目を布で覆い、その光を笑みをたたえて見上げている……そんなポスターである。端っこの方を見れば、「清浄なる光教団」という文字があった。どうやら宗教団体のポスターらしい。


 わたしはポスターの角に手をかける。両面テープでしっかり固定されているのか、なかなかはがれない。思い切って力をこめたら、ビリビリと音をたてポスターが破けた。こうなったらしょうがないので、雑にはがしていく。


 ものの数分で、剥がし終わった。


 朝っぱらからなんでこんなことをしなくちゃならんのか。わたしは神様なんてのが大嫌いなんだ。だってそうでしょう、神さまがいるならわたしを、いやわたしだけじゃなくてみんなを助けてくれるはずだろう。


 ――でも、そうじゃなかった。


 だから、わたしは信じないし、信じるつもりもない。


 ちりぢりになったポスターをぐしゃぐしゃに丸めてポッケに突っ込む。それから、階段の方へ向かう。

 一階へ続く階段を下りていると、男とすれ違った。同じ階に住んでいる確か――日向さんだ。わたしは会釈し、彼もまた会釈。わたしたちの関係なんてそんなもので、隣人とはいえこれ以上関わることはないだろう。


 少なくとも、この時まではそう思っていた。



「へえー」


 今朝のことをあまねに話したら、雑な相槌が返ってきた。


 時刻は午前九時を回ったところ。あまねが正対しているのは、話をしているわたしではなく、モニター上の折れ線グラフ。株価の変動を表しているらしい。あまねは一通り確認してから、折れ線グラフが表示されたウィンドウを消去した。


「宗教嫌いなの?」


「大っ嫌いです。あんなありもしないものをよく信じられますね」


「気持ちはわからないでもないけどね。私としては神様の一つや二ついてもらいたいけど」


「どうして?」


「そりゃあ、味方になってもらったら、株で一攫千金出来るかもしれないよ」


「……現金ですね」


 あはは、とあまねが笑う。


 扉がトントントンと控えめにノックされたのはその時である。


 どうぞ、とあまねが言うと、扉が開く。入ってきたのは男性。


「あ」


「あれ」


 わたしと彼の視線がぶつかる。その男性というのは、今朝顔を合わせたばかりの日向だった。


「およ、知り合い?」


「親しくはないんですけど、同じアパートに住んでいます」


「なんだかすごい偶然ね、まるで神様が縁を結んでくれたみたいです」


 また、神様か。


「…………」


 日向がわたわたとし始める。「な、何か怒らせるようなことを言ってしまいましたか……?」


「や、気にしないでくれ。彼女はちょーっと偏屈なんだ」


「誰が偏屈だ誰が」


「助手くんのことがへそを曲げてるのはその辺にでも置いておくとして」「曲げてない」「ここにいらしたということは、何かご依頼があると見受けましたが」


「そうなんです!」大きな声が静かな店内によく響く。「相談したいことというのは――」


 話し出そうとする日向を、あまねが手で制する。その手をVIPルームの方へと向けた。


「その前に、どうぞ中へ。扉を開けっ放しでは他の方に内容を知られてしまいますので」


 いつものようにあまねのツケで支払われたコーヒーを日向の前に置く。どうも、という声は緊張しているのか、狭い個室でもよく聞こえない。


 わたしはため息をついて、彼の緊張の原因となっているであろうあまねを見た。今日も今日とてセーラー服に身を包んでいる。丈があってないから、だるんだるん。動くたびに、袖がぶらぶら揺れる。胸元が見えてしまいそうになるたびに、日向の顔は赤く染まった。……年甲斐もなくあんな服装をしてると思ったら、彼も幻滅してしまうことだろう。


「今、私のこと噂しなかった?」かわいこぶったくしゃみののちにあまねが言った。


 わたしは首を振った。「まさか、そんな」


「だよねえ。さて、相談したことというのは?」


「あの、えっと、そのう」


「遠慮しないで。相談するためにやってきたんでしょ? それとも、隣の助手くんが怖い?」


「なんでそこで出てくるのがわたしなの」


「そりゃあ、今朝から目つき悪いからねー」


「……007一気見して寝不足なだけ」


「さいですか」


 日向はもじもじとしてなかなか口を開かなかったけども、意を決したように、


「あの、ポスターをはがす人がいて困ってるんです」


「ポスターですか。それはどういう?」


 日向が持ってきていたトートバックをごそごそと探っている。


 何か嫌な予感がした。――数秒後には、それが正しかったことが証明された。


 トートバックから取り出されたのは、A4サイズのクリアファイル。そのファイルが変形してしまうほどにおさめられたポスターの一枚を、日向はおずおずと差し出してきた。


「おや」ポスターを見たあまねが声を上げた。「これは助手くんが話していた」


 そのポスターは朝、剥がしたやつとそっくりだった。というか同じものであった。


 わたしはポスターを何度も見る。それから、隣に座っている日向のことも二度ならず三度も見てしまった。


 コイツが、ここ最近、いかがわしいポスターを貼り付けてきたのか。


 わたしは日向の方を向きなおる。小動物のように小さな彼の体が跳ねたけれども、知ったことではない。


「あのね、人の家にポスターを貼り付けるなんてどうかと思うわよ」


「す、すみません。でも、上からの命令で……」


「命令? 命令されたらなんでもするっていうの?」


「タンマ」あまねがわたしを遮ってくる。「命令されたってだれに?」


「えっとその、教祖様に」


「教祖様ってあなたはその一員?」


「はい。清浄なる光教団って言うんですけど」


「それはポスター見ればわかる」


「ちょっと助手くん。トゲがありすぎるよ、落ち着いて」


 わたしは自分のために用意したお冷(タダ)を飲む。キンキンに冷えたウォーターサーバーの水でも、燃えさかる怒りは止まりそうにない。あっという間にグラスを空が空になってしまった。


 わたしがのどを鳴らしていた間に、あまねはインターネットで清浄なる光教団について調べている。その結果が、モニターには表示されている。清浄なる光教団のホームページらしい、そのサイトのトップには、雲の切れ間から差し込める光の柱を写し取った写真が貼り付けられている。天使のはしごとか呼ばれるやつだ。


「ふうん。新興宗教なんだね」


「そうらしいですね。僕は入ってきたばかりなんでよくわからないんです」


「教えとか、信仰してる神様とか教えてくれないかな」


 教団のホームページには、教義とやらがデカデカと書かれていたけれど、あまねは日向に問いかける。


「確か、神から賜った清浄なる光を浴びることでありとあらゆることを知ることができるとか」


「その光を浴びたことは?」


「わたしはないです。でも、教祖様が」そこまで言ったところで日向は顔をしかめた。「あ、間違えた。前教祖様です、すみません」


「『前』? 教祖様が変わったのかい?」


 あまねは、モニターに視線をむけながら訊いていた。視線の先には、教団が生まれた日付が記されている。20xx年の4月2日らしい。ということは、どうやら五年前にこの教団は生まれたということになる。そうなると、教祖が変わったの、やけに早くないか……?


 日向は小さく頷くと、所在なさげに手をこする。


「ついこの前のことなんですけど、前教祖様が行方不明になられて」


「行方不明。教祖が変わったということはまだ?」


「そうなんです。警察に捜索届を出して一か月が経つんですけど、手がかりさえなくてそれで……」


「教祖が変わったということか。なるほどねー。名前は?」


「前の教祖様は聖ましろ様で、今の教祖様は灰田夜見様です。灰田様は、聖様の右腕と呼ばれていた方で、それはもう心を痛めてられているんです」


「ほう。右腕の方が教祖になったと」


「あの方はナンバー2でしたから。でも――」


「でも?」


 あまねの問いかけに、日向はうめき声にも似た音を発した。ちらとあまねの方を見てから、首をゆるゆると振った。


「あの、すみません。今の話はなかったことに」


「ああ、気にしないで。教祖が変わったのなら混乱はあるだろうしね。それに、君の相談は確かポスターの件だろう」


「そ、そうでした。えっと、ポスターを貼ってこいと命じられたのはいいんですけど、貼れる場所が限られてて……」


「だろうね。最近は警察とかもそういうのには敏感だし」


「ですです。それで大家さんに相談したら、うちなら貼ってもいいよって言われたんで」


 年老いた大家の顔が脳裏に浮かぶ。しわくちゃの顔には、不気味な笑みがいつだって浮かんでいる。格安で部屋を借りている私が言うのもあれだけど、陰気で根暗なばーちゃんだ。


 わたしは眉間を揉んだ。「あの大家なら言いかねない……」


「ホントなんですよ。僕も信じられなかったんです。絶対断られるだろうなって思ってたし。……でも、みなさんにははがされちゃってるから意味ないんですけど」


「ここにいる助手くんも剥がしてるみたいだもんねえ」


「当然でしょ、あんな意味の分からないポスターなんか貼り付けられたら、誰だってそうします」


「意味わかんないって……神様は本当にいらっしゃるのに」


「いてたまるものですか」


「まあまあ助手くん」


「助手じゃないです」


「そうは言うが、助手くんは神様が存在しないと断言できるのかい?」


「だって見たことないです」


「見たことがないからって、神様がいないとは言えないよ。助手くんの前にだけ、姿を現していないだけかもしれないだろう?」


「それは……」


 ぐうの音も出ない正論だったけども、納得はできない。


 わたしの前にたまたま出なかっただけ? 神様なら、ヒトっていう下の存在くらい全員守ってみせろよ――そう言いたくなる。言いたくなるけど、目の前にいるのは神様ではなくセーラー服を着た大人こと、あまねなのでぐっとこらえる。


「だからさ、見に行こうよ」


「見に行く?」


「そ、神様がいるかいないかその目で確かめればいいじゃん。神様を信仰している教団もおあつらえ向きにあることだしね」


 楽しそうにあまねが微笑んだ。「神様がいるとわかれば、助手くんもポスターを剥がさなくなるかもしれないよ?」

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