教団の中へ
清浄なる光教団の本拠地は、街の中心にあった。それほど大きくはないビルまるまる、教団のための建物となっている。ビルは真っ白に染め上げられていて、汚れ一つない。一見するとオフィスビルのよう。だけども吸い込まれていく人々は老若男女様々で、それに日向が身に着けているようなアイマスク姿が目立つ。
「それ、つけなきゃいけないの?」
「はい。前教祖様の指示で。見てはいけないものを見なくて済むように、だそうです」
でも、と続けながら、日向はアイマスクを装着していない人々へと目を向ける。
「最近は、教祖様の指示でアイマスクをつけなくていいことになって」
「ほう。教えを変更したということかい。それは興味深い」
何が興味深いのか、わたしにはわからない。気になることといえば、日向のアイマスクである。信者に対して与えられるらしいそれは、白いシルクでできている。金の刺しゅうがいくえにも施されており、星形をしているものもある。どこか神秘的で豪奢な印象を受ける。結構な値段がしそうだ。
「そんなことありませんよ」と日向が人差し指を立てる。
「一万円?」
「これは前教祖様がデザインしたものなので、消費税込みで十万円です」
「……理解できないわ」
「彼にとってはそれだけ大事なものということだろう。購入を強いられたわけじゃないんだろう?」
「もちろんです!」
「ならいいじゃないか。それで生活できないというんなら問題だろうが……」
わたしにはやっぱり理解できない。
神様というものも、それを信仰している人間のことも。
日向の先導の下、わたしたちは建物の中に入る。エントランスは室内灯がついているわけでもないのにすごく明るい。見上げれば、上は吹き抜けとなっており、天窓から日光が入ってくるようになっているらしい。それが白い壁で乱反射し、わたしたちや信者へと降り注いでいる。
宗教団体ってもっと怪しげな雰囲気があると思っていたから、意外だ。アイマスクをつけている人々がいなければ、営利団体と言われても信じたかもしれない。
「ツボとかネックレスとか売りつける人っていないんですか?」
わたしの同級生には、変な宗教にはまって、友人に対してよくわからないものを売りつけてくる輩がいたものである。かくいうわたしもよくわからない仏壇を買わないかと言われたことがあるけど、いつの間にかそいつはいなくなってしまった。元気だろうか、あの子。
「うちに限ってそんなことは!」
日向は最初こそは手をぶんぶん振っていたけども、やがてゆっくりになった。いくぶんか声を潜めて、これはあくまで噂なんですけど、と前置きした。
「教祖様が、そういった商品展開を行おうとしているらしいのです」
「それは、宗教的な?」
「宗教的かはわかりかねますが、ブレスレットとは聞いていますね」
「その教祖様って大丈夫なの?」
「……どうなんでしょう」日向の顔には困惑に近い感情が渦巻いていた。「前教祖様の右腕だった人なので、信じたいのですが……」
と。
エントランスがにわかに騒がしくなる。
見て、という声がどこかから聞こえた。人々の視線が四方八方へと向き、ある一点へと収束していく。
二階の、エントランス側に面した廊下に、いかにも偉そうな法衣を身にまとった男が立っていた。
「教祖様!」
バラバラの声が、興奮した群衆から上がる。人々は、有名人か何かを目撃したファンみたいに、黄色い声や歓声を上げていた。
灰谷という男は、自らを呼ぶ声に立ち止まり、耳を傾けている風であったけれど、やがて、手を上げた。そうするのが当たり前のことかのように歓声がぴたりと止んだ。自信満々といった目が、群衆を、わたしたちの上を撫でていく。一通り睥睨し終えたかと思えば、頭を下げて、再び歩き始めた。
小さくなっていく灰谷の背中へ、人々は羨望のまなざしを投げかけている。
あれが灰谷っていう今の教祖か。
「なんかいけ好かないですね」
「そうでしょうか……」
「背中で語るタイプなんだろうね。身長低いが」
わたしたちがそんなことを話していると、周囲から好奇と疑心が混ざった視線を投げつけられた。こっちみんなとばかりに睨みつけたら、ぎょっとしたように目をそらした。
慌てたように日向が、
「あ、あんまり教祖様の悪口は言わないでください……。その、みなさんの注目を浴びてしまいます」
「悪い、つい本音が」
「いえ。……僕も今の教祖様は苦手ですから」
呟くように、日向が言う。それをあまねはじっと見つめていた。
日向の後に続いて、わたしたちは建物の奥へと進んでいく。
蛍光灯に照らされた真っ白な通路は、子どもの頃に通っていた病院を思い出す。そこにはシミ一つさえなく、生活感は皆無だ。
通路を先へと進むにつれて、カジュアルな恰好をした人が減っていく。代わりに宗教的な色の強い服装の人が多くなっていく。それでも、アイマスクをつけた信者は半々といったところ。
ユニフォームに身を包んだ信者は、わたしとあまねを訝しむような目をむけてくる。部外者がなんでこんなところに――そう考えているのだろう。だが、日向を見ると、その表情はくだけたものになった。日向と信者たちはいくつか話をし、そのころには、わたしたちに対する警戒は弱くなっていた。
「いろんなことを学んでいってくださいね」
にっこりと笑みを浮かべて、信者たちは去っていった。
わたしとあまねは揃って顔を見合わせた。
「私たちのこと、なんて紹介したの」
「ええっと、学生さんで教団のことが知りたがってるって紹介したんですけど」
「それで相手はなんと?」ずずいっと身を乗り出して、あまねが訊く。
「疑問は抱いていないみたいでしたね。もしかして、子どもっぽかったでしょうか……」
「いや、いい、子どもっぽくて結構だ」
「だって子どもじゃ――」
言いかけたところで、つま先にズキンと痛みが走った。わたしはピョンピョンと片足で跳ねる。その時に見えたのは、あまねが口元に指を当てているところ。それ以上言うなってことらしい。たった今つま先を踏んできたやつはあまねってことで……あとで絶対覚えてろ。
「あ、あのケンカは」
「ケンカじゃない」
「そうそう、助手くんはいつもこんな感じでツンケンしているから気にしなくていい」
反論するのも面倒で、わたしは大きなため息をつくだけにとどめた。
日向を見れば、わたしとあまねのことを交互に見ては目をぱちくりとしていた。
「仲がいいんですね」
「そりゃそうだよね、じゃないと一緒にいてくれないよ」
「…………」
「前の人なんか、コーヒー淹れてきてって頼んだだけで水ぶっかけられたからねーひどくない?」
「……大変な思いをしてるんですね」
日向からのなまぬるい視線が、むしろきつかった。
「今どこに向かっているの?」
「神様がいるって言われている場所です」
「言われてるってことは、確認したわけではないということかな」
「はい、神様――と神様が照らし出すという光を見たのは、前教祖様だけで」
「今の教祖様も確認したわけではない?」
「そう聞いてます」
「じゃあ神様なんていないかもしれないということね」
「まあ確かに。たぶん、あの教祖は助手くんと同じこと考えてるんじゃないかな」
日向が目を丸くさせる。「教祖様が?」
「推測だけどね。なんていうか、信仰を笠に着てるように私は感じたからさ」
助手くんはどう思う、とあまねがわたしに訊ねてくる。わたしの意見はさっきと変わらないから、一言一句、同じ言葉で返す。
「いけ好かない」
「変わらないねえ」
「神様なんて信仰してるやつなんてろくでもないやつばかりに決まってる」
わたしが言えば、あまねは肩をすくめ、日向はアルマジロみたいに体を小さくしていた。だからといって、謝罪するつもりは全くない。
絶対神様なんていないし、仮にいたとしても、わたしは絶対嫌いだ。会った瞬間、ぶん殴ってやる。
「日向さん」
「ひゃっひゃい!」
「怖がらないで。今私たちは神様の下へと向かっているのだよね?」
「そうです。神様は地下五階の大広間にいるとされていますから、そこを目指すつもりです」
「神様は地下でまつられているのか。光は空からやってくるのではないのかな」
天井を、その向こうに広がっている青空を指さしながらあまねが言った。思えば確かに、この清浄なる光教団は、光というものを信仰している。清浄なる光というのは神様が与えるギフトのようなもので、それにあてられると真実を知ることができる云々。その光というのは、天から降り注ぐものだと、わたしも思っていた。
だけど、日向は首を振った。
「神様は地下に召喚されていて、望むものに光を照らすんだそうです。その光によって、この世の真実を知るのだと」
「この世の真実? なにそれ、世界が三百人に支配されているとか、そっち系の話?」
「さあ」びくびくしながら日向が答えた。「前教祖様は深くはお教えしてくれませんでしたので」
「謎に包まれていると。いいねえ、その謎を確かめに行こうじゃないか」
「別にわたしは……」
「逃げるつもり?」
「は? 逃げませんけど」
「じゃ一緒に行こう。逃げるつもりがないならさ」
案内よろしく、とあまねが日向の肩を叩く。びくりと体を震わせた彼はいそいそと先へと進み始める。
日向が階段の方向へと進んでいき、下りていく。地下一階、地下二階、地下三階……。下りれば降りるほどに、人気は少なくなる。
こつーんこつーん。わたしたちの足音だけが、雪が降りしきる夜みたいに静かな通路に響いていく。
「地下には何があるの」
「倉庫とか書庫とかがありますね」
「書庫」
あまねが目を輝かせる。彼女は、本とか知識とかそういったものに目がない。そのくせしてネカフェの個室にこもりっぱなしなのだから不思議だ。
「この教団の歴史とかが収められていそうでワクワクするな」
「どうなんでしょう。書庫にはあんまり行かないのでなんとも……」
「へえ、そうなんだ」
「はい。ほとんどは地下に入ることを許されていませんから」
「君は許されていると」
「あはは……僕はただ、前教祖様のために布教活動を行っていただけなんですけどね。模範的だからってことで幹部の地位をいただきまして」
わたしは日向のことを改めて見てみる。私服姿にアイマスクをした彼は、気弱な性格を隠しきれていない。でも同時に、その童顔には人懐っこさもある。人に好かれそうな人間だ。神様を好きだと言っていなかったら、わたしも好感を抱いていたかも。
「そんな君のおかげで神様とご対面できるかもしれないんねえ」
「いるとは決まってないけど」
「助手くん」
あまねが立ち止まって、わたしのことをじっと見つめてくる。わたしも立ち止まり、見つめ返した。
黒々とした瞳には、純粋な好奇心が星のように瞬いている。
「どうしてそこまで神様のことを毛嫌いしているの」
「別に……」
言葉を濁し、顔を背けても、視線は注がれ続ける。
わたしが答えるのを、あまねは何も言わずにただ待っていた。
だけど、わたしは答えなかった。
神さまが嫌いである理由を、他人が知って何になるという。それを知って、神様に文句の一つでも言うつもりなのか。あるいは神様を殺す?
それとも、わたしを――あの時死んだ人たちを助けてくれるのか。
そうじゃないだろう。じゃあ、話しても一緒だ。
口を真一文字にしてずっと黙り続けていたら、あまねが溜め息をつく。
「そんなに話したくないことなんだね」
ごめんね、とだけ呟いて、あまねが通路の先へ歩いていく。その後ろを、わたしを何度も振り返りながら日向が続く。
すぐには歩き始められなかった。
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