偏在する女

 仕事を終え、近くの図書館で頼まれた本を見繕ったら、お昼を過ぎていた。カロリーメイトを咀嚼しながら、わたしは42号室へ取って返す。


 通路を進んでいると、同僚とすれ違う。頭を下げると、あっちも会釈し返してくれる。その視線には同情が多分に含まれていた。妖精とか座敷童と言われているあまねの正体を知っているものはほとんどいなくても、探偵を名乗ってるやばい女だってことは共通認識だ。


 わたしは個室の扉をノックし「戻りました」と言って中へ。


 返事はない。あまねはモニターに向かい、キーボードを叩き続けている。何かを調査しているってことはわかるけども、パソコンには疎いわたしには理解できない。少なくともゲームとか、ブラウジングしているってわけではなさそうだけど。


 あまねの隣まで移動する。邪魔にならないように気を付けながら、雑誌を片付けて――やっぱり返却するの忘れてる――代わりに借りてきた本を積み重ねる。それでもわたしが戻ってきたことに気がついてくれない。いつものふんわりした雰囲気から想像もできない集中力。これがあまねである。この時ばかりは、探偵みたいだ。


「いつもこうならいいのに」


 わたしの言葉に、キーボードを叩く音が止まる。


 ぎょっとして隣を見れば、あまねがわたしのことを見てきていた。


「……聞いてた?」


「何の話?」


「いや、聞いてないならいい。ほら、コーヒー」


 ポケットから缶コーヒーを出して、机に置く。


「えー、助手くんが淹れたコーヒーがよかったなあ」


「すみませんね、今日はコーヒーを頼まれるお客さんが多かったもので」


「そりゃあしょうがないか。じゃあこれで我慢するよ」


「それで、何かわかりましたか」


「何もわからないってことがわかったよ」


「それは、どういう」


 これ見て、とあまねがモニターを指さす。見ると、検索エンジンが表示されている。あまねの小さくてぷっくりとした指がキーボードを叩いていけば、降矢紫乃という文字が浮かび上がってくる。


 最後にエンターキーが叩かれると、一致する結果がありません、と出てきた。


「該当するものがない……」


「そ、正直異常だねー。降矢紫乃って人が本当にいるとしたら、何らかの記録に残ってるはず。大学に通っていたのなら、論文くらい残っててもおかしくないのにね。それどころか、戸籍謄本さえ存在しないだなんて」


「どうやって戸籍謄本なんて調べたんです」


「……コホン。そんなのはどうでもよくないかな」


「いや、よくないでしょ」


「いいったらいいのっ。それよりも、これ見てよ」


「なんだか話を逸らそうとしてる気がしますが」


 してないよ、という声を聞きながら、わたしは再びモニターを見る。


 モニターから検索エンジンが消去され、代わりにいくつもの画像が表示される。画像は、いくつもの年代に分かれているようで、古代の壁画から、中世の絵画、近代の写真、それから現代のSNSのように多様な種類がある。


「これが……?」


「よく見てみて、特に古い方」


 そう言われて、近代の写真を見つめてみる。セピア色の写真には、軍服姿の男たちが並んでいる。その手には長い銃が握られている。映画とかニュースで見るやつと比べると、木製で古めかしい感じがある。わたしは歴史に詳しいわけじゃないけども、たぶん、第二次世界大戦の頃の写真なのではないか。遠くに見える戦車、その影に佇む黒い革ジャンの――。


「あれ?」


「気がついたかな」


「どうして紫乃さんが……」


 机の上に置かれたままになっていた写真を手に取り、二つを見比べてみる。見間違えではない。あれは、降矢紫乃その人だ。


 わたしは、モニター上のほかの写真に目を向ける。


 ディズニーではしゃぐJKたちの向こうに見える姿も、『夜のカフェテラス』の暗がりの中からこちらを見る人物も、旧石器時代にできたらしい壁画に浮かび上がったスカート姿の女性もどう見ても、降矢紫乃さんだった。


 いや、そんなはずがない。もしそうだとしたら、彼女はいま何歳……?


「あまねのいたずら?」


 わたしはそう言ったら、微笑みが返ってきた。


「私でもここまで完璧な合成はできないよ」


「ってことは、これは」


「合成じゃない、ってことになっちゃうね」


「じゃあ、紫乃さんのことはどう説明するっていうのよ」


「さあね。例えば他人の空似とか」


「でも、服装まで一緒ってことはあるの? というか大昔にスカートなんてそんな」


「そこはたまたまそう見えるってだけかもしれないよ。ヒエログリフがヘリコプターのように見えたみたいに、腰巻が偶然スカートのように見えているだけなのかも」


 言われてみれば、そうかもしれない。だけどなあ。


 写真に写りこんだ女性は、どこからどう見ても、水晶体を奪っていった降矢紫乃だ。どの写真も、わたしたちへとその切れ長の目を向けてきている。どこから見られているのか、知っていたかのように。


 背筋に冷たいものが走り、体がぶるぶる震えた。


「その水晶体については何かわからなかったの?」


「まだ研究途中みたいだからねえ。K大学でも発表されてなかったよ。借りてきた本とって」


 わたしは積み上げた本の一冊を、あまねへ渡す。水晶でできた頭蓋骨がこっちを見てきている表紙のやつ。


「これ知ってる?」


「さあ」


 わたしの答えに、あまねがふっと息を漏らした。今絶対笑っただろ。……後でバカみたいに苦いコーヒー持っていったるからな。


「クリスタルスカルって言って一時期流行ったんだよ。オーパーツだーってね。ほら、映画のタイトルにもなってるでしょ」


「映画って詳しくなくて、『地獄の黙示録』とか『ランボー』とかなら」


「何そのラインナップ、偏りすぎてない? ってまあいいや、とにかく、このクリスタルスカルは作ろうと思えばつくれるんだけど、すごく精密なの。実際の頭蓋骨とそん色ないくらいにね。だからオーパーツってことになったんだけど」


「だけど?」


「残念なことに、後世になってつくられたってのが分かってきたの。ドリルとかダイヤモンドの研磨剤を使用したとかね」


「じゃあ、オーパーツではないってことか」


「そういう見方が強いのは事実なんだけど、ほら見てよ、この不思議な感じ。十二個集めたら世界が終わりそうな雰囲気、しない?」


 わたしは、本の表紙と顔を突き合わせてみる。


 …………。


「別になんにも思わないです」


 あまねががっくりと肩を落とす。


「というか、わたし、こういうオカルト全然信じてないんで」


「血沸き肉躍るような映画ばっかり見てるやつはそうでしょうけども……」


「それより、どうしてオーパーツの本を?」


「クリスタルスカルとクリスタルキューブって似てない?」


「え、それだけですか」


「それだけってなにさ。クリスタルって言葉が一緒だから選んだと思ってないよね?」


 ねえねえ、と言いながら、あまねはクリスタルキューブの写真を押し付けてくる。ぺちぺちと写真が顔を打ってうっとおしい。


「じゃあ、理由を教えてください」


「しょうがないなあ。ほら、どっちも精巧に作られているでしょ。とくにクリスタルキューブに関しては、中にコインらしきものが埋め込まれている。にもかかわらず、水晶そのものには傷一つない」


 わたしは写真を奪い取って、目を皿にして見てみる。艶やかな水晶には摩耗さえしておらず、日光を浴びてピカピカ輝いている。


「確かに……」


「傷一つつけることなく埋め込むなんて、そんな芸当今の科学技術でもできないんじゃないかなー」


 そう言われて、クリスタルキューブのことを見ると、なんだか不気味なものに感じられる。禍々しいオーラを感じるというか。


 その時、くすりとあまねが笑った。


「――なんてね」


「は?」


「たぶん、何かしらの種があると思うよ」あまねがわたしの顔を覗き込んでくる。「もしかして信じちゃった?」


「だ、だましたんですか」


「いやいやいや。常識的に考えて、こんなことがあり得ると思うかい? 何かしらのトリックと考えた方がいいだろう。例えば、写真に加工を施したとかね」


「トリック……誰がそんなことを?」


「そりゃあもちろん、青柳先生さ」


「あの人が? 一体どうして」


「さあね。何冊も本を出されている方で、テレビにも時折顔を出す。知名度はある方だとは思うが、より多くの栄光を手にしたかったのだろうさ。世紀の大発見っていうね」


 わたしは依頼者の顔を思い出す。日焼けしたその顔は、ものすごい形相であった。死を目の前にして恐怖しているような――。


「あの人が、名声のために嘘をついてるとは思えません」


 驚いたようにあまねがわたしを見てくる。「それはどうして?」


「わたしと同じ顔をしていましたから」


 事故に遭った時のわたしと。


 死を覚悟したあの時のわたしと同じ顔を。


 ふむ、とあまねが呟いた。


「なるほどなるほど。わかった。助手くんの言うことを信じようではないか」


 だけども、と言葉が続く。


「どちらにせよ、先生には話をしなくてはな。その降矢紫乃という女性が鍵を握っていそうだからね」


「わたしも同意見ですけど……大丈夫?」


「ん、何が」


「外へ出られるのかなって」

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