0話(後編)

 

 ナパームと言う単語に、俺だけでなく、後ろにいた凛、史織先輩、白雪の三人も驚愕の声を上げる。


 それと同時に、俺は撮影に夢中で忘れていた、決して忘れてはならない、肝心なことを思い出した。


 俺たちが東京を離れて、わざわざ宮城にまで遠征した理由。


 ここでしか、特撮特有の大規模な爆破撮影ができないからと、わざわざ少数精鋭を組んでこの特撮爆破ツアーに参加したのだ。


「でも、なんでそんな急に⁉ 確かにやる予定だったのは知ってますけど……」


 突然の爆破宣告に納得がいかないのか、こんな状況にもかかわらず、凛はこの事態を引き起こした原因を探ろうとしている。


 危機の原因が俺にある以上、責任追及は避けなくては。

 

 そう思った俺はこの緊急事態に紛れて、何とか話を逸らせないかと話を終わらせようと試みる。


「そんなん、もういいだろ⁉ 早く、逃げないと……」


「撮影前の休憩のときに、英路君が言ったんだよ! 時間無いから、次で一回爆破入れてみるって‼ 皆に伝えておくって言ってたのに、やっぱり言ってなかったんじゃん‼」


 俺の主張に割り込んできた瀬名の告白に、瀬名だけでなく他三人の目が一斉に俺をにらんだ。


 この状況を乗り切るには一つ。勢いで乗り切るしか無い。


「なんでこんなとこでぐずぐずしてんだよ‼ 早く避難しないと、本当に死んじゃうぞ‼」


「「「「おまえが元凶なんだろうがぁ‼」」」」


 否定しようがない正論に、俺には反論の余地もなかった。

 

 撮影に夢中になって、爆破の件をすっかり忘れてしまっていたとは、彼女らの怒りももっともである。


 そうして元凶の俺をさておき、一目散に安全地帯のテントへと逃げ行く皆々。


 サークル代表を置いて逃げるとは、部下の風上にも置けない奴らめ……


 だが、俺もそんな恨み言を言っていられる状況では無い。一刻も早くここから逃げなくては、そう思ったのだが、


「あ‼ まずい、ロー・テクターが‼」 


 さっきまでの撮影場所に目を向けると、ロー・テクターのスーツが置きっぱなしにしたままだった。爆破に気を取られて、すっかり忘れてしまっていた。


 このまま爆発に巻き込まれれば、使い物にならなくなるどころか、こんがりと黒焦げになることは避けられない。


 それだけではない。この爆破体験一回で相当のお金を支払っているというのに、この機会を逃したら最後、今日のお宿のグレードダウンは確定だ。


 そんな事態になる前に、何とかして爆破シーンの撮影だけは遂行しなければならない。


 そんな思いに駆られた俺は、すかさず皆が向かう方向とは逆方向に、スーツを回収するために走り出そうと向きを変える。


 そんな暴挙に出た俺を引き留めようと、瀬名は俺の腕を強くつかんだ。


「ちょっと、英路君⁉ なんで戻ってるのよ⁉」


「だって、スーツがまだ……‼」


「けど、爆発をまともに食らえば、ただじゃすまないわよ⁉」


「大丈夫だって‼ 定位置でスーツを着るなら安全って、講師の人が‼」


「だからって、危険すぎだよ‼ 本当に、命にかかわるから‼」


「いいから、瀬名達は避難しとけ‼ 俺が何とか……!」


 心配する瀬名の腕を振りほどき、俺はスーツを回収しに、さっきの撮影場所にまで全力疾走を始めた。


 だが、瀬名の伝えた驚愕の事実が走り出した俺の足を鈍らせる。


「特撮で使う爆発って、島の形変えちゃうくらい、威力やばいんだよ⁉ 人間なんかじゃ、木っ端みじんだよ‼」


「……へ?」


 そう発した瀬名の言葉に、俺の血の気が一気に引き、時間が止まったかのように体の動きが止まった。


 恐怖に怖気づいた俺の足はまるで地面にへばりついたかのように固まり、次の一歩を踏み出せない。


 俺たちの中で一番特撮歴が長い瀬名のことだ。普通じゃ知らない裏事情までそろえている彼女の情報ははったりではなく、実例ありきの話なんだろう。


 そんな話を聞けば背筋が寒くなるし、前に行かんと振る腕だけでなく、地面を蹴るこの足にまで鳥肌が広がってくる。


 まともに食らえば、死ぬよりも悲惨なことになりかねないだろう。


 けど、だからこそ、俺はロー・テクターを見殺しにはできなかった。


 これを実現させるまでの俺と、そして俺の後ろにいる彼女らの奮闘を一番近くで見てきたのはこの俺なんだ。


 何度も諦めかけ、だけどもくじけることなく、ようやく手にしたヒーローへの夢。


 それを、たかだか己の命のためだけに犠牲にするなんて、俺にはできない。


「だからって、諦めてたまるかよぉぉぉ‼」


 たとえ、五体満足で帰れなくとも、ロー・テクターだけは無事に帰す。


 そう決心した俺は恐怖に震える体に喝を入れ、再び目的地へと足を走らせた。


 スーツを着られさえすれば俺は問題ない。


 むしろ心配なのは俺を心配して、いまだ突っ立っている瀬名の方だ。


 爆心地から多少離れたとはいえ、安全地帯のテントまではまだ幾ばくか距離がある。あの地点での安全は保障できないはずだ。


「瀬名はテントに戻って、なぎさに撮影続行って伝えてくれ‼」


 上空に視線を向けると、そこではドローンがいまだこちらを向いたまま撮影を行っている。


 それならば、休憩テントでそれを操縦している俺の妹、八神なぎさは俺の決意を理解してくれていると考えてよい。


 だが、そんな俺の避難勧告にも関わらず、瀬名は俺を心配してか、その場を一向に動こうとしない。


 しかし、そんな瀬名をなだめるように、彼女のすぐそばで史織先輩は優しく声をかけた。


「平気よ、小英。英路ならそう簡単に死にはしないわ」


 流石は我が特撮サークル最年長、史織先輩だ。積極的に瀬名の手を引いてテントへと走り去っていく。


 年の功と言うべきか、こういう緊急時に落ち着いていられる大人こそ、最も頼りがいがある。


 そんな俺の尊敬は次に続いた史織先輩の言葉で、一気に吹き飛んだ。


「いい、英路? そのスーツだけは絶対死守しなさい‼ せっかく手取り足取り教えてあげたのに、それを壊すだなんて絶対許さないからね‼ 死んでも守るのよ‼」


 前言撤回。俺の安全よりも彼女自身も製作に関与したスーツの方を選ぶとは。少しでも尊敬の念を感じたことが恨めしい。


「畜生……‼ 代表は俺だってのにぃ……‼」


 だが、確かに先輩のいう事は一理ある。現実的な面で考えれば、あれをもう一着作るとなると多大な予算と時間が必要になる。


 そうなれば、今年中に作品を完成させることはまず不可能だ。来年は四年生、就活で忙しくなる俺にとって、ロー・テクター完成までに残された時間はそう多くはない。


 俺もこのスーツ製作に尽力した一人、完成させるまでの多くの障壁と困難を考えれば、無下にはできないどころか、絶対無事に回収しなければならない。


「よっしゃぁ、滑り込みセーフ‼」


 スーツアクターさながらのスライディングで元居た撮影場所にたどり着く。


 だが、あいにくにも凛の野郎が脱ぎっぱなしのまま放置してくれたおかげで、あっちこっちにパーツが散らかって、ひどい有様だ。


 ただでさえ時間が無いと言うのに、ご丁寧なまでに余計な手間を増やしてくれている。


 だが、そんな無駄口さえも惜しい俺はスーツに足を通しながら、安全地帯のテントへ入る瀬名に残りのカウントダウンを聞く。


「瀬名‼ あと何秒⁉」


「もう三十秒切ってるわよ‼ 急いで、早く‼」


 残り三十秒を前に、ズボンの装着は完了した。

 時間配分としてはずいぶん余裕があるが、スーツを着用してから撮影位置に移動する手間があるのを考慮する必要がある。


 ロー・テクターの無事が最優先事項ではあるが、せっかくの爆破の機会も失いたくはない。


 残りの上半身を完成させるため、散らかったパーツをまとめ、一個一個腕に通していく。


 もともと、このロー・テクターのスーツは俺のサイズで製作したはずだ。一年ぶりくらいに着るが、別段、体形が大きく変わったわけでもない。すんなり通るはず……


「あれっ……入らない……?」


 と思っていたのだが、焦っているからなのか、なかなか腕にスーツが通らない。体内時計でもう十秒は経ったはずだ。


 焦りか、それとも冷や汗か、額に汗が流れ始める。


 だが、その汗で理解した。着ていくうちに感じる不快なベタベタ感は汗だくで着用していた凛のものに違いない。


 まったくろくな事しかしでかさない。ひどい置き土産を残してくれたことに怒りが頂点に達した俺は、どうせ死ぬのならと、凛に向かって一発恨み節をかましてやった。


「凛、お前、汗かきすぎだって‼ ベトベトして着にくいんだけど⁉」


 汗っかきという単語は年頃の女子にはかなり効くようで、肝心の凛は爆破までもう時間が無いというのに、わざわざ安全地帯のテントから飛び出して大声で反論してくる。

 

「そういうこと、女子に言うもんじゃないっすよ‼ あと、絶対嗅がないでくださいね⁉」


「うわ、くっさぁ‼ いつも肉ばっか食ってるからだよ、この体育会系女‼」


「はぁ⁉ 信じらんない‼ 爆発で死んじまえ、クソ代表‼」


 激昂してこっちに向かってこようとする凛だったが、そんな彼女を瀬名が強引に引き留める。


「そんな痴話げんかいいから、英路君は早くスーツを着なさいよ‼ 凛ちゃんはこっち‼」


 そうして瀬名に手を引っ張られながら、テントへと強制退場させられてしまった。


 ただ、そんな言い争いをしているうちに、上下どちらも装着が完成した。マスクを手に引き寄せ、頭に装着する。


「よし……スーツ着用、マスク装着。視界は……」


 マスクを動かしながら、視界を定める。


 市販の塩ビ板を駆使して製作したロー・テクターの目にはその赤い彩色が施された世界が見えるものの、問題ない。視界は良好だ。


 地面につけていた目印を探して、定位置を探す。幸いにも、目の前がそこだ。


「あった‼ よし、ここで……」


 なぎさが遠隔操作してくれているドローンも目についた。後はカメラに向かってポーズをとるだけ……


 そうしてポーズをとろうとした矢先、瀬名が突然大きな声を上げた。


 しかし、直後の爆音でそのすべてがかき消される。


「英路君‼ 後ろ‼」


「え?」


 意識する間もない一瞬の内に、まばゆい閃光と感じたこともない熱さが俺の背中を焼いた。


「うわぁぁぁっぁっぁぁつぁぁつぁぁつっぁアッツアッツ‼」


 爆発の勢いで思いっきり前に押し出され、その反動で軽く宙を舞う。


 ただ、爆破は一度で終わらず、その次、また次と連鎖的に爆破が続くうちに、いつの間にか俺は放物線を描くかのように空を飛んでいた。


 テントの方に目を向けると、まるで他人事のように爆笑している凛の姿が見えた。それにつられて、他のメンバーも笑いをこらえきれずに腹を抱えて楽しんでいる。


 鳥になったかのような高揚感。死を直前にするとドーパミンが大量に放出されると言うが、それは本当らしい。

 さっきまでの恐怖はどこへやら、妙な心地よさが俺の頭を満たす。


 ヒーローの撮影をしているというのに、これではまるで悪役の退場だ。


 そうして、俺の頭の中では、まるで走馬灯のようにこれまでの思い出が蘇ってきた。


 しかし、元はと言えば、二年前のあの日がすべての始まりだった。


 彼女との、あまりにも偶然な瀬名との出会いが、こうして俺を、憧れのヒーローたらしめてくれているのだから。

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