第1章 『夢(ヒーロー)の断念』

1話


「起きろー、英路」


 誰かが俺を呼ぶ声がする。

 昨日、作業の途中にいつの間にか寝てしまっていたのか、寝たときの記憶は一切ない。今、こうして布団の中にいるのが不思議な感じだ。


 十月になってはや二日、九月までの暑さはもうすっかり消え去ってしまった今の東京は布団無しでは肌寒く感じるほど、冷え始めていた。


 その気温が原因か、はたまた変な寝方をしたせいか、あと数時間は布団で惰眠をむさぼっていたいところなのだが……


「いい加減起きろって、今日、大学あるんだろ!」


 その呼び声は絶えることなく、俺のささやかな願いにまでも邪魔を仕掛けてくる。


 わざわざ起こしてくれるその呼びかけに、心の奥底でわずかばかりの感謝をしながらも、俺は狸寝入りを貫きとおすことに決めた。


 どうせ起きたとこで良いことなんかありはしない。それだったらまだ、夢の中でうつつを抜かしている方がマシだ。


「ダメかぁ……ようし、それなら……」


 諦めたかのような声。これでようやく平穏が訪れるはず。


 そう思いきや、その声の持ち主は俺の部屋のタンスからガサゴソと何かを取り出し、それを寝ている俺の頭に近づけてきた。いや、頭と言うよりかは耳に近づけたのか。


 そして突然の騒音が俺を現実へと突き放す。


『エコイスタート‼』


「うわぁ⁉」


 突然、耳元で発せられた機械的な音に驚き、反射的に体が反応する。

 寝起きで視界がぼやけ、世界をうまく認識できない。


 頑張って目を凝らすと、そこには一人の女性が一つの機械を携えて立っている姿があった。


 その手に握られているのは環境戦士エコイストの変身アイテム、DXエコイスター。なるほど、先程の騒音はエコイスターの起動音だったのかと納得する。


 そして、それを手にしている彼女の名は八宮ちお。


 高校時代に通っていた塾で俺の担当講師だった過去があり、その名残で今も俺は先生と呼んでいるのだが、同時に先生は俺が通う龍法大学の四年生の先輩だ。


「ちょっと……なんで、先生がいるんだよぅ……」


「お前のために朝飯作りに来たんだよ! いつまでも布団にくるまってないで、とっとと起きろ‼」


「でも、今日って確か休日でしょ……? 休みの日くらい……」


「その日曜だから起こしてるんだよ‼ いいのか? ニ・チ・ア・サ‼」


 ……ん? 日曜日?


「あっ‼ 忘れてたぁー‼」


 俺はすぐさまベッドから飛び降りると、パジャマ姿のままリビングへと全速力で向かう。


 すぐに現在の時間を確認しなければならないというのに、設備をケチった結果リビングには掛け時計一つもついていない。


 スマホは自室に置いたままだった俺は、いつの間にかキッチンにて朝飯の支度を終わらせようとする先生に助けを求めた。


「先生‼ 今、何時⁉」


「今? ええと、八時五十……」


「ニチアサ始まっちゃう‼ テレビ‼ テレビのリモコンは……‼」


 辺りを見回してリモコンを捜索する。テーブル、テレビ台、ソファー等々、目に映るものすべてに片っ端から探りを入れた。


 だが、不幸中の幸いか、ソファーの隙間に手を突っ込んだとき、そこに固い直方体のような物体があるのを手で確認した。


「あった‼ 頼む、間に合えッ……‼」


 リモコンの電源ボタンを押して、テレビがついたのを確認した俺は該当するチャンネルをただひたすらに連打する。


 だが、何もそこまで慌てる必要もなかったようで、テレビ上部に着いた現在時刻は八時五十五分あたり。九時まであと五分も残っていた。


 これなら九時から放送が始まる特撮ヒーロー番組、『環境戦士エコイスト』の視聴は何ら問題なく視聴することが出来そうだ。


「ひぃ~……何とか、間に合った……」


 そう言って、俺は近くの椅子に座りながらようやく一息をつく。起床してからと言うもの、無駄に焦燥感に駆られてしまったためか、寝起きだというのに既に疲労困憊だった。


「うし、完成‼ ほら、英路。座ってないで、とっととテーブルに運んどきな‼ 働かざる者、食うべからずってよく言うだろ!」


 そんな声がする方に目を向けると、先生もあらかた作り終えたのか、キッチンにはまるで朝のプレートセットと言う感じの朝食があった。ウインナー、卵焼き、パンにetc……


「わかってるよ、先生。今やるから……」


 エコイストの視聴と朝食用意の時間を被らせたくない一心で、俺はすぐに二人分の用意を進める。用意された皿を運ぶのはもちろんのこと、必要な調味料に箸やスプーン、さらには朝のコーヒーまでも用意する周到ぶりだ。


 それだけ、俺にとってニチアサの視聴は日曜の朝には欠かせないものとなっているのだから。


 そうして、最後にウインナー用のケチャップをテーブルに持っていくと、先生は既にそこに座っていて、優雅にコーヒーを馳走してしまっていた。


 ただ、料理にはまだ手を付けないで俺を待ってくれているあたり、つくづく気が利くというか、出来る人間だなぁと感心する。俺が来たのを確認して、先生はその両手を合掌させた。


「これで全部だな。それじゃあ、いただきます」


「いっただっきまーす……うん、美味しい……‼ 凄いね先生、もうプロ級だよ……!」


 一人暮らしを始めてまだ一年経たない俺とは違い、流石は一人暮らし歴四年の猛者だと改めて実感せざるを得ない。


 中でも先生の作るこの手料理は、昼夜問わずスーパーやコンビニの弁当に汚染されている俺の口にはまるで救世主な美味しさで、思わず顔には笑みがこぼれてしまう。


 そんな俺の反応に先生も満足がいったのか、その表情には笑顔が映った。


「だろ? いやぁ、英路もそろそろ、美人で年上の女がこうしてちょくちょく朝飯を作りにきてくれることをありがたいと思ってくれても良いと思うんだけどねぇ……」


「確かに、ありがたいけどさ……別に、こっちから頼んでないって言うか……」


「うっせぇ‼ あたしが面倒見たいんだから、お前は黙ってこの幸せを享受してれば良いんだよ‼」


「えぇ……理不尽……」


 中々に支離滅裂な先生の発言に、俺も反応に困る。


 ただ、そんな我儘が通るならと、俺は自分でも勝手だと自覚している要望を突き出してみた。


「それなら先生‼ 今日日曜なんだから、もっと早めに起こしてくれて良かったのにぃ…… 先生だって、エコイスト見るんじゃないの⁉」


「起こしても、お前が起きなかっただけだろ? それに、あたしは就活終わるまでエコイスト撮り貯めしてるから、別にいーの」


「えぇ⁉ 先生、まだ見てなかったのかよ⁉」


「仕方ないだろ? 見たいのはやまやまだけど、先月からずっと就活続いてて、見る暇無いんだよ。今週だって全部面接なんだから」


 就活について話す先生の表情はいつも陰鬱だ。とはいえ、四年生後半にもなって内々定さえもらっていないのだからそんな先生の焦りも納得ではある。


 だが、そんな先生の発言の中に、俺には一つ気にかかることがあった。


「ん……? でも、今週ずっと就活ってことは……まさか、週末のエキスポもいけないってこと……⁉」


「あぁ……そういや、そんな約束してたなぁ……まぁ、行けないけど」


 大事なイベントの欠席を軽く告白する先生。俺としては楽しみにしていただけあり、その衝撃はあまりにも大きかった。


「えぇぇぇぇ~‼ チケット二枚分買っちゃったのにぃ……」


「必ず行くとは言ってなかったろ? 就活浪人するわけにはいかないし、背に腹は代えられないって」


 そう言う先生の言葉は内定をもらっていない大学四年生の発言としては百点満点の回答だ。


 しかし、それはあくまで先生の理屈に過ぎない。俺としては楽しみにしていただけあって、そのお預けには抵抗の意を示したいところ。


 だが、そんな俺の反論を見透かしたかのように、先生は卵焼きをつまんだままの箸を俺の方に向けて、それを封じる。


「それに、まだエコイスト見てないあたしが行っても、別に面白くないだろ?」


「ぐぬぅ……」


 確かに、それは否定できない。特撮オタクの俺としても、まだ見ていない作品のイベントにファンでもない人間を連れていくのには気が引ける。


 それが先生なら猶更だ。数少ない特撮オタクの知り合いの頼みを無下にはできないし、俺としても、先生がエコイストを視聴してから一緒にイベントを楽しみたい。


「まぁ、そう言われちゃあ、引かざるを得ないけど……ていうか、先生。この時期に内定無いってやばくない? 外部生でも俺たち、一応龍法生だよ?」


 そう言う俺の指摘は図星だったのか、途端に先生は躊躇なく動かしていた箸を止め、こちらをじっとにらんだ。


 俺と先生が通う龍法大学は日本でも屈指の有名且つ最難関私大だ。一般に、龍虎と呼ばれる二大私学で名をはせており、その片翼である龍法大学は名前の通り、法学部を看板学部としており卒業生も法曹や官僚などを多数輩出している。


 それだけでなく、長年続く龍虎神話の信頼と実績は確固たるもので、政治、法律関係でなくとも、就職に強い大学ランキングではトップ10を維持しているのが常となっている。


 そんな龍法大に在籍している以上、就活ではある程度の箔が付くはずなのだが、どうやらそれが機能しないのは俺が原因らしく、その元凶である俺を指さして先生は悪態をついた。


「お前なぁ……去年、あたしの大事な就活時期を受験で奪ったの、どこのどいつだ‼」


「そういや、そうだった……」


 よくよく思い返せば、先生の就活をここまで遅らせた張本人は俺だ。


 今の大学生は三年からインターンやら説明会やらで就活が始まるというのに、先生は俺の受験を優先してたくさん塾のバイトに入ってくれていたんだっけか……


「いやぁ、受験生だったもんで……」


 そう頭をかいて釈明するが、一度スイッチが入った先生の説教モードはまだまだ続きそうだ。適当なところで切り上げたほうが俺にとってはありがたい。


 まぁ、一番の理由はもうすぐ、エコイストが始まってしまうからなのだが。


「そもそも、お前が早くから……」


「あっ、ごめん、先生! エコイスト始まっちゃったから、また後で‼」

「ちょっ、英路、お前‼」



 テレビの時計はちょうど九時を迎え、それと同時に画面もCMから番組へと変わる。


 間もなくして、子ども心くすぐる熱いヒーローソングが俺の心を震わせ、画面いっぱいに大きく番組タイトルが映し出された。


 環境戦士エコイスト。俗にいう特撮ヒーロー番組だ。


 特殊撮影技術、通称特撮。


 海外ではSFXと呼ばれるなんとも大そうな名前であるが、日本における特撮のあり方はそういった他の国々とは大きく異なる。


 大手映像会社『英撮』によって製作された特撮ヒーロー作品、それが日本における特撮の愛称。世間一般の認識で言えば、子どもの頃、誰もが見たことある特撮ヒーローだ。


 変身玩具で変身ごっこをし、ヒーローのように戦闘ごっこをした経験は別段珍しいものではない。誰しも心当たりがあるようなヒーローの道である。


 今現在放送中の環境戦士エコイストもその類いの一つ。


 環境汚染が深刻化した近未来の地球に、突如として発生したスーアと呼ばれる怪人と残存人類の戦いを描く本作だが、まぁ、細かい話は置いておこう。本気で話したら最後、軽く数ページは続くエコイストのあらすじで時間を浪費するわけにはいかない。


 それくらい、特撮ヒーローは子ども向け作品の代名詞と言える存在だが、そう銘打っておきながらも、その市場規模は他のサブカルチャーと比べ頭ひとつ抜きん出ていると言えるほどの影響力を持つ。


 前述したエキスポもその一環だ。新たなヒーローが登場する度、それを記念して開催されるヒーローエキスポ。それをはじめ、玩具、映画、雑貨等その経済力は馬鹿にならない。


 そんな市場規模の背景にいるのは先生や俺をはじめとするコアな大人の特撮オタクだ。


 理由は至って単純。子ども向けとして認識されている特撮ヒーローだが、その凝った設定や伏線の回収などは決して子ども向け作品に余るものではないからだ。 


 そんな特撮の奥深さに再び魅了された俺たち特撮オタクが一度絶たれたとはいえ、今年で半世紀に突入する特撮界隈の一端を担っていると言っても過言ではないだろう。


 それほどに、特撮には底知れない魅力が存在する。


 俺こと、八神英路もそんな特撮の魅力に再び沼ってしまった一介の特撮オタクだ。


 大学生になった今でさえ、俺に特撮を布教してくれた先生の教えを受けながら彼らの世界を堪能している。


 いつか、彼らのようなヒーローになりたい、そう信じて。


 

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