2話

「いやぁ、今日のエコイストも最高だったぁ……」


 楽しい時間とは一瞬にして過ぎ去るもので、体感時間としてものの数分のうちに、エコイストはその放送時間を終えた。


 それと同時に、ようやく朝食を食べ終えた俺は、テレビに映る次回予告に心を弾ませながら、今日のエコイストの余韻を楽しんでいる。


「まさか、十話にして味方サイドの裏の顔が発覚するなんて……あぁ、来週が楽しみで仕方ない……‼」


「いやまぁ、確かに面白かったけどさぁ……」


 だが、そんな俺とは対照的に、先生はどこか訝し気な様子で、俺が食べ終えた皿を片付けていった。


「でも、わざわざ環境なんて小難しい設定使う理由がよくわからんなぁ……特撮が子供向けってのは認めるとしても、別に教育番組ってわけじゃないんだし……」


「何言ってんのさ、先生‼ そんな難解なテーマを、ここまで昇華できるってのが凄いんじゃん‼」


「わかった、わかったからそんな怒るなって‼ ったく、これだから、将来の夢がヒーローだなんて言い張る奴は……」


「なにを⁉ ヒーローになりたいって俺の夢、馬鹿にしてるのかよ、先生‼」 


 ヒーローになりたい。それは子供の頃特撮ヒーローを見たことがある人なら、誰もが持ったであろうすべての子どもに共通する普遍の夢だ。


 大学生になった今でこそ、特撮の裏事情といった、いわゆる小ネタの方が興味深いのは言うまでもない。例えば、それが完成するまでの予算、製作、技術等々……


 しかし、そんな事情を知らない、真っ新な状態にもかかわらず、英撮が作り、そして変身したその特撮ヒーローにあらゆる子どもが目を奪われた。


 彼らのようなヒーローになりたい。当時、特撮ヒーローを見ていた誰もがそう願ったはずだ。


 なぜ、そこまでヒーローに憧れを抱いたのか、今となってはその理由はもはや曖昧となっている。


 ヒーローのカッコいいフォルムや戦闘描写に魅入られたのか、それともその信念の在り方に共感を得たのか、その具体的な理由については、俺の中では既に十何年も前のこと、もう思い出すことは難しい。

 

 しかし、ヒーローになりたい、子どもの頃の俺にそう思わせてくれたことは間違いない事実だった。


 現に大学生になった今でさえ、俺は本気でその夢を追い続けているのだから。


 いや、それは語弊だった。正しくは、追い続けていた、というほうが適切だろう。


 何故なら、ヒーローになりたいという夢は、残念ながら、どこまで行っても世迷い事の夢に過ぎないようであるからだ。


 目が覚めたら最後、見ることも、ましてや思い出すことさえままならない夢と同じで、俺が夢見たヒーローへの夢は、いまだ叶えられないでいるのが俺の現実。


 先生はそんな子どもじみた夢をいまだ忘れられないでいる俺を嘲笑するかのように、はっきりと現実を射た一言で俺の淡い幻想を容赦なく打ち砕いた。


「だって、虎徹大落ちた今じゃ、ヒーローになるなんて夢、あって無いような話だろ?」


「っく……それを言われると、何も言い返せない……‼」


 何とか反論したいところだったが、先生の言うことには一切の語幣が無いのは、疑いようもない事実だった。


 なにせ、反論したい俺自身が痛いほどその現実を理解してしまっているのだから。


 八神英路はヒーローにはなりえない。


 それが、つい六か月前に現実が俺に下した残酷なまでの判決だった。


 だが、はいそうですかと引き下がれるほどに、俺のヒーローへの思いは脆弱ではなかった。


 既に季節が半周するにもかかわらず、なかなか踏ん切りが付けられずにいる俺はこれといった大学生らしいこともせず、いまだにヒーローへの夢を捨てきれないでいる。


 そんな夢追い症候群の俺を諭すかのように、先生は言葉を続ける。


「ていうか、英雄会に入れなかったこと、まだ引きずってるのかよ……もう、6カ月だぞ⁉」


「まだ‼ 六か月だよ、先生‼ そんな簡単に英雄会のこと、忘れられるわけないじゃん‼」


「いやさぁ、火をつけたあたしが言うのもあれだけど、そろそろ熱り冷めることじゃない? 虎徹大の学祭連れてって、もう一年半経つのに、なんでお前はそんなに引きずるんだよ……」


 先生自身も知っているだろうことを先生はあえて、俺に問いただす。

 ならばと言わんばかりに、俺は自分が英雄会を諦められない理由、もといその覚悟を、堂々と先生に言い放った。


「だって、英雄会は俺に特撮を復活させてくれた恩人なんだよ⁉ そんな英雄会で、ヒーローになる夢を叶えられるチャンスがあったって言うのに、それを逃したんだから、そりゃあ引きずるよ‼」


 英雄会、それは私立最難関大学群として知られる、龍虎の片翼、虎徹大学に所属している大学公認特撮サークルの名称だ。


 創設者は、現在の英撮で特撮ヒーロー作品の製作を担っている敏腕プロデューサー。


 そのつてもあってか、英雄会の設備は大学の一サークルにしては恐ろしく規模がでかく、虎徹大を代表する学生団体として名を馳せている。


 つまり、虎徹大に入学し、英雄会に入るという事は、俺の長年の憧れであるヒーローになるという夢を叶えられる、俺にとって千載一遇のチャンスだったのだ。


 そんな機会を逃したことを、そう簡単に忘れるわけがない。


 特に、一度卒業した特撮を俺に再燃させてくれた英雄会への憧れ、もといその悔恨はいまだ胸の奥に引っかかっているのだ。


 だというのに、先生はそんな俺の思いなど素知らぬ様子で、いつの間にか片付けも含め、すべての支度を終えてしまっていた。


 就活用のスーツに身を包んでいるその姿は、まるで今にも外出しそうな雰囲気を醸し出している。


「どうでもいいけど、面接には余裕持っていきたいんだから、英路もとっとと用意しろよ? 遅かったら、置いてくからな」


「人の夢を話半分で聞いてくれちゃって……でも待てよ、今の時間は……」


 そんな先生の言葉を受けて、ふとテレビの時計に目をやると、朝食を始めてから既に三十分が経過していた。エコイストに集中しすぎたのか、あまりにも時間を浪費させてしまっていた。


「うおっ⁉ 結構、時間やばいぃ‼」


 急いでテレビの電源を消し、洗面所に向かう。


 秒で顔を洗った後、歯ブラシを口にくわえたまま自室へと戻り、パソコンやら筆記用具やらをバッグに詰め始めた。


 今日は大学の授業日。虎徹大なら喜んでいくというのに、わざわざ休日の日曜日に、それも不本意のまま入学した龍法大に登校しなければならないというのは非常に恨めしい。


 とは言えだ。親に莫大な学費を払ってもらっている以上、そう簡単に休むこと親に対して申し訳がつかない。


 万が一休むことがあるとすれば、それは何よりも優先しなければならない場合に限る。


 そうしてバッグに荷物を詰め終えた俺は、そのままの勢いで着替えも同時に始めた。


 ただでさえ大学生はおしゃれが基本だというのに、龍法大はその特性上、おしゃれの基準がべらぼうに高い。下手な格好をしていけば、目につけられること間違いなしだ。


 それ故に、俺が選択した今日のコーデはチノパンにパーカーというザ・大学生という着こなし。ちょうど秋ごろに差し掛かってきた今日ならば、季節的にも問題ないはず。


 だが、ようやく荷支度、身支度のすべてが終わったというところで、先生はとうとう愛想をつかしてしまったのか、玄関のドアが開く音と同時に、俺への別れの言葉が聞こえてくる。


「いいや、先に行ってるから、頑張って追いついてきなー」


「じょっとばってぇ……‼」


 しかし、歯磨きをしたままの聞くに堪えない声では先生を止めることは出来ず、そのままドアはバタンと閉まってしまった。その音を聞いて、いよいよ俺にも焦りが芽生え始める。


 先生の面接先の会社は龍法大の最寄りから二駅先。どうせ方角が一緒ならば、一緒に行こうという事で共に家を出ることにしたのだが、出発時刻に余裕のある先生と違って、エコイストのリアルタイム視聴のために、ギリギリを責めている俺の方はそうはいかない。


「ぶはぁー……‼ 急げ、急げ俺ぇ‼」


 歯磨きを終えた俺は、自分自身にそう言い聞かせながらすぐさま洗面所を出る。


 そうしてそのまま玄関にまで向かうと、既に背負ったままのリュックととともに、勢いよくそのドアを開けた。


「行ってきまーす‼ ってまぶしぃ……」


 誰もいない自宅にそんな独り言を言い残す俺の頬を、輝かしい朝日が照照り付ける。


 十月初旬の東京の朝はもう肌寒さを感じるものの、それを打ち消すかのような日光の温かさは何とも言えない気持ちよさがあるものだ。


 しかし、普段ならそれも良いとして、今はそう余裕ぶっていられる状況でもない。すぐさまアパートの階段を下りて、先に向かった先生に追いつこうと、駅まで続く一本道を俺は全速力で走り抜ける。


 一人暮らしだからと言う理由でケチって自転車を買っていないのだが、毎度こうして徒歩二十分の距離を走るというのもなかなかに考えものだ。


 バイトでもして、資金繰りを始めてみようか…… そんなことを考えている間に、前方にいる先生の姿が目に映った。先生も俺に気付いているようで、こちらに手を振ってくれている。


「なんだ、だいぶ早かったじゃないか」


「そりゃあ、はぁ、授業に、遅れるわけにも、いかないしねぇ……はぁ、はぁ……全力疾走、じてきたぁ……」


「ニチアサ見ながら飯食って、終わった後も余韻に浸ってちんたらしてるからだろ? もうちょい時間に余裕持ってもらいたいもんだけどねぇ……」


「本当、ごもっともです……」


 ここまで来るのに酷使した肺に酸素を供給しながら、先生の歩幅に合わせて息を整える。


 そうして俺の息切れがおさまると、先生は先ほど打ち切られた話の続きを再開し始めた。


「にしても、なんで虎徹に落ちて龍法に受かったんだろうな? 普通、うちの大学の方が受かりにくいはずなんだけど……」


「そうだよねぇ。内部からの進学者がいる分、龍法の方が倍率は高いはずだったんだけど……」


 俺達の通う龍法大は俺と先生のように一般入試を経て入学する通称外部生の他に、系列校からエスカレーター式に進学してくる内部生が存在する。


 いや、在学生の七割強を占め、龍法の実権を握っているのが内部生であることを考えれば、むしろ内部生の他に外部生がいるといった方が適切かもしれない。


 そう言った背景があるために、龍虎という大学群では虎徹よりも龍法の方が受験難易度が高いという風潮のはずなのだが、肝心の虎徹大はあらゆる学部で不合格を突きつけられたというのに、滑り止めとして受けた龍法に、俺はどういうわけか合格してしまったのだ。


 とは言え、俺を含めた外部生にとってはその内部生が目の上のこぶのような存在に他ならないのだが。


「けど、その内部生の奴ら、上流階級出身だからか知らないけど、自分達こそ真の龍法生みたいな選民思想持ってるから、意識高くて苦手なんだよ。なんていうかさ、俺ら外部生に対しての差別意識? それが強いじゃん」


「昔はあんなにひどくなかったんだけどなぁ……あの学生代表になってからだよ、外部生の肩身がここまで狭くなっちゃったのは」


「そう、そいつ‼ 俺の入学式のときなんて、あの学生代表、ご丁寧にも新入生の中から外部生の数をあえて抜かしたまま代表挨拶してたんだよ? 本当、子どもかって話……」


 そう内部生に対する文句を口にするものの、それは俺達外部生からすれば、言って当然のようなぼやきに他ならない。


 彼ら内部生はわざわざ龍法の系列校に通えているあたり、その出身には無論目を見張るものがある。官僚や有名社長の子息等々、一般階級の俺たち外部生とはそもそもとして格が違う。


 そんな出自と、長年龍法に在籍しているという事も相まってか、彼らは国民意識ならぬ龍法意識がものすごく強い。それこそ、俺達を外部生、自分たちを内部生と呼んで露骨に差別をするほどに。


 入学早々にそんな内部生と外部生の格差を思い知らされた俺はそのことを口にして、ついカルチャーショックのような感覚を得たことを思い出し、いつしか俺と先生の会話は意図せず入学した龍法大への恨み節へと変わってしまっていた。


 特に、望まぬ入学だった俺の文句は際限なくあふれ出してしまい、その文句はとどまるところを知らない。流石の先生も辟易した様子を見せ、何とかして話の河岸を変えようとしていた。


「でも、そこまで外部生ってことを卑下する必要もないと思うぞ? 入試受けてない内部の奴らよりは外部生の方が確実に頭は良いわけだし、それこそお前の代で主席の入学生代表の子いたじゃん?」


「あー……あの、法学部の女子?」


 先生が話すその人物は、恐らく今年の入学生代表挨拶を引き受けていた、俺の代の首席合格者だろう。


 名前までは憶えていないものの、彼女の容姿端麗で尚且つ成績優秀だと言う噂は大学生活が活発ではない英路の耳にも届いている。


 入学式でも一目見たことがあったが、まさに、才色兼備を具現化したような学生だった。何たって、首席合格。入試で最高点をたたき出したという意味なのだから当然と言えば当然だ。


「そうそう、あの子なんて半年たってもまだ人気だし、自治会ともつながりがあるとか……まぁ、もしかしたら内部生かもしれないけど……」


 そんな心配をする先生だが、俺にしてみればそれは杞憂以外の何物でもない。


「いや、確か法学部って言ってたから内部じゃないはず。うちの法学部は、確か内部だろうが入試が必要だし、そのまま進学すれば試験無しで入学できる内部生が、わざわざ落ちるリスクを背負うわけないでしょ?」


「まぁ、それもそうか……さすがは、うちの看板学部なだけあるなぁ……」


 そうして、どこへ向かうかも定かでは無い、そんな昔語りに修正をかけるべく、先生はこの話題の当初の根本へと話を戻した。


「ま、今更龍法に入学したことをうじうじ言っても仕方ないだろ? そんなにヒーローになりたいんなら、就職先を英撮にするのはどうだ? 一応、今週の水曜に英撮の面接受ける予定なんだけど……」


「正直なところ、望み薄じゃない? 虎徹大出身が多い英撮が、長年の因縁がある龍法生をわざわざ採用すると思えないし、そもそも英雄会だって、その創設者が英撮に入社して、そのつてで色々な技術提供を受けてるわけだからさ」


「げっ……面接前に、そういう事言うなよ……」


 そんな感じで、先生が提案しては俺がそれを叩き切るといったような負のスパイラルが俺と先生の間に生じ、その中で行ったり来たりを繰り返していた。

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