0話(中編)

「カァァァッッットォォォ――――――――!」


「えぇぇぇぇ~~~~~~~~~~~~~⁉」


 雲一つない青空に、一人の驚嘆の声が響く。


 だが、そこには半壊した大学はおろか、相対している怪人の姿さえ存在しない。


 代わりにいたのは、さっきのカッコいい決め台詞とは程遠い、弱弱しい声を上げるロー・テクターの姿だった。


 ついさっきまで構えていた凛々しいポーズを崩すと、膝からヘロヘロと地面に崩れ落ちる。


 そうして「ぷはぁ」と取り外したマスクの下からは、ロー・テクターのいかつい面もちとは正反対の、かわいらしい少女の顔が現れた。


 額からこぼれる汗が、真夏の直射日光に当てられて、ゆらゆらと輝いているものの、その表情にはどこか不機嫌と言うか、あからさまに不満そうだ。


そんな予想を裏付けるかのように、その口から俺への不満が溢れでる。


「次で最後って言ったじゃないですか、代表‼ 今度は何が不満なんすか⁉」


「不満もクソもあるか、凛! なんで言われたとおりにできないんだッ‼」


「だから、その通りにやってますって‼」


「その通り、じゃなかったんだよ‼ ほら、これ見てみろ‼」


 俺がそう言うと、ロー・テクターの中の人、朝日凛は俺が撮影していたカメラをのぞき込む。


 そして、先ほどの「開ッ…廷!」の一声でロー・テクターに変身するシーンをまじまじと確認した。


 ただ、そのNGの理由をいまだ理解できないのか、不満そうな顔が納得に変わる様子はない。


「いや、別におかしくないっすよ‼ 先輩が言う直角九十度で腕をクロスさせてるじゃないっすか‼」


「そこじゃない‼ ほら、ここ‼ ガベルでバッジ叩くシーンで、ちゃんとバッジが回ってないだろ⁉」


 撮影した動画を巻き戻し、俺は該当するシーンを指さす。


 凛は何度再生しても回ることない裁判官バッジをその目で確かめるも、納得できないと言わんばかりに凛は何度も何度も再生を試みた。


 だが、とうとう観念したのか、再生を止め、落胆の声を上げる。


「えぇ~~~~~~~‼ そんなとこぉ~~~~~~~⁉」


 ただ、その表情は納得と言うよりは憂鬱、もしくは不服と言うほうが近い。


「そこはなぎさがCGで何とかしてくれるでしょ⁉ 最悪、別のカットで撮りなおせばいいじゃん‼」


「馬鹿野郎! 記念すべきロー・テクターの初変身に妥協してどうすんだ! もっかいやるぞ、もっかい‼」


 だが、そんなやる気満々の俺とは裏腹に、炎天下の中、長時間暑苦しいスーツを着させられている凛は抗議の意を表さんと子どものように駄々をこね始めた。


「やだやだやだやだやだ‼ せめて休憩‼ そうじゃなきゃ、パワハラだ、パワハラ‼ 自治会に訴えてやるぅ‼」


 体を地面にこすりつけて訴える凛の行動はガキっぽいものの、その目の訴えは本気だ。こいつなら、本当にやりかねない。


 学生自治会とは去年壮絶な死闘を繰り広げたばっかりだ。


 せっかく公認申請を勝ち取ったというのに、あらぬ疑いで公認の証を剥奪されては元もこうもない。


「わかった、わかったから…… じゃあ、一回スーツ脱いで休憩したら、な?」


「やったぁ~‼ 暑くてじにそう…… 史織せんぱぁい、水分…あたしに水分を……」


 見ると、凛の顔からは滝のような汗がだらだらと垂れている。頬は暑さで火照り、少しばかり湯気のようなものも見えた。体育会系だからと言って無茶をさせすぎたかもしれない。


 そんな凛への救世主のように、みずみずしい水滴をまとったペットボトルがそのおでこに押し付けられた。


「はうぅぅッ……ちべたい……‼」


「はいはい、お水用意してあるから、一回それ脱いじゃいなさい」


 そのペットボトルを持った手は、さっきまでデンジャという設定の怪人スーツを着こんでいた月森史織先輩のもの。


 しかし、暑がる凛とは違い、マスクは外したとはいえいまだ体にはスーツを着用しているというのに、その表情には余裕が見られる。それが凛にとっては不思議でならないようだ。


「なんでこんな暑いのに、史織先輩は平気なんですか~⁉」


「ロー・テクターのスーツは英路が大部分を作ってるからね。怪人用スーツは全部私製だから、空調に換気もばっちりなの。はい、ばんざーい」


「えぇー⁉ それ、ずるい……」


 凛が脱ぎやすいようにと、史織先輩は装着者本人からは取り外しにくい外付けパーツを取り外す。

 

 それによって可動範囲が広くなった凛も続けざまにスーツを脱ぎ始めた。


 一個一個丁寧に脱がす史織先輩とは違い、凛は今すぐにでも暑さから解放されたいという欲が透けて見えるほどの乱雑さで、あたりにロー・テクターのスーツをポイポイ脱ぎ散らかしていった。

 

 とは言え、この状況下ではそれも無理はない。


 俺たちがいるこの場所は真夏の宮城県。東北地方だからと言って、夏本番と言えるこの季節ではその涼しさは皆無と言って差し支えないのだ。


 なにせ、ここはクーラーの利いた涼しい屋内でも、木々に囲まれた日陰の多い森でもない。


 ギラギラと照り付ける太陽に焼かれた、一面真っ赤な荒野。


 そんな地獄のような場所で、俺たちは、在籍する龍法大学の公認ヒーロー、遵法戦士ロー・テクターの記念すべき第一話の撮影を進めているのだから。


 そんな過酷な環境には決して向かないヒーロースーツを着ている凛にとっては、その抗議ももっともなものなのだろう。


 まぁ、自分からスーツアクターを志願したのは凛本人なのだから、自業自得と言えばそれでしまいなのだが。


 とは言っても、俺はこれでも大学公認学生団体の代表だ。いまだ頬の火照りが取れない後輩の顔を見ると、流石に心配にもなる。


「撮影ぶっ通した俺が言うのもなんだけど、体大丈夫か? 熱中症になってない?」


 だが、その頬を赤らめている要因は暑さではなく、俺自身が原因だったようで、その事実を知った俺は赤面せざるをえなくなった。


「ちょっと代表……スーツの下、下着なんすから、こっち見ないでくださいよぉ……」


「あ、ごめん……」


 さっきまで文句を言っていた軽口のときとは違い、本気で恥ずかしがっているのが伝わった俺の口からは、つい反射的に謝罪の言葉が漏れた。


 そんな凛への初心な反応が面白かったのか、史織先輩は突然いたずらっぽい笑みを浮かべながら、俺ににやついた視線を送る。


「あら、あら、英路ったら。瀬名ちゃんがありながら、若い子に目移りしちゃうなんて……」


「別に、あいつとはそういうんじゃないって……! いいよ、少し離れてるから……」 


 後輩の女子が着替えをする場所と同じところにいるわけにもいかず、俺はとうぶん席を外さざるを得なくなった。


 そうして彼女らから視線を外すも、再び俺の視界には不満そうな人物その二が現れる。


 さっきまでロー・テクターのスーツを着ていた凛のすぐそばで、まるで歌舞伎の黒子のようにロッポーなる鳩のマスコットを動かしていた女性、名を白雪麻衣。


 自分の弟以外には基本仏頂面を貫いている白雪だが、今回はいつもに増してしかめっ面がひどかった。


 その視線は間違いなく俺の方を向いている。


「ねぇ、八神。私のこれ、本当に必要? ロッポーって後からCGつけるんだったら、居てもいなくても変わらなくない?」


 そう言って、俺への当てつけのように先っぽにロッポー(仮)がついた長い棒を俺の横っ腹に容赦なく突っ込んでくる。


「ちょっと、痛い、痛い‼ やめて、白雪さん‼」


 大方の予想通り、不服申し立て第二号だった。


「いや、確かに後からCGつけるのはつけるんだけど、その場所を確認したいからさ…… 一応、必要って言うか……」


「えぇ……でも、その口調まで真似する必要はないでしょ……語尾にッポって言うの、地味に恥ずいんだけど……」


「別に、俺はかわいいと思うけどなぁ……まぁ、ここは頼むよ、白雪‼」


「ッ……‼ まぁ、八神の頼みなら……」


 かわいいという言葉に反応したのか、むすぅとした仏頂面が、熱中症も顔負けなくらいに赤面する。相変わらずちょろい。


 だが、そんな邪な考えが俺の顔に出ていたのか、崩した表情はすぐにいつものに戻る。


「ねぇ、あんた今、私のことちょろいって思わなかった?」


「思ってない、思ってないよ……ハハ……」


 お手本のように目が泳ぐ。視線を合わせればぼろが出かねない俺は、凛と史織先輩の方へ顔を向けた。さすがにもう着替え終わっている頃だろう。


 そんな予想通り、とっくに着替えを終えたのか、凛はごくごくとペットボトルを飲み干しているし、史織先輩は砂まみれになったスーツをはたいて、汚れを落としている。


 それだけでなく、何やら愚痴をこぼしているようだ。


「ったくもう、凛。そんなに砂まみれにしちゃったら、撮影するとき、もう一回きれいにしないとじゃない…… 一着作るだけでも、かなりの時間とお金がかかるのよ?」


「でも、仕方ないっすよ。誰かさんが一面荒野のこんな場所で、こんな真夏日に撮影するって言うんだから、誰でもそうなりますって」


 そう言う凛の視線は俺の方へと向いた。どうやら、俺の采配に不満でもありたげな視線だ。


「なんだぁ、凛? 文句言えるほど回復したんなら、すぐにでも撮影再会したって……」


 だが、そう言い切る前に、俺の視界に誰かがテントから走って来ているのが映る。


 二百メートルもの長距離を全力疾走する人物は、テントで休憩しているはずの副代表、瀬名小英の姿。


 だが、不思議なことに、そんなに離れている撮影場所からテントまでの間を全速力で走ってきている。休憩中なんだから、ゆっくり向かえばいいものを。


「どうしたんだよ、瀬名?」


 瀬名に聞こえるようにそう叫ぶ。俺の声が聞き取れたのか、瀬名の方も何やら言葉を発しているようだが、こちらにはおぼろげにしか聞こえない。


 「●たち、何●●やっ●●のよ⁉」



 何かを発しているのは分かるのだが、その詳細はどうも不明だ。


「瀬名の奴、なんて言ってる?」

「いや、私も聞こえないけど……」


 俺と同じく聞き取れないのか、白雪も同様に首を振る。


 そうするうちに、二百メートルを走り切った瀬名は、激しい息切れを起こしながら俺たちのいる撮影場所へとたどり着いた。


 しかし、呼吸がまだ完全に整っていないにもかかわらず、瀬名はのんびり休憩をとっていた俺たちを責めるかのように激しく詰め寄って来る。


「君たち、何ぐずぐずやってんのよ⁉」


 その形相は副代表としてこのサークルを支えてくれている、彼女の落ち着きある雰囲気とは似ても似つかない。


 そんな普段の瀬名とはかけ離れた、焦燥感に駆られている様子には俺も驚きを隠せなかった。


「なんで、そんなに慌ててるんだよ? 別に俺たち、休憩とってるだけだって」


「慌てるも、ハァ……何も、ハァハァ……今の状況理解してないの⁉」


「今の状況って言われても、休憩してるだけ……あっ‼」


 もしや、その休憩がご法度だったか。生粋の特撮オタクの瀬名ならそう言うかもしれない。


「あれか、瀬名⁉ 休憩なんかしないで、撮影続けろという熱い思いが……」 


「そういう事じゃなくて‼ まさか、英路君、言ってないの……?」


 休憩を抜きにして、とっとと撮影を始めろと言う熱い説教かと思ったのだが、そういうわけではないらしい。


 だが、そんなぬるい考えは、続く瀬名が発した衝撃の事実によって、一瞬のうちにかき消された。


「ナパーム爆破だよ‼ もう一分切ってるって‼」


「「「「えぇぇぇぇぇぇっぇ⁉」」」」



 

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