30話

『迷子のお知らせです。五歳から六歳程度のお子様の大我君を入口の迷子センターでお預かりしています。親御様がいらっしゃいましたら、至急お近くのスタッフまで、お申し付けくださいませ』


「あんなに意気込んでたのに、スタッフに全任せなのね……」


「これが一番確実なやり方なんだよ。アナウンスもしてもらったし、そろそろ親御さんも来るだろうから、もうちょい遊んでやろうじゃない?」


 先程、俺が秘策と言っていたのは、神頼みならぬスタッフ頼みだ。


 エキスポ自体があくまで子ども向け作品のイベントだからか、そうした迷子の設備は用意周到のようで、さっきまで流れていたBGMは迷子のアナウンスへとすっかり変わっている。


 そうして、親御さんがこの迷子センターに来るまでの間、そこに常備されてあったDXエコイスターを使って、俺達は迷子の張本人である大我君の遊び相手になってあげていた。


「すごい、おにいちゃん‼ エコイストすきなんだね!」


「そりゃあ、自他ともに認める特オタだからな。けど、俺なんかよりも、この瀬名って言うお姉ちゃんのほうがもっとすごいんだぞ?」


「とくおた?」


「特オタなんて、子どもに分かるわけないでしょ! いいのよ、大我君。こっちのお兄ちゃんは無視して、お姉ちゃんと遊びましょうねー」


「えぇ……辛辣……」


 だが、そんなやり取りをしている間に、先ほどのアナウンスが功を奏したのか、


「大我‼」


 と大きな声を発しながら父親らしき人物が入口に現れた。その後ろには母親らしき人物も後に続く。


 その姿を見た大我もまた、遊んでいたエコイスターをポイと放り捨てて、父親らしき人物の胸へと駆け寄った。


「パパ‼ ママ‼」


「ごめんなぁ……少し目を離した隙に……」


「本当に、無事で良かった……!」


 母親は張り詰めた緊張の糸がほどけたようにその胸をなでおろし、父親はもう放さないとばかりに大我の小さい体を強く抱きしめていた。


 そんな微笑ましい家族の光景を見た瀬名も、胸に手を置いて、ホッと安心した様子を見せる。


「良かった……無事に見つかったみたいね」


「ほらな? 下手に探すよりも、プロに任せた方が早いんだって」


 気づけば、大我と父親がいまだ抱擁を交わしている一方で、母親はスタッフの人と何か話をしていた。


 時折、こちらの方を見ていると思ったが、どうやらスタッフからことの経緯を教えてもらっていたようで、話が終わるとすぐ俺たちの方へと駆け寄って来る。


「ありがとうね、お兄さんたち。大我を保護してくれて」


 そう言って、ペコリと頭を下げられた。


 そんな行き届いた母親の対応に、俺も瀬名もそんなのガラじゃないとばかりに釈明をせざるを得ない。


「いやいや、別に大したことは……ねぇ?」


「うん、迷子になってた大我君を保護しただけですから、感謝されるようなことは特に……」


 そう言うと、瀬名は仲睦まじい大我と父親の方を見つめながら、何か思うところがあるように、ポツリとこぼした。


「それにしても大我君、ずいぶんお父さんと仲が良さそうで……」


 とっくに仲直りを終えたのか、大我と彼の父親は二人で和気あいあいと笑顔で何かを話し合っている。


「あの子、久しぶりにパパと会えて、はしゃいじゃってて。二人とも、この特撮ヒーローが大好きなの」


 そんな彼らを見ながら、母親も自慢そうに彼らのことを口ずさんだ。


「夫は単身赴任で、月に一度くらいしか家に帰ってこられないんだけどね、毎週日曜の特撮ヒーローだけはお互いにチェックしていて、メールでその感想を送り合ったりしてるのよ」


「へぇ……そんな関係、少し羨ましい……」


「世代をまたにかける特撮だから、出来るものなんだろうな……」


 だが、そう感慨にふける間もなく、大我は大きな声を出して、こちらに手を振ってきた。


「ママ―‼」


 それだけにとどまらず、急いでこちらの方へと駆け寄るとその母親の手を勢いよく引っ張る。


「あっちで、エコイストのしゃしんさつえいやってるんだって‼ ママもはやく‼」


 そう言って、急かされるままに母親も大我に連れていかれてしまった。

そうして別れ際に、もう一度俺たちの方へと向かって、頭を下げて来る。


「それじゃあこの辺で。本当にありがとうございました‼ ほら、大我もご挨拶して‼」


「ありがとうね、おにいちゃんたち‼」


 そんな慌ただしくも微笑ましい家族の光景に、ふっと顔に笑みがこぼれると、俺達も彼らに向かって大きく手を振った。


「もう迷子になるなよー」


「楽しんでね、大我君‼」


 お互いに手を振り合いながら、彼らは再び会場の方へと姿を消していく。


 そうして彼らの背中が完全に見えなくなった頃、その姿がどこか感慨深かったのか、瀬名は俺の横でふと独り言をつぶやいた。


「世代を繋ぐ、か……」


 世代を繋ぐ、その言葉はまさしく特撮の在り方を色濃く表現した言葉だろう。


 それは特撮以外の他のドラマ、コンテンツでは難しいことかもしれないが、半世紀も多くの人々に愛されてきた歴史を持つ特撮だから言えることだ。


 親と子ども、そしてそのまた子どもへと特撮の絆の懸け橋は永遠に続いていく。


 だが、それだけではない。彼女の独り言に追加するように、俺も言葉を返す。


「世代だけじゃない。特撮ってのは人と人とを繋ぐものでもあるだろ?」


「っ……‼」


 その言葉を聞いて何か思いだしたのか、瀬名は虚を突かれたかのようにハッとした表情を見せ、何かを隠そうと俺に背中を見せた。


 その理由はおおかた想像できる。何せ、幼いころの瀬名に友達ができたのは特撮がその起因であるのだから。


 たとえ、その結果が後味の悪いものになろうと、始まりは子どもながらの純粋な思いだったはずだ。


 それ故に、その特撮をひた隠しにするというのはさぞ苦しかっただろう。自分の好きなものを誰にも打ち明けられず、共有することもできず、たった一人で耐え抜いた彼女の仮面は、目に見えることはないものの、既にボロボロのはずだ。


「ねぇ、八神君。私の努力は無駄だったのかな?」


 何かをこらえるように、肩を震わせながらそう瀬名は言葉を発する。

 だが、あえてそうした辛いことを聞くあたり、彼女自身、既にその答えを理解しているのだろう。


 だからこそ、俺はその涙ぐんだようなか細い言葉を容赦なく叩き切った。


「あぁ、無駄だったな」


 一切の濁りもない、ただ一つの残酷なまでの真実。


 そんな俺の攻撃的な言葉にも関わらず、瀬名は質問を続けた。


「私、もう特撮を守る必要なんて無いのかな?」


「あぁ、必要ないな」


 たとえ、その声が涙でゆがんでいても、俺は自分の言葉に一切の容赦を入れることは無かった。真剣な彼女の問いに手加減を加えることは、かえって失礼極まりない。


 すかさず、幾ばくかの沈黙が流れる。それは彼女が必死にこらえているものを押さえて、複雑に絡み合うその心の内を言葉にする時間に他ならなかった。


 そうして少しの沈黙の後、瀬名はこちらに振り返り、俺の顔をしっかりと見定めた。


 その顔は涙で崩れ、髪もところどころ顔に張り付いてしまっている。荒れ狂う感情のあまり、体は小刻みに震え、その声は涙でもうボロボロだった。


 しかし、その目は真っ直ぐと俺の目を見て、そこから一切離すことはしなかった。


「私、もう本当の自分でいいのかな?」


「あぁ、今日の瀬名の方が、よっぽど瀬名小英らしかったぞ」


 先ほどの返答とは違い、少しばかり優しさを含んだような、けど決して嘘偽りのない感想を俺は口にした。


 そんな俺の言葉が彼女にとっての救いの一言になったのかは分からない。だが、俺の発した言葉を受けて、瀬名は涙でくしゃくしゃになった顔を両手で隠す。


 しかし、抑えきれず両手からこぼれ出る涙とは裏腹に、そこから見える彼女の顔にはどこか笑みのようなものも見られた。


「やだなぁ……こんなことで泣いちゃうなんて……」


 そうこぼす声はどこか寂し気ながら嬉しげにも聞こえる。憑き物から解放された嬉しさか、はたまた消えてゆくものへの哀愁かは定かでは無い。


「長年付き添ってきたものとのお別れなんだ。それくらい、瀬名にとっては涙が出るほど重たくて、そして大事だったんだよ」


 瀬名と特撮の関係を一言で表せば、親と子のような関係だろう。お互いがお互いを助け合うと同時に、まるで子離れできない親、親離れできない子どものようにそれでいて縛り合っていたのだ。


 だが、特撮の強さを真に理解した今の彼女に、その仮面をかぶる必要はもうない。


「……うん、そうだったんだと思う」


 それを理解したかのように瀬名はそうつぶやくと、去っていく子どもへ、一方で離れていく親に別れを告げるかのように、ひとり呟いた。


「いままでありがとう。私にはもう、これが無くても大丈夫」


 誰に向かって言ったのか、そんなことは言葉にしなくても良いほどに自明であった。


 その言葉は感謝こそあれど、恨みなど一切含まれない、心からの感謝。


 そうして瀬名は、ようやく仮面を外した。彼女を長年閉じ込めていたものであると同時に、彼女を長年守ってきたものでもある、その仮面を。


 昂った感情を抑えること数分。瞼に残した涙の最後をぬぐうと、瀬名はその一切の余韻も残さないままに、意気揚々と声を上げる。


「さ、私たちも行きましょ! まだ、写真撮り終わってないし、見るものだってまだ全然見れてないしね?」


 そう言って、俺を置いて自分だけ先に行ってしまった。


「いいけど、俺の要件はもう……」


「何言ってんのよ、ヒーロー作るんなら、資料は一杯あった方が良いんじゃないの?」


「ん? それって……⁉」


 一瞬何のことかと判断に迷ってしまったが、その言葉が意味することを理解したとき、俺は胸の奥から沸き立つこの高鳴りを押さえることができなかった。


 しかし、その確認をする間もなく瀬名が続ける。


「自分で誘っておいて、今更やめたなんて許さないわよ? 私をその気にさせた責任は、しっかりとってもらうから」


「……あぁ‼ ばっちり任せときな‼」


 そう言って俺も彼女の後を追おうとすると、瀬名はふと言い忘れたことがあったかのように、


「そうだ、八神君‼」


 そんな言葉を口にしながら、こちらに振り返る。


 俺に向けられた瀬名の瞳にはもう涙は残っていなかった。代わりに見えたのは未来を切り開いていくような、力強い目に他ならない。


 そうしてあふれんばかりの満面の笑みをして、俺にこう言い放った。


「ありがとうね! 私に、特撮を教えてくれて‼」


 その瀬名の表情は、今まで見た彼女のどんな笑顔とも異なっていた。


 そう、俺はようやく、仮面を外した、本当の瀬名に出会うことが出来たのだ。

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