23話

 あれから一体どれくらいの時間が経ったのか、そもそも自治会室を出てからの記憶さえもままならないほどに、どこへ向かうかもわからない歩みを私はただひたすらに繰り返していた。


 代表から突きつけられた選択肢は二つ。龍気体に戻るか否かという簡潔な二択ながらも、私にとってそれは解を出すのが非常に難しい命題に他ならなかった。


 もし私が龍気体に戻らないという選択を取るならば、間違いなく八神君は摘発される。


 情け容赦ない代表のことだ。彼に利用価値が無いと判断すれば、私に忖度することなく、八神英路というカードには早々に見切りをつけることだろう。


 そうすれば、彼のヒーロー計画はすべてご破算だ。今後、龍法において日の目を浴びることはまずないし、それどころか、今まで摘発された学生のその後を考慮すればそもそも龍法にさえいられなくなるかもしれない。


 別れ際、あそこまでひどく罵倒されたことを思い出せば、それもいい気味と思ってしまう一方で、元をたどれば私が彼に隠し事をしていたのがその原因だった。


 現に、彼は私に裏切られたと錯覚してあんな言葉を発したのだろうから。


 故に、私には最初から選択する余地など無かった。それを見越したうえで、代表はこの取引を持ち掛けたのだろう。


 龍気体に戻る。そうしなければ打開策は他にないし、逆に言えばそうすることで八神君も特撮も、これ以上奇異の目にさらされることは無い。万事解決だ。


 別に、普段と何ら変わらない。いつものように自分を偽る仮面を被るだけ。八神君が龍気体に晒される心配は無いし、私も特撮が嘲笑されることを気に止むことも無い。


 だから、それでいいはずなのに……


 八神君が私に放ったある言葉が、その決断を鈍らせる。


『瀬名が本当にやりたいことは、一体何なんだ⁉』


 最初に目にした彼のヒーロー計画は、理想だらけで現実を見ていない、それはもう酷いものだった。けれども、そこには忘れかけていた熱い夢を感じさせるものがあった。


 それ故に、一切の粗雑さが排除された先ほどの計画書は、前回よりも明らかな現実味を帯びていて、そのクオリティの高さに私は驚嘆する他なかった。


 最初こそ周囲のオタばれを気にしていた私だったが、途中からはその危惧さえも忘れて、純粋に彼の計画に心を奪われてしまっていたのだ。


 使命感でも、義務感からでもなく、ただ一途に彼の思い描くヒーローを支えたい、そう思えるほどに。


 しかし、それは代表の、龍気体の要請を蹴るのと同義だ。そうすれば、八神君もろとも特撮は摘発され、未来永劫そのレッテルを貼られることになってしまう。


 それだけは、私が瀬名小英であるがために、何が何でも許すことは出来ない。


 ただ、あまりにも自分を偽る仮面を被り続けていたからか、私はその根本の動機を思い出せなくなってしまっていた。


 どうして、私は身を粉にしてまで、オタばれの回避に全力を注いでいたのか。


 当然、自分の好きなものを嘲笑されて、良い気はしない。


 しかし、その根本は違ったはず。ただ単純にオタばれを恐れるだけではない、何か固い信念のようなものが私にはあったはず。


「私が……本当にやりたいこと……」 


 半永久的に繰り返されるそんな堂々巡りの中で、とうとう私は自分がその胸に秘めていた信念さえも曖昧にしてしまっていた。


 何をもってオタばれを回避しようとしていたのか、私が貫きたかったものは一体何だったのか。その理由を思い出すことさえままならないほどに、突きつけられた究極の二者択一を前にして、私は苦渋に顔をゆがませることしかできなかった。


 そうして気がつくと、私はいつの間にか正門前にまで歩いてきてしまっていた。


 考え込みながら歩いていたせいか、その道中の記憶はそこだけ抜き取られたかのように存在していない。


 だから、そこでの異様な様子に気が付いたのは、その時が初めてだった。


「なにかしら、あの人混み……」


 真昼とも、夕方ともいえないこの午後真っ只中だというのに、本来なら授業やサークル等で人数はまばらであるはずのこの正門前に、異様なほどの人だかりができている。


 まるで何かの観戦かのように、熱狂がその周囲に漂っているだけでなく、騒音ともいえる喧噪があたりに広がっていた。


「なんだよ、コレ……これじゃ帰れないじゃん……」


 私より後に来たのだろうか、後ろでこの熱狂を疑問に思っているのだろう二人組の会話が聞き取れた。


 直観的に、何か嫌な予感を感じ取った私は耳を澄ませてその内容を聞き取ってみる。


「なんでも、一人の外部生が龍気体に喧嘩売って、決闘まがいのことしてるんだと。それも一対二らしいぜ? ほら、キャンパスに皆載っけてる」


「うわっ、本当だ…… このヘルメットみたいなのかぶってるのが外部生だろ? 外部生の癖に、結構良い勝負してんじゃん……!」


「ヘルメット……?」


 突然、妙な胸騒ぎに心臓が締め付けられた私は、キャンパスで状況を確認するより先に、まず自分の足が動いた。並居る群衆をかき分けて、前へ前へと歩みを進める。


「ごめんなさい、ちょっと前に……」


 そうして直接、その決闘を目にした私はそこで繰り広げられていた信じられない光景に、自分の目を疑った。


「うそ……なんで……」


 私の目の先には、食堂で外部生の摘発行為を行っていた二人の龍気体に、たった一人ながらもそれらに立ち向かうマスクを被った一人の学生の姿があった。


 二対一という圧倒的不利な状況だというのに、マスクを被ったまま勢いよく相手に頭を打ち付けていき、爽快なまでの頭突きが龍気体に繰り広げられる。


 その被っているマスクは私にははっきりと見覚えがあった。食堂で彼が私に見せてくれたベースマスクなるものに他ならない。


 たとえ顔が見えなくとも、それが私の疑いを確固たるものにした。


「八神君……⁉」


 間違いない。マスクを被った男の正体は八神君以外に考えられなかった。


 でも、なんで、彼が…… その理由と状況の整理をするために、私はとっさに近くでそれを観戦している学生に声をかける。


「ちょっと君、聞きたいことがあるんだけど‼」


「ん? って、瀬名小英⁉」


「そういうのいいから‼ この状況、詳しく教えてくれない⁉」


 私の登場に相手が驚く暇さえ与えることなく、私は決闘をしている彼らの方を指さして、その情報を聞き出そうと試みた。


 わざわざ最前列を陣取っているのなら、その事の発端も何かわかるはずだ。そう見越して聞いてみたのだが、見事に私の予想は的中した。


「ああ、事の発端はあのマスク被った外部生が龍気体に絡まれてた外部の女の子を助けてたんですよ。それでいちゃもんつけられて、その喧嘩を外部生が買ったって感じですかね…… 話聞く限り、そもそもお互いに因縁があったらしいけど……」


「だからって…… なんで盾突こうと……」


「えーと、それにも何か理由があるっぽくて。最初の口論の時に言ってたんですけど、外部生の方が正門で誰かを待ってる感じのことを」


「人待ち……?」


「ええ。ただ、待ち合わせって訳じゃなくて、正門にいればその人に確実に会えるだろうって見込みらしいですけど。それで、あそこから動けないらしいです」


 彼が誰を待っているのか、私はそれを直観的に理解できた。


 まったく無茶にもほどがある。私がここに来るという確証もないのに、一度痛い目にあった龍気体に真っ向から立ち向かおうとするなんて。


 そもそも、彼は先の食堂で龍気体にあそこまで痛い目に合わせられたはずだ。別れ際、私も彼を突き放すような、きつい一言をかけた覚えがあるというのに。


 にもかかわらず、彼は再び立ち上がって、私を待ってくれている。それは常識で考えれば、全く以って正気ではない。当たる見込みのない勝負に、ありったけの持ち金を賭けているようなものだ。


 けれども、そんな彼の真っ直ぐな姿勢が、曖昧で靄がかかっていた私の信念、自分自身が一番したかった、貫きたかったことを明らかにしてくれた。


 私がああまでしてオタばれを死守していた理由。特撮が嘲笑の的にされたくなかった、その根本の動機。


 私は特撮を守りたかったんだ。幼いころ、自分を救ってくれた特撮ヒーローを。


 だから、彼らが子供っぽいとか子供だましとか言った理由で笑われてしまう事を、私は許すことができなかった。


 それ故に人前で特撮が話題に出ることを嫌ったし、何も知らない連中に特撮のことをとやかく言われるのが我慢ならなかったのだ。


 長らく自分を偽る仮面をかぶっていたせいで、自分でもわからなくなっていたその当初の思いを、私はようやく思い出せた。


 それならば、私がこの場においてするべきことはただ一つ。


 私は腕に掛けていた学ランを勢いよく肩にかける。その動作で、決闘に集中していたあたりの視線が一気に私の方へと向いた。


 それは当然、決闘の当事者である彼らも同じ。彼に最後のとどめをさそうと振りかぶった龍気体員の拳が彼の目前でぴたりと止まる。


 ヒーローを守る、その信念を貫き通すために、たった一人で龍気体へと戦いを挑んだ彼を救うために、私はその足を踏み出した。

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