16話

 遠くで大きな音をたてながら、入口のドアが開いたと思ったその瞬間、さっきまで顎に手を当てて悩んでいたはずの瀬名が突然、俺の頭をつかむ。


「八神君、隠れて‼」


「えっ?」


「いいから‼」


 そうして強引に頭をテーブルの下に押し込んでいく。同じように、瀬名もテーブルの下に潜り込んでいた。


「痛った……なんだよ、急に……‼」


「しっ‼ 静かにして……」


 だが、そんな瀬名の言葉を皮切りに、気づけば先ほどまで談笑が滞ることのなかったこの食堂の空気はいつの間にか一変していた。


 一切の言葉も許さない静けさ。あたかも皆何かに怯えているように、一言も言葉を発そうとしない。


 そんな静寂に包まれたこの空間に、その原因と思わしき人物達が入口からコツコツと足音を響かせて来た。


 そのうち一人は漆黒の学ランに身を包ませており、終始毅然とした態度で、その凍りきった空間を突き進んでいく。


 そうして、とあるテーブル席に着くなりその歩みを止めると、そこで携帯ゲームを楽しんでいると思われる学生に向かって、こう言葉を発した。


「貴様……この気高い龍法大で、そんな低俗な遊びが許されると思ってるのか?」


 そんな言葉を受けてか、スマホでゲームをしていた学生は見るからに怯えた様子で、その体を震わせている。


 一体何が起きているのか。そのいきさつに俺が目を向けている傍らで、隣にいる瀬名は囁くような小さい声でぶつぶつと独り言をつぶやいている。


「ここに龍気体が来るなんて……やっぱり、さっきの連中……」


「龍気体? それって確か……」


 龍法大に入学してから、何度か聞いたようなその単語を思い出そうと、記憶を辿る。


 そんな俺の反応に、瀬名は少々驚いた様子で、その目を丸くさせた。


「流石の君でも、名前くらいは聞いたことあるのね」


 そうして俺に対する薄い感想を述べた後、あくまでひそひそ声のまま、その詳細について語り始めた。


「彼らは龍気体、正式名称を龍法気品維持団体って言って、学生代表が組織している学生団体のことよ」


「ん……? 学生代表が組織してるって……」


「そう。この前、他の団体の公認申請を取り消させている学生団体があるって言ったでしょ? それがあれ。まだ未公認団体だけど、その総人数は龍法生の三分の一とまで言われてて、龍法大のどんな団体よりも大規模な学生団体になってるわ」


「マジかー……そんなにでっかい組織なのかよ……」


 公認申請の座を奪い合おうとしていた相手との、あまりもの戦力差を痛感し、正直言って心が折れる。


 しかし、そう意気消沈する一方で、逆にそこまで巨大な団体が食堂にまでやってきたことに疑念が湧いた。


「……で? そんな学生代表直轄の龍気体が、一体何しに?」


「多分、要件は別だろうけど……見てれば嫌でも分かるわよ。ほら……」


 そう言って瀬名が指さした先では、テーブルに座っている一人の学生に対し、二人の龍気体の学生が高圧的な態度で何かを詰め寄っているような様子が窺われた。


 その光景は、まるで警察による事情聴取、いや取り調べ室での自白強要に近い。


「埒があかないな……学籍番号を確認しろ」


 詰め寄っていた龍気体員は後方に位置しているもう一人の龍気体の学生にそう命令を出す。


 その命令を受けた龍気体員は、聴取対象になっている学生にスマホをかざして、何らかの動作を行っている。どうやら写真を撮っていると考えてよさそうだ。


「顔認証で出しますねー ……出ました、番号は……偶数始まり、外部生ですね」


「やはり、か……まぁ、俺達の同胞がこんな低俗の遊びをするとは思ってもないが」


 そう独り言を告げると突然、聴取の対象になっていた学生の頭を鷲掴みにした。


 そうして、そのままテーブルへと強く叩き付けて、罵詈雑言を浴びせる。


「外部生ごときが調子に乗るなよ‼」


「うっ、くっ……」


 勢いよくテーブルに押さえつけられたその学生は痛みの余りか、うめき声をあげた。幾分か抵抗を試みたようだったが、何を思ったのか、そのままなすすべなく一切の蹂躙を受け入れてしまっている。


「なんだよ、あいつら……‼ 外部生と分かった途端、いきなり暴力とか……」


 間違いない。外部生と分かった瞬間、あの学生に対する龍気体の態度が変わっていた。一外部生の俺としては、悔しさで拳に力が入る。


 そんな俺の疑問に、瀬名は淡々とその答えを述べてきた。


「龍気体の活動理念は龍法の校風である気品と伝統の維持。その実現のための活動を治安維持と銘打って定期的に行ってるんだけど……」


「治安維持⁉ たかだかスマホでゲームしてただけだろ‼」


 怒りの余り、つい語調が強まってしまう。


 だが、そんな俺の迫力もものともせず、発言に訂正を入れるかのように、瀬名は続けた。


「ちゃんと最後まで聞きなさい‼ それはあくまで建前で、現実は今みたいに気に入らない外部生や自分たちに盾突く連中を何かとかこつけて取り締まってる。反外部生を掲げる内部生の過激派集団、それが龍気体の実情なのよ」


 瀬名の語った龍法大に渦巻く大きな闇。特に、内部生に内包される外部生への根強い反感を切に実感した俺は、恐怖のあまり身が震えた。


 それでも、俺はそんな理不尽すぎる現実を直視することは出来なかった。


「そんなこと、まかり通っちゃダメだろ‼ 学生自治会は何やってんだよ‼ それに学生部だって……」


「うちの学生部は学事以外には基本的に傍観の姿勢をとってるから、無闇に手出し出来ないの。それに言ったじゃない、龍気体を組織したのは、学生代表だって……」


「正気かよ⁉ 自治会のトップが黒幕って……」


 学生自治会。中高では生徒会とも呼べる存在のそれは、こと大学においては生徒会とは比較にならないほどの権力を所有している。


 学事以外の学生生活に関することならば、大学教員やその職員の所属する学生部よりも強い影響力を持つ学生自治会だが、そのトップたる学生代表がことの発端であったという事実に、ついに俺は言葉を失ってしまった。


「上部組織である学生自治会の円滑な進行のためなら、龍気体は強硬手段さえ辞していない。現に、公認申請の取り下げで龍気体と揉めてたある団体は、その代表の疾走の後、龍気体に吸収合併されてる。そのおかげで、今じゃ龍法にはろくにサークルが無いのよ。ほとんど、龍気体に吸収されちゃってるから」


「そうか……諸々の元凶は、全部あいつらが……」


 その事実を知ってようやく、この龍法大にサブカル文化が決して根付かなかった、いや、消え去ってしまったその訳を俺は理解した。


 先生が入学した頃に存在していた龍法のサブカル文化は、その後に発生した龍気体によって根こそぎ刈り取られたというのが真実だろう。


 これなら外部生が総じて垢抜けていることにも納得がいく。瀬名のオタばれ回避もそれが原因だろう。


 だが、そこには山ほどの疑問が残る。


 なぜいきなり、外部生への弾圧が始まったのか。


 突如として学生団体を発足したその理由は。


 諸々の疑問が頭を駆け巡る中、そのどれよりも俺はある一つのことが気になって仕方が無かった。


 誰一人としてあの学生を助けようとしない、異様なこの空気こそ俺の一番の気がかりだったのだ。


「でも、たとえ学生部も自治会も動かなくても、こんなに抑圧がひどくちゃ、学生が反発を起こしてもおかしくないだろ⁉ なんで皆黙って……」


「簡単な話よ、龍気体が狙うのは基本的に外部生だけ。そもそも龍気体自身、内部生しか入れないようになってるし、外部生と内部生の比率を考えれば反乱を起こす気になんてならないでしょ?」


 俺がすべてを言い終える前に、瀬名は俺が続ける言葉をわかっていたかのように言葉をかぶせた。そうして俺の中でも合点が付く。


「そうか、外部と内部の割合は七対三……」


「それに、もし内部生がオタクまがいの趣味を持ってたとしても、それを校風に反しているとは決して認めない。同郷意識みたいな感じってとこね……」


 龍気体の身勝手且つ理不尽すぎるその行いに、俺の体は怒りで震えた。


「露骨な身内びいきしやがって……内部出身ってのはそんなに偉いのか⁉」


「言っとくけど、内部生の中にもこの状況をおかしいと思ってる人はたくさんいるのよ‼ けど簡単には反旗を翻せない理由が……」


「いや、もう我慢ならない……‼ 俺があいつらを……」


 龍気体の横暴に我慢ならなくなった俺は、奴らに一矢報いようとテーブルから出ようとするも、瀬名が俺の腕をつかんで離さない。


「いいから‼ 離せよ‼」


「駄目よ‼ あなたまで摘発されることになるわよ‼」


 そんな押し問答をしているうちに、局面は再び変化してしまったのか、視線を向こうへと向けると、既にテーブルに頭を押し付けられている画はそこにはなかった。


 これで終わりか、そう思ったのもつかの間に、弾圧の対象になった学生は龍気体員に何かを請い始めた。


「よし、摘発しておけ」 


「待って、待ってください‼ それだけは、どうか見逃して……」


「はい。投稿完了、です」


 もう一人の龍気体員が発したそんな言葉とほぼ同時に、俺の携帯に一通の通知が届いた。


 その送信元は今朝と同じく、龍法大公認時間割アプリ、キャンパスから。


 しかし、そこに映った今朝とはまるで違うその画面に、俺は衝撃を受ける。


「なんだよ、これ……」


 まるで指名手配犯かのように、摘発の対象にあった学生がそこに晒されていた。タイムラインの閲覧数は瞬く間に伸び、それが彼に与える影響がどれほどのものかは想像に難くない。


 瀬名も同様にキャンパスからの通知を確認したようで、動揺する俺にキャンパスにさえも影響を及ぼす龍気体の闇をそのまま述べていった。


「龍気体に摘発された学生は、キャンパスに要注意人物として登録されて、四方から様々な圧力を受けることになる。ここに登録された学生で退学しなかった学生は……残念だけど見たことないわ」


「でも、なんでキャンパスが……もしかして、このアプリを作ったある学生団体って……」


「そう、龍気体の元締めでもある学生代表がこのキャンパスの創設者。だから、これに登録してる、いや、龍法生である時点で、彼らに逆らうことはほぼ不可能みたいなものなのよ。キャンパスに登録した時点で、龍気体に個人情報を握られてるから……」


「そんなこと、いくら私立だからって……」


 現実を理解できない、いやしたくないからだろうか、俺の頭はいまだその事実を受け入れられないままだ。


 その一方で、瀬名が俺にキャンパスを勧めなかったその理由がストンと腑に落ちた。


 気づけば、さっきまで持っていた龍気体への反抗の火は嘘みたいに消え去っている。むしろその反対に行動を起こさなかったことへの安堵さえ生まれていた。


 龍気体の恐怖政治とも言えるそれに怖気ついた俺には、既に抵抗する気概など残っていなかったのだ。


「とりあえず、今は傍観しておかないとまずいわよ。八神君に至ってはマスクとか計画書だって持ってるんだし、バレたら最後、一発で摘発されかねないわよ」


「確かに、それは……って、マズい……! マスクと計画書、テーブルの上に置きっぱなしだ……」


「うそ⁉ あいつら、こっちの方に来てるわよ⁉」


 摘発を終えた龍気体はその行いに一切の反省も感じていない様子で、再びその活動を再開していた。摘発対象の外部生でも見つけようとしているのか、どこか探しているような様子で、その方向はこちらへと向かってきている。


「仕方ねぇ……‼ ここから頑張って……」


 テーブルの下から、テーブルに置かれてあるマスクと計画書一式に手を伸ばす。何も見えない手探りの状態だったが、何とかマスクに手がこぎつけた。


「あった、あった! あとはこいつに……」


 片方の手でマスクを押さえると、もう一方の手を使って計画書を探す。幸いにもそのすぐ隣にあったために、手間はかからなかった。


 そうして、マスクにある頭を被る空間に計画書を強引に押し込んだ。


「よし‼ あとは、こっちに持ってこれれば……ってぇ⁉」


「ちょ、八神君⁉」


 力強く計画書を押し込んだ拍子に、勢い余ってマスクがテーブルから転がり落ちてしまった。とっさにテーブルの下から出て、コロコロと転がるマスクを回収しに通路へと向かう。


 しかし、その安易な行動が事態を最悪へと至らしめた。


「捕まえた……危ねぇ、連中に見つかったら……」


「なんだ、貴様? テーブルの下から……」


 マスクを拾い、腰を上げた俺の目の前には、先ほどまで遠目で見ていた龍気体の姿がすぐそこにあった。

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