6話

 高校三年の春。通っていた塾の講義終了後、その塾の自習室で惰眠をむさぼっていた俺は、突如として先生にたたき起こされた。


「あれ、先生? 授業はとっくに終わってるでしょ……」


 睡眠を邪魔された俺は朦朧とした頭で先生を確認すると、すぐさま二度寝に入ろうと試みた。しかし、すかさず先生によって強引に現実の世界に引き留められる。


「志望調査書! お前だけだよ、まだ出してないやつ‼」


 そう言って先生は俺の目の前で、白紙の志望調査書を嫌と言うほど見せつけてきた。


 そして、ついでと言わんばかりに、ここ最近の俺の勉強態度にも喝を入れた。


「英路、そろそろ本腰入れて勉強しないと、受かる大学も受からないぞ。それに、どこ受けるのかわからないと教える方も難しいんだけど……」


 そう話す先生の言葉は塾講師として確かに正しいものだったのを覚えている。


 しかし、残念かな、そんなことは夢も希望もない当時の俺にとってはこの上なくどうでもいいもので、むしろ反感さえ覚えていた。


 あの頃はまだ先生に対して敬語を使っていたのが懐かしく思えてくる。今では、もう家族と言うか、世話焼き姉ちゃんみたいな間柄になってきているのだから。


「でも先生、俺、別に将来の夢とか目標とか決まってなくて、それで勉強しろって言われてもやる気出ないんですよ」


 受験生になったというのに、当時の俺はどこかそれが他人事のように聞こえていた。それもそのはずだ。将来に対するこれといった夢や目標が俺にはすっかり欠けていたのだ。


 しかし、これがそこまで珍しくないというのが日本の現状だろう。別段、夢や目標もなく、のうのうと生きている若者なんてむしろ半数以上だ。むしろ、俺の方が正常とまで言える。


 いや、正確にいえば皆、成長していくにつれて夢を捨てていってしまったというのが正しいかもしれない。俺も小さいころは確かに持っていたはずだった。些細な、けど大切な夢を。


 そんなやる気など一切見えない俺の主張とは正反対に、先生はため息を吐きながら、呆れた様子を見せた。


 しかし、そんな俺を見かねたのだろうか、いや、かねてから計画していたものを発動するかのように、先生はとある誘いを持ち掛けてきた。


「よし、そこまで勉強する気がないなら、どうせ暇だろ? 週末、デートにでも付き合いな!」


「……なんでデート?」


 唐突に約束されたデートの誘いに困惑したが、覚醒間近のぼんやりした頭で強引に押し切られてしまう。


 しかし、数分経って頭が冴えてくれば先生がやる気のない俺を無理やりにでも勉強に向かわせる何か、を画策していることは何となく察知できた。


 だが、『どうせオープンキャンパスか大学説明会あたりでしょ?』と尋ねてみるも、先生は頑なにイエスともノーとも言わず、俺には確かめようがなかった。


 とは言え、勉強以外にもさしてやることも無い。


 故に、先生の策略に乗るのは少々癪ではあったが、俺はしぶしぶ騙されてみることにするのを決めたのだ。


 そうして当日、先生に連れてこられた場所の光景に俺は目を見張った。


「ここって、先生……」


「そう、龍虎と名高い虎徹大学さ。それも、お前が予想してたオープンキャンパスなんかじゃなくて、年に一度の楽しい学祭だぞ? ま、そうは言っても、行先は一つなんだけど……」


 先生が俺を連れてきた場所こそ虎徹大学の学祭だった。少なくとも、勉強に関する何かと警戒していた英路にとって学祭は予想の範疇になく、そもそもこんな時期に学祭をやっていた虎徹大学に驚いたというのもあった。


 龍虎として二大私学の頂点を競う虎徹大学だが、伝統と気品を重視する龍法とは違い、文化と革新を校風としているのがその特徴。


 それを証明するかのように、大学は多様な音楽、スポーツ、文化で彩られ、いたるところがお祭り騒ぎだったのだが、先生はそれらに一切目もくれず、一直線に目的地まで突っ切った。


 そうして向かった先は虎徹大学公認特撮サークル『英雄会』による、公認ヒーローのステージショー。


 その理由を先生はこう語る。


「英路がなかなか勉強のやる気が出ないようだから、親御さんに電話して将来の夢を聞いたんだよ。そしたら、昔はヒーローになりたいなんて言ってたらしいじゃないか」


 まるでサプライズに成功したかのように、先生は自信満々な様子を見せていた。


 しかし、率直に言えば、休日を返上してまで連れてこられた場所がヒーローショーだったことを、当時の俺は傲慢にも拍子抜けに感じていたのだ。


「そんな昔の話覚えてないし、大体、そんなの子どもが勢いで口にするやつじゃないですか。それに、これ先生の趣味でしょ? 俺は別に……」


 塾で授業をしているときに、時々先生は特撮ヒーローの話題を出すことがあった。


 だから、先生が特撮ヒーローを趣味としていることは薄々感づいてはいたが、当時高校生であった俺はヒーローに対してさしたる興味は持っていなかった。


 今でこそ、俺は自他ともに認める特撮オタクであることは間違いないが、決してずっとそうだったわけではない。


 確かに幼い頃、テレビの特撮ヒーロー番組を見て、ヒーローになりたいと思ったのは紛れもない事実だ。


 しかし、成長して世の中の現実を知るとともに当時ヒーローに熱中していた子どもはおのずとその夢を忘れていく。


 ヒーローはフィクションの紛い物、その紛い物のヒーローでさえ、なるためには端正な顔立ちやモデルのような体型など、必要となったのはいつも先天的な才能だ。


 そんなことを理解すれば、当時ヒーローに憧れていたどんな子どももヒーローになるなんて夢を持つ続けることはできない。


 俺もそうやってどこかに夢を捨ててしまった大多数の一人だった。


 そうやって特撮を子ども向けの娯楽作品として一蹴していた当時の俺にとっては、英雄会のヒーローショーなど単なる子ども向けのショーとしか思えなかったのだ。


 しかし、さも興味のない姿勢の俺を目にしても、先生の自信はいまだ健在だった。むしろ余裕を持った表情で俺を挑発する。


「そう言うなって。その思い込みは一瞬で消し飛ぶからさ」


 得意げな先生の発言には俺はどこか訝しげだったが、ステージが始まるとともに、先生の予想は現実となった。


 俺の持っていた特撮ヒーローのイメージは一瞬にして瓦解したのだ。


 子供向けとは思えないほどに、深みのあるストーリーに加え、大学生の一学生団体とは思えないほどの様々な技術。


 創意工夫を凝らしたそのオリジナルヒーローは見ている人を熱狂に陥らせ、俺も気づかぬ間にそのヒーローを応援してしまっていた。


 そして、それに携わる英雄会の誰しもが、本気で、特撮ヒーローと向き合っていたのだ。


 それに気づいたとき、今まで特撮のことをたかだか子ども向け作品として一蹴していたことが急に恥ずかしくなった。


 たとえ、子供向けだとしても、それを創る彼ら英雄会に一切の妥協は見られない。


 子ども騙しも、手抜きも一切なく、それを見ている観客を喜ばせ、そして自分たちも楽しんでいるその光景は俺にヒーローへの憧れを抱かせるにとどまらなかったのだ。


 しかも、それを演じていたのは何も特別な才能など持たないただの大学生だったのがさらに輪をかけた。


 それまでヒーローに必要なのは生まれ持った才能だと信じていた俺にとって、英雄会の見せつけたヒーローショーは俺の持っていた様々な思い込みを一瞬にして覆し、子供の頃に忘れていたある夢を思い出させてくれたのだ。


 英雄会のステージが終わっても、感動の余り立ち尽くしていた俺に、先生は言った。


「別に将来の夢を今決めろっていうわけじゃない。けど、もし目指す目標がないんなら、とりあえず、自分のやりたいことができる大学を目指すのもいいんじゃないか?」 


 虎徹大に合格すれば、俺もヒーローになれる。突如として、忘れていたヒーローへの夢が俺の胸に再燃し、俺をやる気に満ち溢れさせた。


「先生、俺決めたよ。英雄会に、そのために、虎徹大に合格したい……‼」


 それが俺の夢の再開。ヒーローになりたいと再び思うに至った、英雄会との出会いだった。


 

 

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