第33話


 瑠香と別れてから由希は走り続けた。

 校舎を駆け、校庭を抜け、足を動かし続けた。

 まひろの居場所はわかっている。

 由希がアイギスに入る前から、まひろは放課後どこかに出かけていた。

 どこへ行っていたのかは明白だ。

 今では見慣れたマンションにたどり着き、地下へのエレベーターに乗った。

 はやる気持ちのせいで、やけに下降がゆっくりに感じる。

 やがて、アイギスのアジトに到着し、まひろの部屋の扉が見えてきた。

 そして、立ち止まる事すらせずに由希は扉をあけ放った。

「まひろ!」

「へ?」

 あけ放ったドアの向こうには、まひろがいた。

 突然はいってきた由希を、元々大きな目をさらに丸くして由希を見つめていた。

 下着姿で。

「あ、あう……」

 何といったらいいかわからず由希はもごもごと口を動かして誤魔化した。

 まひろも突然なことにどうしたらいいかわからないようで、後ろを向いてそのままになっていた。

「な、何か用?」

「あ、えっと……その」

 やはりこの前の事があったからか、まひろの声音は硬く、さらに先ほどの着替え覗きの件で、由希はくじけそうな気持ちになった。

 由希は被りを振った。

 自分は先ほど覚悟を決めたのだ。

 自分のするべきことがなにか。

 素直な気持ちをまひろに伝える。

 まひろと最後に別れた時の、胸の痛みを思い出しながら、由希は口を開いた。

「俺、まひろに……」

「ちょっと待って」

「え?」

「まず先に着替えを終わらせてもいい?」

「ああ!ご、ごめん!」

 由希は慌てて扉を閉めた。

 顔が熱くなるのを感じながら、まひろが着替え終わるのを待った。

 やがて、中から声が聞こえてきた。

「もう、いいよ」

「その、失礼します」

 まひろはいつも通りシンプルな服装に身を包んでいた。

「その、さっきはすまなかった……焦ってて」

「焦る様なことがあったの?」

「まあ、急いでいるってわけではなかったけど、その、まひろと早く話したかったというか」

「なにそれ」

 特に起こっている様子はなく、むしろ由希の言葉に対してまひろはどこか嬉しそうな反応をして、由希は思わず安堵した。

「とにかく入って」

「ああ」

 促されて由希はまひろの部屋に入った。

 まひろはベッドに腰かけて、由希は床に座り込んだ。

「それで、話って?」

 由希は一度つばを飲み込んでから、まっすぐまひろを見た。

「ごめん、まひろ」

 由希は大きく頭を下げた。

 まひろは黙って由希の言葉に耳を傾けているようだった。

「俺はまひろが嘘をついてると思ったんだ。あの男、戒の話がやけにつじつまが合っているようなきがして。そもそも、どうしてまひろよりもあいつのことを信じたのかわからないよ。今まで一緒にいたのはまひろだったのに」

 今思えば、本当におかしな話だった。

 しかし、由希の中で大体の検討はついていた。

「俺は、5年前のあの事件から、まひろが指輪をつけてくれなかったことをずっと気になっていたんだ」

「そんな、ことを?」

「我ながら女々しいよな。でも、俺はそれくらいまひろとの約束を大切に思ってたんだ。それをまひろがしなくなったっていうことが、まひろとの距離を感じてしまった。5年前から、ずっとそう思っていたんだ」

 申し訳なさと恥ずかしさが身を焦がしそうなくらいだったが、由希は必死に口を動かした。

「でも、そんなの関係ない。だって、まひろはまひろだ。アイギスに来た時に、それを再確認したはずだったのに……あろうことか、人殺しなんて言うあいつの世迷言すら受け入れてしまっていた……まひろを疑ってしまっていた」

 改めて自分の考えの残酷さに気付き、由希は胸が苦しくなった。

「まひろはずっと俺を、見守ってくれていたんだ。人殺しだってしてるはずがないんだ。そんなの考えるまでもない。まひろはそんな奴じゃない……本当に、ごめん」

 由希は再び床に額を押し付けた。

 後頭部に痛いくらいまひろの視線を感じた。

「もういいよ」

 由希は不意に気配を感じて、顔をあげると近くにまひろの顔があった。

 昔から変わらない優しい瞳で由希を見つめていた。

「信じてくれたんなら、いい……ありがとう」

「本当に……ごめん」

 まひろは笑いながら被りを振った。

 由希もなんだか照れくさくなって、視線を落とした。

 偶然、まひろの右手が視界に入った。

「なあまひろ」

「ん?」

「許しついでにお願いを聞いてほしいんだ」

「な、なに?」

 仲直りしたてで由希が急な要求にまひろは面喰ったようだった。

 その勢いのまま由希は言った。

「その、なんていうか恥ずかしいんだけど……指輪を、もう一度つけて欲しい」 

 由希の提案にまひろは驚いて、悩むような顔になった。

「その……いいの?」

「正直、つけていてほしい。我ながら気持ち悪いけど、でもあれは俺たちにとっての約束みたいなもので。まひろにはつけていて欲しいんだ」

「そう……いうもの?」

「正直、ずっともやもやしてた」

「言ってくれればよかったのに」

「恥ずかしいだろ……今はもう既に恥ずかしいことしたし、そのついでに勢いで言っている」

「何それ」

「わかったわ」

 まひろが徐に立ち上がった。

「指輪はね、私の家にあるの。ここには持ってきてないの。それをつける資格が無いと思っていたから。実家に置いたままにしてある」

「そう、だったのか」

「由希も一緒にきて」

「ああ」

 由希とまひろは二人で部屋を出た。

 どこか軽やかなまひろの足取りに由希も自分の心が軽くなっていくような気がした。

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