第32話

 数日間は平穏な日常が過ぎていった。

 襲撃してきた男が現われることもなかったし、ミントから新しい任務が言い渡されることもなかったから、由希は普段通り学校に通っていた。

 しかし、大きな変化があった。

 まひろが朝迎えに来なくなったのだ。

 とはいえ、無理からぬことだと由希は考えた。

 自分はまひろに言ってはいけないことを言ってしまったのだ。

 ただ、たった数日まひろと言葉を交わさなかっただけで、まるで抜け殻のようになってしまった自分がいるのを感じた。

 まひろという存在がどれだけ大切だったか、由希はこの数日で痛感した。

 それでも、まひろに会いに行く勇気はなかった。

 いや、その資格がない。

 あんなことを言った自分がどの面を下げて再びまひろに声を掛ければいいというのか。

 悶々としていた由希の耳に、放課後のチャイムが届いた。

 ここ最近はずっと心ここにあらずといった様子で、やることもなかったので早々に教室を後にしようと考えていると、由希の目の前に突然人が立ちはだかった。

「久しぶり!元気だった」

「ん?」

 唐突に声を掛けられて、由希は顔をあげた。

「瑠香!?」

「えへへー、来ちゃった」

「な、なんでこんなところに!それに、何の用だよ!ってかどうやって入った」

「もう、質問は一個にしてくれないと」

 そんなやりとりをしながら、周りの生徒たちから注目を集めていることに気付いた。主に男子生徒からの視線だった。

 なんかめっちゃ可愛い子来てね?

 うちの制服じゃん、あんな可愛いのに見たことないよなあ。

 おい、なんで世良なんかと話してんだよ。あいつほとんど友達いねえのに。

 スカート短けえ……足、めっちゃ奇麗……。

 種々の好奇の視線に、由希の方が耐えられなくなり、

「い、一旦こっちに来い!」

「あん、ちょっとお」

 瑠香の手を引っ張るようにして、教室を出る。

 そのまま前回の流れをなぞって屋上へ出た。ぜえぜえと息を荒げながら由希は尋ねた。

「今日は、何の用だ」

「別に!ただ、最近由希君の顔見てないなあって」

「なんじゃそれ」

 まったく邪気のない瑠香に対して、身構えてしまった自分が由希は恥ずかしくなった。

「あの、わざわざ学校まで来られると困るんだよ。クラスメイトだって変な目で見てただろ」

「いいじゃん、別に。っていうか、私のことどう思われてるのかな?」

「どうって、生徒じゃないのに制服着てる変な人だって」

「あん、そういうことじゃなくて!私と由希君がどう見えてるんだって事!」

「え?」

 瑠香はまたぞろ、距離を詰めていたずらっぽく笑った。

「恋人だと思われたかな?」

「……バカ言うなって」

 恋人というワードにどうしてかまひろの顔が浮かんでしまって、由希はぶっきらぼうに答えた。

 その返答に瑠香は面喰ったようで、

「ええ、なんか冷たいなあ今日の由希君」

「別に。いきなり来られたらみんなこういう反応になるって」

「ちょっと、やっぱり冷たい」

 例によって、瑠香が腕を組もうとしてくるのを由希は躱した。

「こら、避けないでよお」

 諦めずに抱き着いてこようとする瑠香を躱し続けると、次第に瑠香が涙目になりながら、

「もう、何で避けるんだよお」

「当たり前だろ」

 由希がより冷たく反応すると、瑠香は冗談めかした表情をしまった。

「……なんか、あったの?」

「何もないよ」

「嘘だあ。何か若者特有の悩みを抱えてると見た」

 冗談めかして言う瑠香だったが、由希意外にもするどい瑠香の言葉に内心動揺した。

「まあ若いうちは確かにそういうこともあるよね」

「若いって……瑠香も変わらないでしょ」

「あはは、細かいことはいいからさ。瑠香ちゃんが精いっぱい親身に向き合ってあげる」

「何言ってるんだよ……」

「だって由希君の事だもん。好きな人の悩みなら聞いてあげたいと思うのが女の子ってものだもん」

「す、好きって」

「好き!」

「そういうのは簡単に言うもんじゃないんだから」

 とはいいつつ、由希はその提案に揺れていた。

 アイギスと別の理念をもつCSという団体に所属する瑠香。

 そんな彼女が、もしかしたら色々なことを知っているかもしれない。

 いや、そんなの言い訳だ。

 ただ由希は発散したかった。

 数日間ひとりで抱えているもやもやとした気持ちを解放したかったのだ。

「……実は最近、オーナーに襲われた」

「え、そうなの!?どんなやつ?」

 由希は数日前、自分とまひろを襲った男について説明した。

 すると、瑠香は思い当たったような顔になった。

「それは、多分CSの奴だね」

「ええ?」

「名前は、稲葉戒」

 思いの外、明確な答えが返ってきて、聞いた本人の由希が驚いた。

「でも、そいつが襲ってきたってどうして」

「そいつは5年前にも俺を襲ってきたんだ。それからまた現われた……理由は復讐をしたいからって……俺たちを、正確にはまひろを狙っていたんだ」

「そっか。復讐なんてつまらないことをかんがえるんだね……まあオーナー同士で、よくある話ではあるけど」

 その男、戒は瑠香にとっても印象は良くないようで、やや顔を引きつらせながら瑠香はいった。

「でも、今ここにいるってことは戒からは何とか逃れたんでしょ」

「そいつが言ったことが気になってるんだ」

「うん?」

 由希は戒の言ったことを瑠香に伝えた。

 まひろが戒を撃退したということ。

 そして、まひろが、人を殺して回っているということ。

「うーん、なるほど」

 考え込む瑠香の答えを由希は期待した。

 しかし、由希の望む答えは帰ってこなかった。

「別にあいつと仲いいわけじゃあないけど、それでもCSの一員だから多少は知ってる。それで考えると、あいつは別に無駄な嘘を吐くようなやつじゃあないよ」

「そうか……」

 愕然とする由希だった

 しかし、瑠香の話はまだ終わっていないようだった。

「由希君がどういう答えを待っていたかは知らないけど、少なくとも大事なのは戒の事じゃあないと思うんだよねえ」

「え?」

「由希君は、要はそのまひろちゃんの機嫌を損ねちゃったことが気になってるんだよね?」

「そう、なのかな」

「ちなみに、由希君はまひろちゃんのことどう思ってるの?」

「どうって、別に……まひろとは幼馴染で」

「そっか」

 由希の答えに、瑠香は噛んで含めるような間をおいたと思ったら、とんでもないことを口にした。

「じゃあ、私のこと、好き?」

「はあ?」

 突然の質問に面喰う由希だが、瑠香はいたって真面目なようだった。

「私、初めて由希君と会った時、それと夜に由希君と会った時から、好きなんだよ。今もすっごくドキドキしてる」

 意外にも照れくさいのか、頬を微かに染めながら瑠香は語った。

「ねえ、どう、かな。私は由希君が好きで、その……付き合いたいと思ってるの」

 瞳を合わせられないようで、顔を俯かせながら瑠香が言った。

 いつもの快活さが鳴りを潜め、気弱な一面がギャップとなって、由希の目で見てもすごく可愛らしかった。

 しかし、由希の答えは決まっていた。

「瑠香の気持ちには答えられない」

 由希の答えに、まひろが顔をあげた。

「どうしてさ。そのまひろちゃんとは、もう仲良しじゃないんでしょ?じゃあ断る理由なんてないじゃない?それに私こう見えても、すっごく一途なんだよ?」

 瑠香が由希に近づいてきて腕を組んでくる。

 柔らかなふくらみが由希の腕越しに伝わってきた。

「それで一途って言われてもな……」

「誰にでもやるわけじゃないもん、それに、ほら」

 瑠香はより強く、由希の腕を胸に押し当てた。

「すっごくドキドキしてるでしょ。これは、由希君と話してるから」

 覗きこむように瑠香が顔を近づけてくる。

「だからね、由希君。私と……一緒になろ?」

 吸い込まれそうな瞳だったが、由希は顔をそらした。

「ごめん……やっぱり瑠香の気持ちには応えられない」

「……そっか」

 意外にも瑠香はあっさりと引き下がった。

「やっぱりだめかあ。幼馴染って強いんだなあ。私じゃ入り込めないのか」

「瑠香にはもっと相応しい人がいるよ」

「ああ、そういうのが一番つらいのに……でも、じゃあ答えは出てるよね」

「え?」

「由希君の素直な気持ち。それを伝えてあげればいいだけ」

「素直な、気持ち……」

「うん」

 無垢な瞳で瑠香が肯定した。

 しかし、由希にはまだ解決していないことがった。

「でも、俺、あいつにひどいこと言ったんだ」

「ひどいこと?」

「昔渡した指輪をつけてくれてないこととか、昔した約束の事とか。そのせいで、まひろは傷ついていた」

「なあんだ、そんなことかあ」

 由希の決死の言葉に対して、瑠香はあっけらかんと言った。

「そんなことって……」

「さっきもいったじゃん。由希君の素直な気持ちを伝えればいいんだよ」

「素直な……」

「うん。まひろちゃんの事を由希君はどう思ってるの?それで、いままひろちゃんの為に何をしてあげたいと思ってるの?」

 瑠香が優しい表情で、由希を見つめていた。

「それを、伝えてあげるだけでいいんだよ」

 瑠香の言葉に、由希は自分のなかにくすぶっていたしこりが解けていくのを感じた。

「ありがとうそんな簡単なことも気づかなかった」

「それは、良かった」

「素直な気持ちか……それだけのことなんだな。それに気づけるなんて瑠香はすごいな」

「素直になるくらいしかできないよ。だって、私はバカだから」

「行ってくる!」

 そういって、由希は瑠香をおいて屋上を後にした。

 背中に感じる瑠香の視線は気にしなかった。

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