第30話
由希とまひろの驚く様子に、男は裂けた口角を不気味に釣り上げた。
「良い顔してくれんじゃねえか。今からその顔がもっと歪むのを見られると思うと、たまんねえぜ」
言い終わると同時に、男は徐に口を大きく開いた
その動作に、由希の防衛本能が一瞬で反応した。咄嗟に地面を蹴り、転がり込むように道のわきに移動する。
次の瞬間、由希の元居た場所のあたりが陽炎のように揺らめいた。そして、歯ぎしりのような耳障りな音が聞こえると、アスファルトに抉り取ったような大きな穴があいた。
「ち、外したか」
言葉とは裏腹に、男はどこか楽し気な声音だった。
今の現象に由希は見覚えがあった。
それは忘れもしない5年前。由希がまるで手も足も出なかった不可思議な力。まるで巨大な咢がそこにあるかのように、空間ごと捕食してしまう能力だ。
「おい、男!てめえに用はねえんだ。今だったら逃がしてやってもいいぞ」
「生憎と、見て見ぬふりは苦手なんだ」
「は!じゃあ、無様に殺されるんだな!」
男が再び大口を開き、由希を攻撃しようとした瞬間、銃声が鳴り響いた。
「ちっ!」
まひろが能力で拳銃を生成し、男に対して放ったのだ。
「ああ、それだそれ。お前はそうやって好き勝手武器を作って攻撃するんだよな」
男の言葉に答えず、まひろは続けざまに銃撃を放った。男は再び口を開いた。すると男の目の前が歪み、まひろの撃った銃弾が飲み込まれていった。
「へへ、無駄無駄」
男の能力の奇怪さにまひろが眉をひそめた。
「あの時は、油断しちまったが、ネタが割れてる今じゃそうはいかねえぞ」
「さっきから」
「あん?」
「さっきっからあなたは何を言ってるの。私はあなたと闘ったことなんてない」
「おいおい、そいつは無理があるぜ。お前はあの時、その場で見つけたレリックで超能力に目覚めて、俺に反撃をかましてくれたんじゃねえか?」
「……いえ、そんなことはしていない」
「怖かったぜ……あれは完全に俺を殺すつもりだったな。しかも能力に目覚めたばかりだってのに完全に力を使いこなしてやがった。俺ですらここまで力を使えるのに年単位で掛かったっていうのによ」
「知らないわ」
「けっ」
まひろの答えに男は焦れたようだった。
再び口を開くと、まひろの場所の空間が揺らめいった。まひろがそれを躱すが、追いかけるように空間が歪み、周りの物体を巻き込んでいく。
「くっ!」
能力によって飛び散った瓦礫がまひろの足を傷つけた。
「はは、チャーンス!」
男が口を開く。
「まひろ!」
由希はまひろを突き飛ばす。
「ぐう!」
由希は何とかまひろを庇い、自身も直撃を避けることができた。すぐさままひろに駆け寄る。
「大丈夫かまひろ」
「う、うん」
そのやり取りに、男が唐突に笑い出した。
「ああ、なるほど、そういうことか……その男に知られたくねえってことか」
むき出しの歯茎が街灯に照らされて、その姿はさながらフィクションの化け物だった。
そしてその異形の口から、信じられない言葉が飛び出した。
「お前が超能力に目覚め、それからオーナーを殺しまわってきたってことを」
男の余りの言葉に、まひろも遂に声を荒げた。
「私はそんなことしていない!」
「何言ってやがる。そうじゃなきゃ、お前らはあの時とっくに俺に殺されちまってるはずだろうが」
「待てよ」
「あん?」
由希はまひろの前に立ちふさがった。
「どうして、殺してるのがまひろだってわかるんだ」
「オーナーの死体を見るのは珍しくねえからな。そいつらの傷跡を見てわかんだよ。何せ俺はそいつの攻撃を体で感じてるんだからな」
吐き捨てるような声音だった。
「そういえば、お前もお前で俺のレジストをいきなり吹き飛ばしやがって驚いたぜ。そういう感じの能力なのか」
男は話に興が乗ってきているようだった。
「ただ、結局お前はそれ以上何もできずに、俺にのされておねんねしたわけだ。そんなお前を守るために、そいつはレリックに触れてオーナーになったってところだろうな」
不思議と男が嘘を言っているようには思えなかった。
当時の由希はまひろをかばった時に男に弾き飛ばされ意識を失い、気づけば病院にいたのだ。
その間のことは何も知らなかった。
ならば、その時に助けてくれたのはまひろということになる。
男の説明ならつじつまがある。
ただ、それだとひとつ可笑しなことがある。
なぜ、まひろはそれを認めようとしないのだ。
命の音字であるという事実を隠す必要があるはずがない。
もしあるとすれば、それを明かすことで何か別の、明かしてはいけない事実がある時。
それは、もしかすると、先ほど男が嘯いた――
「要はその女は人殺しってことだ」
「違うわ!」
まひろが必死に否定する。その様子は真剣そのものだった。
「ってかよ、てめえは何でオーナーを殺しまわってるんだ?」
「もう、やめて!」
まひろが再び男に向かって銃撃を放つが、やはり男には届かない。
その様子に男は大げさにため息をついた。
「なんかつまんねえな。話はまともに聞かねえわ、弱っちいわ。傷が完全に治って、万全を期すために長い間まっていたが、拍子抜けだったぜ。まあ、復讐は果たさせてもらうぜ……ん?」
不意に、パトカーのサイレンの男が聞こえてきた。男とまひろの能力による騒音に、近所の住民が通報したのだろう。
「ったく、無駄話しすぎちまったみたいだな」
嘆息しながら男は落ちていた布を拾い上げ、口元に付け直した。
「今日はここまでだ。だが近いうちにお前を殺す。覚悟しとくんだな」
そう言い残して、男は去って言った。
由希とまひろが取り残された。
まひろが苦い顔で由希を振り向いた。
「由希……」
「……とにかく、今はここを離れよう」
「……うん」
由希は疑念を押し殺して、走り出した。背中にはまひろが力なく追ってくるのを感じていた。
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