第21話

 由希は人生初めての夜の店に、中年男性を追って、そして女性を伴ってという状況で入店した。

 高そうだがおしりがひんやりとするソファに由希と瑠香は並んで座った。

 隣の瑠香が珍しそうに辺りを見回していた。

「すごいね、なんていうか、大人って感じだね。それにしても、由希君はこういうお店はよくくるの?」

「へ?なんでそう思うんだよ」

「だって、さっきの身分証明書」

 瑠香が由希の財布の入っているポケットに目をやる。中には由希の偽造免許証が入っていた。

 アイギスに入った時に、任務に使うだろうと言ってミントから渡されたものだった。

 その時はこんないかがわしい事に使うつもりなんかなかったが、予想外の活躍となった。

「それにしても由希君って、結構不良なんだね」

「軽蔑したか?」

「ううん、むしろもっと好きになった」

「な、何言ってんだよ」

「すごく由希君らしいっていうか。無害そうな顔をして、実は結構危ないことやってるっていうの、たまんないよ」

「意味がわかんないって」

 実際は由希はまひろがカードを能力で作成したものを受け取っただけだが、説明する必要もなかった。

 そんなやりとりをしていると、やがてキャストの女性が現われた。

「あら、お若い二人は彼女さんと彼氏さん?」

「いやそういうわけじゃ……」

「そうなんです」

「お、おい」

 由希が否定しようとするが、瑠香が勝手に話を進めてしまった。

 こういうお店に男女二人で来ることはどうなのかと考えたが、存外によくあることのようで、女性キャストはさすがプロといったような感じで、会話を進めていった。

 見計らって、由希はそのキャストに尋ねてみた。

「あの、あそこの席にいる人なんですけど……この店にはよく来るんですか?」

 他の客の話題にキャストは一瞬面食らったようだが、由希の示す方向を見て、

「あの男の人ね、本当にここ数日の間に店に来るようになったんだけど。これがものすごく羽振りが良くてね、昨日なんてシャンパンを5本も開けたのよ」

「シャンパン……」

 いまいち相場が分からない由希だが、キャストの話しぶりでそれがとても高いものだということはわかった。

 「初めて来たとき、たまたま今座ってるキャストが接客してね、それで頼むわ頼むわ。しかもそれ以降はあの子を指名するようになってさ。ああもう、私が対応してればー……って、ごめんなさいね、今のは内緒で」

 我に返ったようにキャストがおどけて謝ってきたが、由希の頭の中は混乱していて、それどころではなかった。

 最近得た収入とは何だろうか。

 あの親子にそんな突然お金が入るような気配は感じられなかった。

 なにより、奏はどうしたのだ。

 こんな夜遅くに、愛する娘を一人家においてどこかの成金よろしく振舞って、一体どういうつもりなのだろうか。

 由希の想いをよそに、知啓は酒をかっ食らっていた。

 ますます気が大きくなっているようで、その内容が由希の元へ届いた。

「今日はたくさん飲むって決めてるんだ。邪魔な娘はもういないし、金だってたんまりあるんだからな!おい、シャンパン持ってこーい!」

 由希は知啓の言葉に耳を疑った。

 彼は今、何といった?

「おら、おら!さっさと持ってこないと帰っちまうぞ!」

 横柄な知啓だが、金づるだからか担当しているキャストや周りのスタッフは満足げだった。その様子にますます知啓も気をよくしているようだった。

 その姿はひどく滑稽に見えた。

 由希は腹の底が何か嫌なものが這いまわっている感覚を覚えた。

「……あの、どうかした?」

 黙り込む由希をキャストが不安げに見ていた。

「黙っちゃって。っていうか、あの人、もしかして知り合い?」

 気を取られていて由希は答えなかったが、キャストはそれが肯定を意味するものと解釈したようで、あからさまに眉をひそめた。

「あちゃー、そういうパターンか。あの、本当にお願いだから、さっきの話、私が行ったって言わないでね」

 相変わらずキャストの言葉は由希の耳をすり抜けていった。

 由希の頭の中はただ一つ。

 お前は何をやっている。

 こんなところでバカなことをやってる暇はないはずだ。

 娘を愛しているなら、今すぐ帰れ。

 出来ないのなら、俺が無理やりにでも連れ帰ってやる。

「ちょ、ちょっと」

 気づけば由希は席から立ち上がり、知啓のいるテーブルへ向かっていった。

 目の前まで来て、ようやく知啓は由希の存在に気付いたようだった。

「ああん?なんだあ、お前は?」

 由希の顔は覚えていないようだった。

「んだあ、てめえ。なんか文句あんのかよ?」

「何やってんだよ、こんなことで」

「見りゃわかんだろ、酒を飲んでるんだよ」

「家に帰らなきゃいけないだろ」

「はあ?なんでお前にそんなこと言われなきゃいけねえんだって」

 おぼつかない呂律で知啓は由希に食って掛かる。

「奏が、家で待ってるだろ!あの子をおいて、こんなことであんたは何やってんだよ」

「……お前、まさか」

 知啓はようやく由希の事を思い出したようだった。

 由希は尚も詰め寄る。

「あんたさっき、邪魔な娘はもういないって言ってたよな。あれはどういう意味だ」

 由希の質問に知啓は黙り込んだ。

「どういう意味だって聞いてるんだよ」

「……そのままの意味だよ」

「え?」

 知啓は開き直ったような顔になった。

「奏は、もう私の元にはいない……なぜなら、あいつは研究機関へ送ったからな」

「なんだって……?」

「それと引き換えに俺は資金を受け取り、その記念にこうしてここで遊んでるというわけだ」

「この野郎!」

 由希が思わずつかみかかろうとするが、突然背中から羽交い絞めにされた。

 屈強な男が背中越しに、由希をがっしりと押さえつけている。恐らくこの店のトラブル担当のスタッフだろう。

 由希は暴れたが、そのまま店の外にまで連れ去られてしまった。

 戒めのためか、由希は思い切りみぞおちを殴られて、解放された。

 やがて、店から出てきた瑠香が由希に駆け寄ってきた。

「大丈夫、由希君?」

 心配そうな様子の瑠香に答える気力は、今の由希にはなかった。

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