第7話
影たちの動きは獰猛な肉食獣を彷彿とさせた。
由希は転がるようにして何とか回避した。由希がいた場所には巨大な爪でえぐり取られたような断面が出来ていた。
「な、何なんだよ、これ!?」
「何って……うーん、触れ合い?」
「は、はあ!?」
「こういうの好きなくせにー」
再び影たちが襲い掛かる。由希はこけつまろびつそれらを交わす。
混乱の余り、由希の思考回路は擦り切れてしまいそうだった。
未だ少女の素性は知れないまま。
それに加えて、今由希を襲っている正体不明の物体。
少女の様子からして、由希は彼女がこの影たちを操っているのだと理解した。
どういう理屈で?
影にどうして質量があって、道を壊したりしてる?
それをなぜ、少女は自分に向けている?
疑問は枚挙にいとまがない。
しかし、それをいちいち考察してる暇はないようだった。
とにかく、今はこの危機的状況を打破する術を考えなければいけないのだ。
「ちょっとお兄さん!」
少女が不満そうな顔で言った。
「どうして反撃してこないの?このままじゃ死んじゃうよ」
「反撃って、こんな訳のわからない奴らにどうやって?」
「そんなの、男の子たちにやったことをすればいいじゃない」
「な、なに!?」
少女の言葉に驚きつつ、由希は自分が先日破壊した残骸が折り重なって物陰を作っている部分を見つけた。
「くそ!」
由希は転がるようにしてそこに隠れた。
背中に硬い感触と、死の予感を感じながら、必死で息を整える。
「ほらほら、隠れてるだけじゃあつまんないよ。反撃しないと、反撃」
少女の挑発する台詞が由希に届く。同時に、先ほどの影たちが辺りを破壊する音も聞こえてきた。
正直、八方ふさがりだ。あんな何がなんだかわからない物体にどうやって対抗すればいいのかわからない。
「……いや」
ひとつ方法がある。
先ほど少女が言った事を思い出す。
先日自分が起こした不可解な現象。
今日ここの惨状を見て愕然としたものだが、事ここにいたってはそれだけが頼みの綱だ。
もう一度、一か八かあの状況を再現できればを起こせばこの状況も打破できるかもしれない。
しかし、どうやって?
由希は必死にあの時の状況を思い出す。
思い出されるのは、理不尽な状況に見舞われ、それに対する憤りの感情。
そうだ、怒るんだ。
昔、何かの漫画で見たことがある。敵に対して大きな怒りを覚えることでパワーアップする主人公やその仲間たちの物語だ。
そうだ、怒れ。
あの少女に対して。
怒れ!
怒るんだ!
由希は気持ちを盛り上げるために、右手をかざしたりなんかして、怒りの感情を少女にぶつけるイメージを必死で思い描いた。
怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ!
「って、やっぱり何も起きるわけない!」
「何やってるの?」
「……あ」
いつの間にか目の前に少女が立っていて、呆れた様子で由希を見下ろしていた。
「お兄さん……変わってるね」
「え?」
「だって、こんな危ない目にあってるのに反撃してこないんだもん」
「何度もいってるだろ……使い方がわかんないんだって」
「はあ......じゃあ、しょうがないか」
少女が大袈裟にため息をついた。
「こういうのは卑怯っぽくてやりたくないんだけど」
少女の意図が分からず、由希は二の句を継ぐ事なできなかった。
「優しいおじさんとおばさんがいるんだよね?今も由希くんの帰りを待ってる」
「......え?」
「ここで、由希くんが本気を出してくれないんだったら、その人たちがどうなっちゃうか、わかんないよ?」
少女の発した言葉が、由希の腹の奥の感情を刺激した。
それはつまり、俺が少女を止めなければ、叔父夫婦を手にかけるというのか。
あまりにも露骨でわかりやすい挑発だった。
しかし、由希には十分だった。
俺のせいで、叔父夫婦が危険な目に遭う。
俺の行動のせいで。
両親と、まひろだけじゃなく。
優しい叔父さん、叔母さんまで。
由希は全身の血が急速に巡るのを感じた。
それに応えるように、周囲に変化が現れた。
不良たちに絡まれた時と同じように、物体が一人でに壊れ始めた。
「おお、やっとやる気になってくれたね!」
「ふざけるなよ」
「ん?」
「これ以上、俺は大切なものを失いたくないんだ」
「そうだねそうだね。だから、ここで私を倒さなきゃ」
少女は余裕を崩さないまま、答えた。
その様子に由希は覚悟を決めた。
とにかく、この少女を黙らせる。
由希は少女に向かって駆け出した。
影が由希を取り囲み押しつぶそうとしてくる。
それらの攻撃に対して由希はただ本能のまま、腕を振るった。
すると――
「え!?」
由希の手に触れた影が弾け飛んだ。
その理屈は例によって分からなかったが、由希はそのまま他の影たちも蹴散らしていく。
初めて少女の顔に焦りが生まれた。
由希の勢いに釣られるようにして周囲の物体も次々と崩れたり、弾け飛んだりした。
その中の一つ、少女の後ろにあった建物のガラスが割れ、少女に向かって降り注ぐ。
「っ!」
少女がそれを躱そうとして、目の前に迫っている由希を思い出し、視線が行き来した。
その一瞬の迷いで、少女の判断が遅れた。
「きゃああああ!」
少女の叫びはやがて消えた。
そして、由希は言った。
「……大丈夫か?」
「……え?」
少女が恐る恐る目を開けた。
由希がガラスの雨から少女を庇ったのだ。
「ど、どうして」
「わからない。さっきまで君を許せなかったけど……それでも、目の前で怪我をされるのは嫌だった」
由希の言葉に、少女は言葉を失ったようだった。
黙って由希の瞳を見つめていた。
心の中を見透かそうとするかのような視線に、由希は耐えきれなくなって慌てて立ち上がった。
「えっと、立てる?」
答えないまま、少女は由希の手を取ったので、引っ張り上げた。
少女はまだうわの空のような顔のまま、
「あ、ありがとう」
「こ、こちらこそ?」
なんだか妙な雰囲気になってしまい、由希はこの場をどう収めればいいかわからなくなっていた。
由希がなんとか気の利いた展開を考えていると――
「!」
突然何かが破裂するような音が聞こえた。
少女の頬に一筋、血が流れた。
少女は音のした方向を振り返った。
由希も少女につられる様にして目を向ける。
「……まひろ?」
そこには、見慣れた幼馴染の姿があった。
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