憂鬱と邂逅

第1話

 瞼に光を感じて由希は目を覚ました。

 気だるい体を叱咤しながら制服に着替え、階段を降りると、由希は見知った顔に出迎えられた。

「おはよう、由希君」

「おはようございます、おばさん。おじさんも今日はゆっくりなんですね」

「まあ、たまにはね。由希君とこうして朝ごはんも食べたいから」

 そんなやりとりをしながら食卓を囲む。献立は純和風の焼き魚と、白米、味噌汁だった。

 由希は幼い頃に両親が離婚してから、叔父夫婦の元に引き取られた。子宝に恵まれなかった叔父夫婦は由希を本当の子供のように育てた。

 由希も、そんな二人に感謝しながら生きてきたのだ。

「ごちそうさま……今日もおいしかった」

 由希が食器を台所に運んでいると、不意にインターホンが鳴った。

「あ、来たみたいね」

「ん、誰だ?」

「あれ、あなた知らなかったの?」

 叔母の問いかけに、叔父はまだ心当たりがないようで小首をかしげたままだった。

「ほら、まひろちゃん。いつも迎えに来てくれているの」

「ああ、まひろちゃんか……って、ええ!もしかしていつもこうして迎えに来てくれてるのかい」

「まあ……そうですね」

「由希君もすみに置けないねえ……どうなんだい、それで」

「ど、どうって何がですか」

「だから、まひろちゃんとは上手くいってるのかい」

「別にそんなんじゃないですって」

「ええ~、そういわずに教えてくれよ」

「まあまあ、あなた……」

 由希の内心などお構いなしに、叔父は食いついてくる。叔母も表面的には宥めているようで、内心では興味津々となのが、その瞳の輝きが物語っている。

 叔父夫婦にはとてもお世話になっているが、こうした下世話な話が好きなのは昔から困らされていた。 最近は叔父が朝早く出ていったり、帰りが遅かったりして話す機会が少なかったから油断していた。

 再びインターホンが鳴らされる。

 諸悪の根源でもあるそれを助け船にして、由希はその場を切り抜けることにした。

「あいつが呼んでるんで」

「ああ、ちょっと意味深な発言……」

「おい、母さんこれは家族会議モノだな」

 なにやら不穏なやりとりが聞こえてきたのを振り払って由希は家を出た。

「おはよう」

「おはよう、まひろ」

 ドアを開けるとまひろに出迎えられた。

 涼し気な目元に小さな鼻梁。優し気な口元。肩くらいまでの黒い髪。正統派の美少女といったその顔貌は、由希にとっては見慣れた顔であった。

 由希はまひろと並んで歩き出す。

 空は、まさに梅雨空というように厚い雲が空を覆っていて、気分がなんとなく沈みそうになるのが嫌で、由希は口を開いた。

「なあ、聞いてくれよ。今日珍しく叔父さんが朝ごはんにいたんだけどさ」

「へえ、いいね」

「まひろがインターホンを押して、それをまひろだってわかったら、まひろちゃんとは最近どうなんだってな?どうってなんだよなあ」

 由希の問いかけにまひろは答えない。無視をしたわけではなくて、その質問の答えを探しているようだった。

 思いの外真剣に考えこんでいるようだったので、由希はなんだかたまらなくなって、

「いやあ、どうっていっても俺たちは幼馴染じゃんか?おじさんだってその事くらいは分かってるはずなのにどうしてあんな質問したんだろうなあって」

「幼馴染……」

 まひろが呟いた。その声音に寂しさが混じっているような気がした。

 結局そのまま会話が途切れてしまった。

 梅雨空と同じ色をした沈黙が二人を包んだ。

 まひろは、ある時を境に口数が減った。

 5年前。二人で宝探しに出かけ、レリックに触れてしまった時からだ。

 由希が目覚めると、そこは病院だった。

 まひろも同じ病棟に入院していたようで、病院に連絡してくれたのも彼女のようだった。

 それを聞いた時、由希の悔しさでいっぱいになった。

 両親が離婚し、自分をおいて出て行ってしまった時、ふさぎ込んでいた自分に優しくしてくれたのはまひろだった。

 その彼女を守るために、自分は何もしてやれなかったという事実が辛かった。

 加えてもう一つ。

「まひろ」

「ん?」

 由希はまひろの右手を見た。

 そこに、指輪ははめられていなかった。

 あの事件以来、まひろは指輪をつけてくれなくなった。

 それは、由希にとって少なからずショックだった。

 あの事件は確実に、由希とまひろの距離感を狂わせてしまっていた。

 指輪の事も、事件の事も、由希はまひろに詳しく聞く事は出来なかった。

「どうかした?」

「え?」

 気づけばまひろが由希の顔を覗き込んでいた。

「……いや、何でもない」

「そう」

 会話が終わると、再び由希の心は自己嫌悪が生まれた。 

 自分は、関わる人をことごとく不幸にするのではないか。

 両親が出て行ってから、由希はそういう風に考えるようになっていた。

 出てった理由は詳しくは分からない。

 大人の事情ってやつなのだろう。

 だが、原因が自分に合ったような気がしてならないのだ。

 優しい叔父夫婦や幼馴染と一緒にいても、その考えを変えるのは難しかった。

 不意に由希は鼻先に冷たいものを感じた。

「雨降ってる」

「ほんとだな」

 まるで由希の心模様が空に現れているようだった。

「はい」

 まひろがいつの間にか折りたたみ傘を取り出して、自分と由希で半分ずつ入るように差した。

「そろそろ行こう、遅刻しちゃう」

「……そうだな」

 まひろが微笑んだ。

 それは昔から変わらないままだったから、由希も笑顔を返すことが出来た。

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