お見合い当日
次の週の休日。
礼装姿の紡は縹と共に、二人の使用人に連れられて『錦織屋敷』へと向かう。
使用人はどちらも縹と懇意にしている者たちだ。
紡は、まるで罪人が連行されているようだな、と思いながら彼らの後ろを歩いた。
目的地の汐桐邸では、玄関先に並んだ大人数の人間に出迎えられた。
正面に立っていたがたいの良い男性は『錦織屋敷』の親方様こと、汐桐家の当主である。
その隣に並ぶきっぷの良さそうな女性はその妻であり、深鈴の母親に当たる汐桐の女主人だ。
二人とも豪快な笑顔と共に紡達を客人として招き入れてくれた。
彼らの傍には計十人程の従業員が付き添っていた。
老若男女混じった従業員達は皆人当たりの良さそうな笑顔を浮かべていたが、紡は彼らの立つ位置に余りにも隙が無いことに気がつく。
特に『親方様』と『女主人』の死角となる箇所には必ず誰かが控えており、移動や指示の伝達にも全く無駄な動きが無かった。
彼らもまた深八咫と同じく忍びなのだろうか。
紡はそう思いながら、改めて『錦織屋敷』の人々を見渡す。
深八咫の姿はその中には無いようだったが、大方屋敷内に控えている深鈴の側についているのだろう。
「……ん?」
親同士が挨拶を交わしている間に紡が視線を巡らせていると、ふと視線を感じる。そちらへ顔を向けてみれば、小柄な人影がさっと身を翻して屋敷の中へと駆け込んで行った。
「さぁどうぞ、こちらへ!」
誰だったのだろうか、と思案する暇もなく紡は屋敷へと通される。
人影のことは多少気になりはしたが、今日の本題はこれからだった。
*****
床の間に立派な掛け軸と落ち着いた配色の生花が飾られた応接室で、汐桐夫妻と朝夕親子は長机を挟んで座っていた。
軽い世間話だとか、生前の綴と『親方様』に軽い交友関係があったとか、あたかも今日ここに来たのは見合いが目的でない、という風な話題が続く。
こういった流れはお決まりのものらしく、『偶然にも』出会した若人二人が『互いに惹かれて』交際が決まる、という流れになるらしい。
紡はそれを聞いて、なんとも回りくどいことを、と思ったが……世間的には良家の子息が堂々と女漁りをするのは格好が付かないという事なのだろうか。
「失礼します。」
紡が母親の言葉に相槌を打っていると、聞き覚えのある声がして、ゆっくりと襖が開かれる。
茶碗の乗った盆を側に置き、正座をして現れたのは、母親に似て端正な顔立ちをした少女だった。
編み込んで纏められた長い黒髪には金の櫛が飾られており、化粧もしているのか少女の実年齢よりは幾ばくか大人っぽい印象を受ける。
しかし彼女こそが、半年と少し前に紡が夏祭りで出会った汐桐深鈴だった。
深鈴は幼い彼女には少し大きい盆を持って、その場の四人の前に湯呑みを配る。
その後汐桐夫妻は、改めて紡達に深鈴のことを紹介した。
「お初にお目にかかります。朝夕紡様、朝夕縹様。汐桐深鈴に御座います、お見知りおき下さりますと幸いです。」
「こ、こちらこそよろしくお願いします」
紡は目の前の人物が本当に、以前深八咫におぶさって微睡んでいた少女と同一人物なのか、と信じられない心地になりながら頭を下げた。
深鈴はしゃんと背筋を伸ばし、続く縹の言葉に物怖じする事なく応じている。
そのまま幾らか会話が続き、頃合いを見た『親方様』が口火を切った。
「そういえば、縹様にご覧に入れたいお品が御座いました。先日霧の都より取り寄せました香で、未だ帝都ではお取り扱いのない珍しい物にございますよ。」
「興味深いですね、是非拝見させて頂きます。紡さん、深鈴お嬢様とこちらでお待ち頂いて宜しいですか。」
「……はい、分かりました。」
縹が立ち上がったのを確認すると、『親方様』は手をぱんぱんと二度打ち鳴らす。
すると、部屋の外に控えていたらしい人間が即座に襖を開いた。
その人の顔を見て、紡は彼が深八咫であることに気づいた。
汐桐夫妻と縹が部屋から出たあと、深八咫は元の通りに襖を閉めるが……その際に紡に向けられた視線はまるで「下手な事はするな」と脅しているようであった。
背筋がぞっとして、紡は冷や汗をかく。
「お久しぶりです、紡様」
「あ、ああ。久しぶり」
頭を下げた深鈴に、紡も慌てて応える。
しかし、その後の会話が続かない。
顔見知りとは言え、紡と深鈴が直接的に会話したことはほとんどなかったように思う。
「その……突然、申し訳なかった。」
「何がでしょう」
「急に見合いの話を持ち掛けたりして。きっと深鈴さんも親から話があって、断れなかったんだろう?」
「いえ。寧ろ、親父様が断ろうとしていたのを私がお受けして下さいと言ったのです」
「え!?」
予想だにしなかった言葉に、紡は仰天する。
一体どういうつもりなのだろう。深鈴は気まぐれを言うような子には思えないし、かと言って、積極的に会いたがるほど紡に懐いているということもないだろう。
「なら、どうして?」
「汐桐の未来に繋がる事ならば、と思った次第です。」
深鈴は朝夕家が先祖代々、帝都各地の商家の娘を長男の妻として迎え入れている事を語った。
その中には、汐桐が取り入ろうとして素気無く断られた古物商や、これから結びつきを深めて行きたいと考えている薬売りの家系も含まれているらしい。
それら商家とのコネを作れるならば、汐桐家としては深鈴が朝夕家に嫁ぐというのはそれ程悪い話でもないとの事だった。
「ですから、私は紡様さえ良ければ、と思ってはいますが。」
「いや、あの」
「如何致しましたか?」
「俺は……」
紡は口籠もりそうになるが、目の前の幼い少女が汐桐家の一人娘として真っ直ぐに話をしてくれている事を思い、彼女へと向き直る。
「俺には心に決めた
「そうですか、残念です。」
紡の言葉に、深鈴はそう言った。
少しだけ本当に残念そうだったのは紡に未練があった訳ではなく、汐桐家にとっての選択肢を一つ潰してしまったからなのだろう。
「だけどその……女性にとっては軽く済む話ではないだろう、見合いの破談なんて。」
両親同士が決めた見合いというのは基本的には形式だけで、実際に婚姻を交わすのはほぼ決まっている事である。
それでも破談になるという事は、両者のどちらかに明らかな問題があったからに他ならない。
そしてその問題は大概女性側に原因があるとされ、ある意味では『傷物』にされるのと同義である。
「私は、今日のお見合いは最初に『汐桐の未来に繋がる事』だとお伝えしました。」
「それはうまく行った時の事だろう?」
「紡様は、私がそう思ってお受けしたとお考えですか?」
きょとん、とした表情の深鈴。
紡は彼女の言葉がすぐには理解できずに、首を傾げる。
そして、まさか、と思い当たった。
「私、深鈴は汐桐の一人娘です。少なくとも、弟が産まれるまでは、跡取りとして生きるつもりですから。」
「破談になる前提で……」
「これで暫くは縁談などの話は来ないでしょう?」
紡は、正面に座る少女が末恐ろしくなった。
それと同時に、彼女の生家に対する覚悟の大きさを肌で感じた紡は、自分のことが情けなく思える。
「……商家の女に産まれた身ですから、己の存在すらも商材にすべきとは存じていますが。」
「そんな事は言わないでくれ。深鈴さんには、『為りたいように為って』欲しい。」
ふと口をついて出たそれは、紡が父からよく聞かされていたのと似た言葉だった。
深鈴は少しだけほっとしたような表情で、ありがとうございます、と言って頭を下げた。
「そういえば、破局ついでに聞きたい事がございました。」
「うん?」
紡の耳元に顔を寄せて、ほとんど囁くような声色で深鈴は尋ねる。
「紡様は、『鵺』という存在をご存知ですか?」
ぬえ。
紡はその言葉をどこかで聞いたかと考えを巡らせたが……思い当たる事はなく、首を横に振った。
「頭は猿、胴は狸。それから虎の獅子に蛇の尻尾を生やした妖だと言うのです。」
妖と言うともしや、凝華の怪物や昇華の怪物の事なのだろうか。
そう思った紡は、これまでに迎撃戦で戦った相手を順繰りに思い返すが、当てはまるような姿をした敵は居なかった筈だ。
またもや首を横に振る紡に、深鈴は少し落胆したそぶりを見せる。
「左様ですか。聞いてくださり、有難うございます。」
「申し訳ない。…….でも、俺よりもそういうのに詳しい知り合いがいるから、今度聞いてみよう。」
「本当ですか?その方は、どちらに?」
予想以上に食いつきの良い深鈴にたじろぎながら、紡は深鈴に『カフェー・マスカレェド』の事を話す。
当然、『誓約生徒会』の事や彼らのうちの一部が別の世界から来た事などは伏せたが、その存在は深鈴の興味を引いたらしい。
「ご協力、痛み入ります。今度私の方で訪ねてみます。」
前のめりな彼女の姿に、紡は少し不安になったが……『カフェー・マスカレェド』は対外的には普通の喫茶店の筈なので、お気をつけて、と返す事にする。
その後、当に冷め切った茶碗の茶を二人で一滴残らず飲み干し部屋を出た。
気まずく思いながらも親たちに破談になった事を伝えると、縹が愕然としていたのに対して、汐桐夫妻は「残念です」と言ったきりだったので、彼らも今日の話が身を結ぶ事がないと分かっていたのだろう。
日が傾いて影も伸び始めた中、紡が使用人や縹と共に帰路に着こうとした時、深鈴がつんつんと袖口を引っ張る。
不思議に思い振り返ると、深鈴は素知らぬ顔をして紡を見ていた。
しかし彼女が何の理由もなくそんな事をするはずも無いと思い、自室に帰った後に羽織の袂を探ってみる。
すると小さく畳まれた紙切れが出てきた。
それを開いてみると、達筆な文字で『絃様が寂しがっておりますから、会いに行って差し上げてください。』とだけ書かれていた。
紡はそれを見て、この手紙はきっと汐桐の跡継ぎとしてではなく、絃の友人として自分に寄越したものなのだろう、などと考える。
思えばもう、丸々四ヶ月は絃に会っていない。
定期的に文通をしているとはいえ、以前は毎日のように会っていた彼女と、これ程長く顔を合わせていないのだという事実が嫌でも思い起こされて、唐突に寂しくなった。
だが物理的に会いに行く時間がないというのもあるし、遂に来週入れてもらえることになった帝都軍の書庫のことや、それから凛とのこと、桜花教を嫌う母のこと……。
紡は自身を取り巻く事情の多さに、思わずため息をつく。
「……疲れた」
誰が聞いているということもないが、紡の口からぽろりと弱音が溢れた。
そしてきっと今の自分は、昔絃が言っていたような『綺麗な桜』を咲かせてはいないのだろうな、などと思うのであった。
朝夕と汐桐 はるより @haruyori
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