第25話 【 夜のピピラの丘 】
夕方、買ったものを一旦、ホテルに戻って置いてくるついでにシャワーをし、着替えて、私たちは再びピピラの丘へ向かった。
「私、歩いて登る」
「ああ、了解。気をつけてね。上で待ってる」
夕方とはいえ、まだ明るかったので、つかさの好きにさせた。私がケーブルカーに乗り込むのを見届けるとつかさは乗り場の外へ出て、階段を登り始めた。ケーブルカーは、1分やそこらで上まで行ってしまうので私が先に着くだろう 朝には気づかなかったが、途中、ひょろ長いサボテンが民家と思える庭にそびえていた。忘れていたが、さすがメキシコだ。
丘の上に先に着いた私は、つかさが上がって来るのを待った。予想した時間よりもだいぶ過ぎてる気がしたが、なかなか上がって来ず、ひとりで行かせた事を今更、後悔し、心配をした。
「お待たせ。待った? ごめん、ちょっとウロウロしてた」
「ああ、良かった。心配した。どうかした?」私は胸を右手で押さえながらつかさに言った。
「同級生のあゆみに似てる子がいて、すれ違ったから後を追いかけて階段下ったりしてた。見失ったからたぶん見間違いかな」
「そうやったんや、あゆみ。見たかったなあ。中学の同級生? 」
つかさの同級生で友だちなら可愛いに違いない。会えてたら良かったのにと思った。
「うん、前に話したでしょ。私が一回だけクラスで一番とった事あるって。それまでずっとクラスで一番だった子。友だちだったし、一緒に帰ったりしてたんだけど、気づいたら見なくなって、いなくなってた。転校したんだろうけど、それがいつだったか、どこに行ったのかを全然思い出せないの。メキシコへ来てたのかと追いかけたけど、やっぱり幻だったのかなあ?」
「ふーん、友だちとか忘れるような冷たいやつじゃないのにねぇ、つかさは。 しかも完全記憶能力者だし、忘れるって変やね」
「寝ぼけてる時の記憶は母親から聞くだけで、覚えてないんだけどね。寝ぼけてたのかなあ」
「そうなんだ。だから俺のイビキも覚えてないんやね。じゃ、寝ぼけている時につかさを襲えば忘れてもらえる? あはは、ごめん」
「エッチ。もう、エロオヤジなんだから」
つかさにそう言われてなんだか、かえって嬉しかった。この辺は私もおじさんの境地に近づいているという事だろう。否定出来ない。
「なんか食べようか? 色々美味しそうなものあるよ」
「うん、食べよ、食べよ」
「つかさは、まだまだ色気より食い気やね。あははは」
「そういう事」と言いながら既に屋台の食べ物を眺めていた。トウモロコシやタコスを食べ、飲み物をもって街の景色が見える方へ移動する頃にはやや暗くなり始めていた。新型コロナの影響がまだ微かに残るものの、この丘は観光客に一番人気らしく、午前も多かったが、この時間も更に増えていた。私たちのように昼間も夜も見に来ようとした人が多いのかもしれない。
辺りが更に暗くなり、街にも明かりが灯り始めた。広場の後ろにある大きなピピラの像もライトアップされた。私たちは、人が混み会う、街側から後ずさり、先ず、ピピラの像と写真を撮った。午前もここで撮影したので、ライトアップされた夜のピピラの像も欲しかったのだ。
「夜やね。日本の裏側のメキシコで、夜やね。こんなところまで、まだ二回しか会ったことないつかさと来ちゃったね。凄いな。よく嫁さん、許してくれたな。つかさラッキーやね。普通は、だいたい嫁さんが我慢できなくて、ドタキャンになる。嫁さんも歳とったのかな。それとも見切りをつけられたのか。あはは」
「奥さんと仲良いの? 」
「普通はね。仲良い方だと思う。いつも一緒に居るから周りからはけっこう羨ましがられてる。喧嘩は昔からずっとしてるけど、結局は、俺が女の子好きなのも、みんなにそう公言できるのも嫁さんが居るからだと思う。俺をちゃんと支配してると思ってるし、支配されてる。だから俺は嫁さんには勝てないし、嘘もつけない。浮気も出来ない」
「へぇ、いいな。うちの両親は、最近もずっとギクシャクしてる。目の前で喧嘩されると家にいるのが嫌になる」
「まあ、そうだよね。うちの娘もぼくらが喧嘩すると怒る。喧嘩するってことはけっこう仲良いんじゃないの?」
「ならいいんだけど」
「夫婦喧嘩はイヌも食わないと言うから、見守ってあげて下さい。あはは」
「そっかな、分かんない」
つかさとそんな話をしている間にどんどん暗くなっていた。ケーブルカーの最終は、9時45分だ。最終は避けたい。歩くのは安全なグアナファトと言えどもなるべく少なくしたい。私たちは、飲み物の容器を屋台のゴミ箱に入れて、広場の街側の方へ近づいた。
「わー、幻想的。死者の国と一緒。すごい、凄い。映画みたい。こうじさん連れて来てくれてありがとう」
「いやいや、こちらこそ。あれ、朝と一緒やん。さすが、完全記憶能力者、朝を真似して言ってるやろ? どっかで、セリフ事前に覚えて来た? あははは」
「違う、ほんとに来て良かった。連れて来てくれてありがとう」
「はいはい、ぼくもつかさと来れてとても幸せです。嫁さんには内緒でね。綺麗だよね。 つかさぐらい。あはは」
すぐ下のバシリカ教会もライトアップされてその黄色い建物の存在感を増していた。そして、更に暗くなったが、つかさと私は、それからまたしばらく黙って街を眺めていた。私は、映画を想い浮かべながら観ていたが、つかさが何を想いながら観ていたのかは分からなかった。つかさが、こんな身体障害者のおじいさんみたいな私とこんな所まで来たのは、映画だけではないような気がしていた。この時間は、つかさのものだ。私は、暗くなって表情までは見れない、つかさの横顔のシルエットをじっと眺めながらそれがバレないよう、街の方を向いていた。そうだ、夜景の写真、つかさの写真も、もっと撮らなきゃ。私はそっと、後ろへ下がり、つかさを入れた写真や動画を撮った。もちろん、それを送ったら嫁さんがやきもちを妬くので、嫁さんに送る用の街だけの夜景も撮った。
「つかさ、こっちを向いて。夜景と一緒に写真撮る。お母さんに送ってやろう」私はもう少し、つかさをそっとしてやろうとも思ったが、ケーブルカーの時間も迫って、仕方なく声をかけた。振り向いた時、つかさの顔から涙のようなキラッと光るものが風に吹かれて落ちたように見えたが、つかさは微笑んでいた。可愛い。つかさ、夜でも可愛いよ。ああ、最初の出会いも二回目も夜か。私はやっぱり、つかさに惚れていた。
「つかさ、帰ろうか。もうすぐケーブルカー最後になる」
「うん、あとちょっと」
「ああ、いいよ。じゃあと5分、今度、彼氏とまた来ればいい」
「来れるかなあ。来れたらいいな」
「来れるさ。つかさは若い。まだまだこれから……」
「うん」
私たちは、結局、最終時間に近いケーブルカーで下まで降り、そこからは歩いてホテルへ戻った。明日は、いよいよつかさが最初に行きたがっていた死祭がある、リメンバーで生者の国のモデルとなったオアハカ行きである。朝6時前の出発になるから5時にはつかさを起こさなければならない。大丈夫か。ああ、今夜も寝れないか。私は、これまでのことを書き足しながらちょこちょこ、うたた寝をして朝を待った。つかさは買ったお土産をカバンに詰めるとさっさと寝てしまった。寝顔もほんとに可愛い。私は隣のベッドに座って、時折、はみ出したつかさの手を少し触ったり、自分の頬をつけてみたりしたが、全く、つかさは気付かず、私もそれ以上は何もせず、ただ眺めていた。
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