第12話 【ホテル】


 私は、去年のポラロイド写真とメンバーズカードをずっと出張カバンに入れて保管していたのだ。つかさはお金をレジに持って行くとカードにスタンプを嬉しそうに押しながら、「終わったらLINEしますね」と言ってカードを返した。そして、出口まで付き添ってもらって他の仔猫ちゃんたちの「行ってらっしゃいませ」の声に押されるように私は、店を出た。去年のようにあっさり過ぎてやっぱり寂しい気はしたが今日は違った。また会えると思うと身体は軽く、杖を持ってはいたが、地面につける必要がなかった。私は真っ直ぐホテルに帰り、早速、フロントに追加の確認をした。案の定、追加料金は不要で、朝食代を支払うだけであった。



部屋へ戻ってテレビをつけて、LINEを確認したが新着は何もなかった。手を洗ってうがいをして、ベットに腰掛けてテレビを見たが何も頭の中には入ってこなかった。もう無理かもしれないとほとんど諦めていたつかさと今日、逢えた上に、今夜、ここに来て泊まる。風呂に入る。しかもメキシコへ行く約束まで出来そうである。こんな噓みたいなことが今日一日でいっぺんに起きていいのか? 現実だとしたら彼女とは前世でもかなり強い繋がりを持っていたに違いない。私は、よく夢を見て、それを記憶しているのだが、それから推測して、今の私の前世は、佐賀県の唐津市、呼子の港の海に面して立つ三階建の料亭の息子、もしくは、そこに預けられていた子どもだった。その料亭は、クジラ漁で活気あふれる漁師たちで賑わい、そこからは小舟で対岸にある遊郭へと行き来することが出来た。ひょっとすると遊女の息子だったかもしれない。現世で若い女性についつい話しかけてしまうのは、その頃の遊女たちに随分と可愛がられていたからだと思える。つかさもそこの遊女だったのか? いや、姉か妹だったかもしれない。私は若くして戦争へ行って亡くなるのだが、その料亭の海に入り込む階段が海水で見え隠れする夢を幾度となく現世で見てきた。そして佐賀に就職してからそこが呼子の港だったということに気づいたのだ。

LINEが入った。つかさだった。時間はまだ11時半前だ。やっぱり無理か、不安な予感も一瞬走ったが、画面を見た。「終わりました 汗 今から行きます 兎」

おお、ほんとに来るか、夢か?  あっ、お湯張ってない。まあいい。急ごう。あそこからホテルまで若いつかさの脚なら3分もかからないかもしれない。

私は、慌てて、カードキーを引き抜くと杖も待たずに部屋を出てエレベーターへと向かった。エレベーターの中で「了解 玄関で待ってる」と返事を出した。1階に着いて、玄関に出た時、ちょうどつかさも歩道から玄関へ向かう石段を登ってこようとしていた。パンツルックにTシャツ、背中に小さいリュックを背負って仔猫の衣装とはガラっと変わってとても19歳になったとは思えない、まるで高校生の普段着のような姿だった。つかさも私を見つけ、コンセプトカフェとはまた違う微笑みを見せた。なんて可愛いんだ。妹か?  これは本当に手を出せないなと思った。

「お疲れ様。早かったね。家の方は大丈夫だった?」

「大丈夫です。何時ものことだから」

「えっ、いつもこんなことしてるの?」

「いいえ、友達の所とかですよ」

「男の?  彼氏?」

「あーん、半々ぐらいです。いろんな意味で」

うーん、『いろんな意味で』 彼氏かどうか分からないくらい?  男と女が半々? 私は、これ以上考えても無駄なような気がして「了解。コンビニ行こうか」と話を予定通りに戻した。

私とつかさは、近くのコンビニまで並んで歩いた。足を踏み出す時、左の足がやや広がって、隣を歩く人に当たってしまうので、つかさには右側を歩いてもらった。

「杖なくて大丈夫なの?」

「うん、すぐそこまでぐらいだし、難しい階段がなければ大丈夫。たまに引っかかって転びそうになる時あるけど」

「いつからそうなったの?」だんだんつかさの言葉がタメ口になっていたが、むしろ私にはそれが心地良かった。

「うん、46歳の時になったから14年前かなあ。最初は、10年くらいで元のように動けるようになると思ってたんだけど、まだこんな感じ」

「ふーん、けっこう、歩いてるじゃん」

店に着くとつかさはお菓子と飲み物を、私は炭酸のジュースと水を買った。料金は私がまとめて払い、つかさが両方の買い物袋を持って、また並んで歩いてホテルへ向かった。エレベーターは、3階のフロントがあるところまでは、誰でも上がることが出来るが、その先はエレベーターを乗り換えてカードキーをかざさなければ部屋がある階へは行けなくなっていた。また二人きりのエレベーターだった。そして6階へ着くまで二人とも黙っていた。つかさはどうか分からないが、少なくとも私は少し緊張していたようだ。廊下を歩く時、つまづいて転びそうになった。やはり緊張している。麻痺のある足は緊張すると勝手に変な動きをするのだ。

カードキーをかざしてドアを開けた。私が右手でドアを押し開けている間につかさが隙間をぬって中に入った。甘い香りがしてまた少しドキっとした。

「スリッパ使ってね」

「はい、こうじさんは?」

スリッパは使い捨ての物が入り口近くに二組置いてあったが、私は左足に履かせても直ぐに抜けてしまうので、最初から使っていなかった。

「大丈夫、ぼくは履けない。床は綺麗だから裸足でも全然いい。つかさは靴を脱いで履き替えたらいい。ごめん、お湯張ってなかった。今から入れるね」

「あーん、すみません」

「先に入って。疲れたでしょう。勤労少女やね。覗かないから大丈夫だよ」

「あはは、胸ないですよ」つかさはそう言って、さらに奥のベットとテレビがある窓際へ移った。私がお湯を入れようとした時、「わー、ツインですね。変えてもらったんですか? 」と言う声が聞こえてきた。私は風呂やトイレ洗面所があるユニットバスの段を用心しながら降りて「いいや、最初からツインだった。シングルで予約したのにツインだった。追加料金は要らないって。去年もこうだったから、つかさ泊まれば良かったのにね」

「そうですね」

「いやいや、去年だったら17歳やったし、高校生やったやん。俺、捕まってたやん」

「あははは、逮捕されるんですか?」

「たぶんね。知り合いがさあ、40過ぎぐらいかな。17歳の子とね。ホテル行ってたみたいなんだ。一回じゃなかったんだろうね。逮捕されて新聞に載った。俺ね、会った時、急にスリムになったその人に「カッコいいですね」と言っちゃった。本当に若者みたいになってたし、正直に言ったんだ。でもその時はもう付き合ってたのかもしれないね。どう思う? それってつかさから考えたらある? 40過ぎ? 40だったら全然あるかなと俺は思うし、お互い本気で付き合ってたんじゃないかなと今考えてそう思う。ハニートラップにかけられたという可能性もあるけどね」

「全然あると思いますよ。友だちにもそんな子いますよ」

「そうなんだ。つかさは大人やね。俺とは、あり得る? もう60になっちゃったけど」 私は清水の舞台から飛び降りる思いで、しかし、冗談にも逃げられる程度に一応尋ねてみた。

「あーん、ないかな。危なくないし。あはは」つかさはニコニコしながらあまりそんなの興味はないしなぁという表情も見せていた。私は、やっぱりかと思うと同時に少しホッともしていた。

「お風呂入ってきていいですか? 化粧も落としたいし」

「ああ、そうやね。もうお湯が溜まってる頃やね。ガウン、中にあると思う」

「はい、行ってきます」つかさは軽く敬礼のポーズをとってバスルームへ入って行った。私がどんな顔をしていたかは想像つかないが、つかさを見送って、テレビのスイッチをつけてベッドに腰掛けた。テレビでは何やら日本映画のようなものが放送されていたが、何も入ってこなかった。つかさが隣のバスルームでもう服を脱いでいるかもしれないのだ。そう考えるとつい唾を飲んでしまい、ドキドキが止まらなかった。スマホを確認してみたが、こちらもサッと流してしまった。誰かがメッセージを入れていたかもしれなかったが、そんなことはどうでも良かった。そして、今日、撮った写真を二枚ポケットの中から取り出し、一枚ずつ眺めた。

この一年半以上の間、去年のポラロイド写真をスマホで写してそれを眺めながら小説を書いてきたが、どうしても鮮明さに欠け、つかさがぼけて無くなってしまいそうだった。今日の写真もどうしても限界がある。でも、今回は違う。本人がこの壁を隔てたバスルームにいるのだ。本物が見れるし、スマホの写真も撮らせてくれるかもしれない。しかもメキシコへも一緒に行こうと言っている。やはり前世からの繋がりなのか。


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