第7話 流れ星

「……スペアだと、ふざけやがって……、替えがきく命などありはしない……なんという……」


 狼の耳を持つ青年が唸り声を上げたことで、少女はようやく青年の変化に気がついた。青年のその大きな耳を伏せ、眉間と鼻にシワを寄せ、握りしめた拳から血がこぼれる。それだけではなく青年の髪や尾が逆だっていた。

 まさに怒髪天を貫く怒りだ。


「……こんな、小さい子に……まともな保護者が一人もいない、……これが人間のすることか……」


 青年の低い声に、白い大きな狼は尾を丸め、また少女も身を震わせた。そのぐらいその声は恐ろしく、青年の怒りは大きかった。けれど青年は両手で自分の顔を隠し、深く息を吐く。そして顔を晒した時にはもう、穏やかに微笑んでいた。


「……つまり、お嬢さんには名前がないってことか? それなら俺達魔族と一緒だな」


 青年の笑顔に狼は尾を上げ、少女もまたほっと息を吐いた。


「……一緒、ですか……?」

「あぁ、魔族は名前を持たない。俺達は一つの種族だ。力の序列によって全てが定まる。だからこそ名前はいらないんだ。序列で呼び合えばいいからな。つーことで、……俺は序列の二十八番。よろしくな」


 青年は少女の右手を掴むと、握手をした。少女は掴まれた自分の右手を見て、曖昧に頷いた。


「俺は魔王軍の騎士だからそれなりに偉いんだぜ? で、……こっちは俺の弟で、まだ二足歩行できないから序列はついてない。まぁ、でも俺達は人間でいうところの貴族みたいなもんだから、頼ってくれていい」


 青年は白い狼の顎を撫でると、同じように少女の頭を撫でた。


「まあ、俺らのことはおにいちゃんって呼べばいいとして、問題はきみの名前だよな……」

「……はい?」

「何がいいかな。俺達には名前をつける文化がないからな……いい案あるか?」


 なにか聞き捨てならないことを言われた気がした少女だったが、青年はそんな少女を無視して隣の弟に尋ねる。弟は尾を振りながら「あのね!」と嬉しそうに話し出す。


「崖に落ちていくところを見たの。すごくキラキラしてて、星が落ちてきたんだと思ったの。でもこの子だったんでしょ? なら、この子が星なんだよ!」

「なるほど……うん、そうしよう。きみの名前は今日からステラ。そして俺の妹だ」


 青年は勝手にそう宣言して、少女を抱き上げた。少女は何もわからないまま抱き上げられ、呆けたまま青年を見上げる。


「ステラ、……気に入らないか?」

「……ステラ……でも、だって、わたし……そんな……」

「でももだってもそんなもなしだ。気に入ったか?」


 少女は――ステラは小さく頷いた。青年は嬉しそうに笑うと、今度は自分の胸をつついた。少女が意味を測りかねていると、白い狼が尾を振りながら、「にいに!」と手本を示すように青年を呼んだ。


「……、あの、……」

「いいから、呼んでみて」

「……、……おにいさま……?」


 ステラの呼びかけに青年の耳がピンと立ち上がり、尾がぶわりと逆立った。そして、その後に、青年は頬を赤くし、眉を下げ、嬉しそうに歯を見せて高笑いをした。少女は青年の腕の中で困惑していたが、そんな少女に白い狼が口を寄せた。


「にいにもね、ぼくもね、ずっと妹がほしかったの」


 少女は瞬きをしてから、青年を見上げた。

 青年の尻尾は機嫌良く動いているし、その顔も楽しそうだ。少女は自身の前でそんなふうに嬉しそうにしている大人を見るのは初めてだった。

 だから彼女はどうしたらいいかわからず、彼に抱き上げられたまま困惑していた。


「じゃあ、ステラ、……ステラのお父さんとお母さんと、他の兄を紹介するぞ」

「えっ?」

「ステラは俺らの妹だからな。家族が沢山だ。楽しみだな?」

「か、ぞく……?」


 彼女は何もわからないままこの世界に落とされ、そうして何もわからないまま名前を与えられ、抱き上げられた。まるで赤子から生まれ直すようだ。けれど、彼女は赤子ではなかったから素直に喜ぶことも泣くこともできず、ただ、曖昧に頷くことしかできなかった。

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