第6話 大人と子ども

「よっし、可愛い。完璧だな……」


 狼の耳を持つ青年がそう満足気に呟いたとき、彼の視線の先にいたのは少女だった。だが、少女はつい三十分前とは全く異なる装いとなっていた。

 少女との邂逅を果たした直後、美しい青年は面倒臭そうにしつつも、すぐに呆けている少女を小脇に抱えるように抱き上げ、城に連れ込んだ。そして彼女の怪我や汚れを魔法を用いてあっという間に綺麗にすると、今度はぶつくさ言いながら少女の銀髪に櫛をいれ、そして、そのボロボロになりつつあった服の代わりに、少女の瞳の色に合わせたような金糸を使ったドレスに着替えさせたのだ。

 怪我と汚れをなくし、美しい装いに身を包んだ少女は、どこかの貴族のご令嬢のようであった。青年はそんな少女の髪を優しくまとめ上げ、金の髪飾りをつけると、冒頭の言葉を呟いたのだ。そして、そんな言葉を呟かれた少女は、何が行われたのかわからないまま呆然と、ソファーに腰掛けていた。

 青年は満足そうに少女を見下ろし、何度か頷いた後、ハッと気がついたように真面目な顔を作った。


「しまった、こんなことをしている場合じゃなかった。この可愛い子、人の子だった。ええと……どうすっかな、お嬢さん……、とりあえずどっから来たの? 普通、人は魔界に入れないはずなんだよ。誰かと一緒に来たの?」


 青年は少女の前に跪き、威圧感を与えない表情と声色で、優しくそう尋ねた。だが、少女はその質問に答えることができなかった。


「……わかり、ません……気がついたら……その……ここに……」

「そうなの? ええと、じゃあね、……順番に思い出してみてくれる? お兄さん、聞いたらわかるかもしれないから。ね? まず、ここに連れてきたのはこいつ……この白い狼でしょう?」


 少女は優しくうながされ、言われたとおり、順番に思い出した。


「はい……その、崖の下で、大きなムカデに……食べられるところだったのですが、そこに……」

「崖の下で大きなムカデに食べられるところだったの? は? ちょっと待ってね。……おい、お前、どこ遊びに行ったんだよ!」


 青年は少女ではなく白い狼に顔を向けると、伏せをしていた狼は前足で自分顔を隠した。


「ええと、ドラゴンの谷に……」

「なんでそんな危ないところ行くんだ!」

「だってぇ……にいに、沼遊びしちゃ駄目って言うから……」

「当たり前だろ! 誰が泥まみれのお前を洗うと思ってんだよ!」

「だから代わりにムカデ相手の肝試しを……」

「馬鹿! 一人で行くな、あんなところ! 怪我は!?」

「ないよぉ……ごめんなさい、にいに……」

「……ダア、くそ、……お前の説教は一旦後だ」


 青年はバリバリと頭を掻いてからまた少女を見上げる。


「ええと、じゃあ、どうして崖の下にいたの?」

「落ちたので……」

「は?」

「……大きな、あの、神殿のようなところから、下に落ちたので……」


 青年はその赤い瞳で少女をじっと見た後、瞬きをして、また少女をじっと見た。


「人間って飛べたっけ?」

「あの……金色の光に包まれて、その、ゆっくり落ちました」

「……まあ、いいや、とりあえず無事なら。ええと、……じゃあ、どうしてその、神殿にいたの?」


 少女は息を深く吸ってから、ゆっくり、息を吐いた。それから覚悟を決めたように、また口を開く。


「わからないですが、……斬られたときに、きっと、こちらに……」

「……斬られた? 誰に?」


 少女は言葉を選ぶように少しだまり、それから小さな声でこういった。


「……好きな人に」


 それは少女の本音だった。

 だが、青年の美しい額に青筋を立てさせる程度には、幼い子どもが話すべきことではなかった。


「……好きな人に斬られたの? どうして?」


 少女はしかし青年の怒りには気が付かず、うながされるままにまた口を開く。


「わたしが役に立たなかったので」

「……どうして、役に立たなきゃいけないの?」

「だってそのためにわたしはいるから……そのためのものだから……なのに……わたし、役に立たなかった……だから、……もう顔を見せるなって、それで……、……」


 少女の言葉が続けば続くほど青年の額の青筋が震え、彼の拳に力が入る。そんな青年の様子に白い狼は怯えて震える。しかし少女はまだ青年の変化に気が付かない。


「その、……好きな人、以外に、頼れる大人はいないの?」

「頼れる大人……?」

「お父さんとか、お母さんとか、お兄さんとか、さ……」


 少女は目を閉じて、過去を思い返し、そして目を開けた。


「わたしに話しかけてくれたのはその人だけ。あの人だけが、わたしを呼んでくれた。スペアって……」

「スペア……って?」

「うん、わたし、その人のスペアだから。その人のものなの」


 少女は光のない瞳のまま、しかし微笑んだ。

 それは少女が初めて見せる笑みだ。儚く消えてしまいそうなその微笑みは、青年が唸り声を出すのに充分なほど、痛々しいものだった。


 

 

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