第5話 狼の城
狼が喋ったことに少女が驚いていると、狼はまたも少女に鼻を寄せた。少女の着ている白いレース地のワンピースに鼻を埋め、狼は「うーん」と呻く。
「この辺の子だったら、ぼくみんな知ってるんだけど……きみ、みんなと全然違う匂い。遠いところから来たの? 家どこか、わかる? 一人で帰れる? 大丈夫?」
「……、……わかりません」
少女は困惑しながらも、素直にそう答えた。
事実、彼女は、彼女が置かれた状況を何もわかっていなかったのだ。狼はそんな少女の答えに「そっかー」と軽く答えると、少女の前で伏せをした。
「乗って! にいにに聞いてあげる!」
「乗る……?」
「うん! あ、乗り方わかんない? わかった!」
「えっ、あっ……!」
狼は困惑する少女の足をすくうように頭を動かし、あっという間に彼女を自身の背に乗せた。そして「しっかり、つかまっててねー」と言うと、少女の返事もまたずに走り出した。
「あっ……わぷ……」
少女は狼の勢いに負けて、その毛並みに顔を突っ伏し、その背にしがみついた。狼は少女がしがみついているとわかると更に速度を上げ、崖下を疾走する。岩を蹴り、飛び、狼はやがて谷を抜け、川を飛び越え、気がつけばあたりは森になっていた。狼はそれでも土埃を立てながら走り続ける。
少女は狼の背にしがみついたまま、他にできることは何もなく、風を感じながら辺りを眺めた。森の木々はどれも大きく、そして自由だ。何の手入れも干渉もされていない森なのだろう。そして狩猟も行われないのか、ネズミやリスといった動物たちが地面で転がっている。
狼の足音を聞いても、彼らは逃げる様子はない。狼はそんな動物たちを踏まずに、しかしすごい勢いで森を疾走する。と、前方が急に開けた。
「ただいまぁ!」
狼がそう叫んだところにあったのは、風格のある一軒の屋敷……いや、それは最早『城』だった。
おそらくその城の庭なのだろうが、その開けた空間には美しい薔薇の花が咲き乱れていた。森とは違い手入れのされている花々だ。そしてその美しい薔薇園の先にある建物は、真っ白な外壁をもち、見上げるほど大きく、そして横にも広い。生真面目さを感じる線対称のデザインをしており、その外壁にほられた獣の彫刻さえも左右対称だ。その白は朝日の中、美しく輝く。
狼は美しい薔薇園をかけぬけ、その城の前で足を止めた。
「ちょっとここで待ってて、にいに呼んでくる!」
狼は少女を背からおろし、その城の大きな扉を頭で押して開くと、「にいにー!」とかけていった。残された少女は呆然と、その突然現れた城を見上げた。狼が出入りできるほど大きなその城は、人間である少女から見ると何もかもが企画外に大きい。少女は城を見上げ、その上が見えないことを悟ると、その場に座り込んだ。
「……ここは、……やっぱり……」
ぼろぼろの身体の彼女は、明らかに人の世界ではないところにいることを悟り、深くため息をいたとき、城の中から足音と声がした。
「お前、外から帰ってきたら泥落としてから入れって言っているだろう!」
「ごめんなさい、にいにー……でも! すぐにいにに来てほしかったんだもん!」
「なんなんだよ、また変なもん拾ってきたんじゃねえだろうな……」
「迷子なの! 迷子! 困ってたの! にいに、助けてあげて?」
「ハー、もうめんどくせえな……」
そんな会話のあと、城の扉が内側から開いた。そこにいたのは先程の白い狼と、――一人の青年だった。真っ黒で癖のある髪を肩まで伸ばし、赤く輝く瞳を持ち、その髪と同じ色をした軍服に身を包んだ美しい青年は、しかし、どう見ても人ではなかった。なぜならその頭には真っ黒で大きな狼の耳があり、その軍服のマントの下には大きな黒い尾があったのだ。
その青年は白い狼を撫で、微笑みながら城から出てきたが、城の前で座っていた少女を見て、その顔から笑みを消した。彼は少女をじっと見て、それから目をこすり、もう一度見てから、口を開く。
「……人じゃねえか! どこで拾ってきた、こんなもん! 誘拐だぞ! これ!」
青年の叫びに狼が「えー?」と間の抜けた声を上げ、そして少女もまた目を丸くし、青年を見上げた。美しい青年は、心底めんどくさそうに頭を掻きながら「だぁー、くそ、なんだってこんな……あー……」と呻きながらも、彼はどことなく嬉しそうに口元をゆるめ、少女を見下ろした。
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