第4話 襲うもの
彼女が真っ暗な崖下に足をつけると、彼女を包んでいた不思議な金色な光は消えた。
そして、遠くの空が朝日に染まっている。彼女は遠くのその朝日を眺めてから、疲れ果てたようにその場に座り込んだ。事実、彼女は疲れ果てていた。怪我をした身体は痛み続け、眠ることもできないまま朝を迎えてしまったのだ。
彼女は植物さえ生えていない岩だらけの崖下で、ゆっくりと身体を倒した。彼女にはもう、先程の光が何なのかを考える気力さえ残っていない。ぼんやりと朝日を眺めながら、彼女は目を閉じた。
しかし、彼女の眠りはすぐに妨げられた。
――足音が近づいてきたのである。
地面を揺らしながら近づいてくるその足音は、とてもおぞましいものを思わせるものだった。少女は目を覚まし、その、生理的に嫌悪感を抱く足音がする方を見た。
それは、少女の十倍はある、大きなムカデだった。
無数の足を動かして、ムカデは少女の方に向かって滑るように進んでくる。まだ遠くにいたというのに、そのおぞましさに、少女は身をすくませた。
「い、……いやっ……」
少女は咄嗟にそう言った。
が、ムカデはむしろ速度を上げて彼女のもとに向かってくる。彼女は恐怖から立ち上がり、踵を返し、走り出した。
しかし、彼女の後を追って、そのおぞましい足音は着いてくる。
(いや! やだ、あんなの! いやだ!)
彼女は必死に走るが大きなムカデは彼女とは比べ物にならない速度で追いかけてくる。どんどん距離を詰められていく中、彼女はついに口を開いた。
「やだ! ……誰かっ……助けて!」
彼女にとってその言葉は、人生で初めて使うものだった。そして、その言葉を使ったことで、彼女の混乱はふっと、止んだ。
(……助けて? ……助けてくれる人なんて、いるはずない……)
彼女はヒュリアローゼのために作られたヒュリアローゼのスペアだ。それだけの価値しかない彼女は、意思を持つことを禁じられていた。彼女はいずれその身を捧げるからこそ、人になってはいけなかったのだ。だから、彼女には苦痛のみが与えられ、助けなどあるはずもなかった。
彼女は皮肉にも助けを求める自分の声を聞いて、そのことを思い出したのだ。そして、彼女は足を止め、振り向いて、近づいてくるムカデと向き合った。ムカデは少女と目が合うと少し速度を落とし、しかし彼女に這い寄っていく。
「……わたしを食べるの?」
少女の言葉に答えるように、ムカデは少女の目の前で頭を持ち上げた。その恐ろしき牙がガチャガチャと音を立てる。
「……わかった、あなたの……役に立つなら……」
少女はムカデに向かって手を広げた。ムカデはそんな少女に応えるように少女に向かって牙を立てようと向かってくる。少女はその金色の瞳を閉じて、来るであろう痛みに備えた。
「どーん!」
しかし、――少女を襲ったのは痛みではなかった。
少女のもとに訪れたのは背後から吹いてきた強い風、そして幼い少年の声だった。その予想外のことに少女が目を開けると、そこにはひっくり返っているムカデと、そのムカデを踏みつけている一頭の狼がいた。
真っ白で輝く毛並みを持つその狼は、少女を丸呑みにできるであろうほど大きい。そんな狼はムカデの上で何度かジャンプした後、地面に降り立った。ムカデは狼が降りるとすぐ身を翻し、逃げ惑うように去っていった。
狼はそれを見送ってから、振り向き、少女を見下ろす。狼の青い瞳は、少女の顔よりも大きい。その大きな大きな白い狼は、ほうけている少女の顔に鼻を寄せる。狼の口からのぞく白い牙は恐ろしく尖っていた。荒い息をしながら、狼は少女の首筋にその湿った鼻をつける。狼の口の端からよだれが溢れた。
「……あなた、わたしを食べるの?」
ムカデにもした質問を、少女は狼にもした。
すると、狼は意外なことに少女から一歩離れた。狼は少女の前で腰を下ろすと、不思議そうに、まるで人がするように首を傾げる。
「きみ、知らない匂いがする。どこからきたの? 迷子?」
そして、驚くべきことに、まるで人のように、その狼は言葉を発したのである。その声は少年のもので、少女は驚きのあまり、目を丸くするしかできなかった。
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