第3話 人間と魔族
魔界――それは生まれつき魔石を使わずに魔法を使う生き物である魔族たちが住む領土、つまりこの星の半分を指す。
魔族たちは魔界から一歩も出ることはなく、また人間たちも魔界には決して立ち入らない。人間と魔族は互いに不干渉、それがこの世界の大切な決め事だ。
始まりは十五年前、人間と魔族は種族をかけて争っていた。多くの命が失われ、それよりも多くの命が呪われた。恐ろしい戦争だ、誰もがやめたいと願う戦争で、しかし誰もとめられなかった。なぜならこの戦争を始めた魔王は、あまりにも力を持っていたからだ。魔王が戦争を続ける以上、力による序列にしばられる魔族は逆らえない。そして魔族によって人が殺されれば、人間たちは剣を持つしかなかった。
未来永劫続くかと思われた戦争だったが、一人の人間と一人の魔族が協力をして、魔王を打ち倒し、この戦争を終わらせた。
その人間側の英雄こそ、ヒュリアローゼだ。彼女は魔王に呪いこそかけられたが、それでも魔王を倒し、世界を救ったのだ。そして彼女に協力した魔族が新しい魔王となり、彼らは『不干渉の誓い』を立てた。人間は人間界に魔族は魔界に住み、決して交わらないことを誓い、そしてその境を封じた。
そして魔族と人間は、平和な世界を作ったのだ。
だが、――今、一人の人間の少女がいる場所は魔界だった。
少女は真っ青な空が赤くなり、そして黒になっても、廃墟の出口で膝を抱えていた。
眼下に広がる崖は底が冷えないほど深く、そして多くのドラゴンが夜になっても飛び交っている。少女は傷だらけの膝をかかえたまま、その様子を呆けた様子で、ただ眺めていた。
少女にとっては何もかもが初めて見るものだった。空に浮かぶ星も、月も、暗闇を飛び交うドラゴンの鱗の輝きも、その炎も、なにもかもだ。そんな何も知らない彼女であってさえ、ここは人間が住む世界ではないとわかるほど、そこは人間界とは異なっていた。
(……魔界に入った人間は……問答無用で殺される……不干渉の誓い……、たしか、誰かそう話していた……)
月明かりしかない暗い世界の中で、少女はどこにも行き場がなかった。ただそのことは、少女にとってはこれまでと大差ないことであった。ただこれまでと違うのは、少女にはもう生きていく理由がない、ということだ。
(……もう、……いいんだ)
少女はフラリと立ち上がり、それから、暗闇に誘われるように、一歩前に進んだ。その先には崖しかないというのに、彼女は歩を進める。
「……ヒュー、……役に立たなくて、ごめんなさい……」
彼女はそう言い残すと、ふ、と風に舞う落ち葉のように軽々しく、崖に飛び降りた。
彼女の小さな体は真っ逆さまに死に向かって落ちていく。抗うすべなど彼女にあるはずもなく、また抗う意思も彼女にはなかった。しかし、彼女は落ち続けることはなかった。
「え……」
気がつくと、彼女は金色の光に包まれ、宙に浮かんでいた。真っ暗な崖の中、彼女の身体はきらきらと星のように輝く。飛び交うドラゴンたちはそんな彼女を避けて、巣に戻っていく。彼女は一人、光をまといながら、ゆっくり、ゆっくりと崖を下っていく。
「どうして……?」
ドラゴンたちも消え、月明かりさえ届かない崖下に、彼女はゆっくりと降りていく。ここがどこかもわからず、そして死ぬことさえできないまま、少女はどこまでも孤独の暗闇に落ちていったのである。
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