第2話 目覚めた先
(開かないドア、閉じられた窓、痛くて、苦しいこと、……それがわたしの全て……)
少女は人間として扱われたことはなかった。
ヒュリアローゼに捧げるための血肉として扱われ、呪いの進行を遅らせるための治験として、恐ろしい実験の数々、副反応の強い薬品の数々を与えられた。ほんの一欠片の慈悲も与えられず、苦痛のみの人生……いや『人生』とは呼べないだろう。彼女は人間ではなかったのだから。
彼女は生きる人形だった。
(ヒュリアローゼさまのために、血肉を捧げる……それが喜び……わたしの生きる意味……)
それだけを教え込まれた少女、その日を、……つまり自分が死ぬ日だけを、救いのように思い、生きていた。なのに、彼女のその救いは、他ならぬヒュリアローゼによって拒絶された。
(要らない……? じゃあ……どうして……今まで、……耐えてきたの……? 今までのわたしの……痛みも、苦しみも、何のために……? どうしたらよかったの? わたしの身体がもっと大きければ……もっとちゃんとしてたら……ヒューに、受け取ってもらえたの……?)
真っ暗な闇の中を少女は頭から落ちていく。痛めつけられ疲れ果てた彼女は、絶望の中、意識を閉じた。
――水音がした。
少女は水音に導かれるように、目を覚ました。目を開けた彼女がまず見たものは、今まで塔の一室に仕舞われていた間に一度も見たことがなかったもの――空だった。
真っ青な青空、雲一つない青空、今にも落ちてきそうなほどに美しい青空が、彼女の前にあった。
「……青……」
彼女は空に向かって手を伸ばし、その陽の光をつかもうとした。そして掴めないその光に手のひらをかざし、しばらくしてから、上体を起こした。
「……、ここは……?」
少女が倒れていたのは廃墟だった。
かつては神殿だったのか、大きな像が掘られた石柱が並んでいるが、天井は落ちて青空がのぞく。残っている壁や床の石はひび割れ、苔むし、シダ植物が覆い尽くしている。彼女はそんな廃墟の真ん中、儀式に使われるような円形の舞台の上にいた。
彼女は周りを見渡してから、また空を見上げると、カラン、と近くでなにかが落ちる音がした。音を追いかけてそちらを見た彼女が見つけたのは黒き魔石――ヒュリアローゼの剣にはめられていた魔石だった。
「ヒュー……」
少女は少し戸惑ったあと、しかし魔石を拾いあげる。黒き魔石は彼女の手の中で、陽の光を浴びて、柔らかく輝いた。少女は大切そうに魔石を握りしめ、ゆっくりと立ち上がる。
倒れていた彼女の形に合わせて、苔が剥がれていた。
「……ここ、どこ……」
少女が一歩歩くと、苔が取れ、彼女の足跡が残った。
「これは、なに……」
取れた苔の下には溝があるようだった。どうやら舞台全体になにか模様があるようだったが、その全貌を把握するにはすべての苔を落とさねばならない。少女はそんなことをしようとはもちろん思わず、むしろあまり苔をはがさないように、つま先立ちで、そっと歩いた。
「イタッ……、……」
彼女は痛む頬を押さえ、その舞台を横切り、ほとんど崩れ落ちた階段を下りる。ここがどこかも、どこに行けばいいかもわからないまま、痛む体を動かし、彼女は舞台から下りた。
彼女はあたりを見渡しながら、おそらく外につながるであろう広く長い通路を彼女は進んでいく。天井さえ残っていない、どことなく湿って苔むした廃墟だが、しかしかつて神殿であった頃の厳かさを持ち続けていた。少女はなにか得体のしれないものに見られているような恐怖を覚えながら、つま先立ちで、一歩一歩前に進んだ。走り出したい恐怖もあったが、そうすることで何かを怒らせてしまいそうな恐怖のほうがずっと強かったのだ。
そうしてゆっくり、ゆっくり彼女は進んでいき、ついに出口にたどり着いた。
「……これは、……?」
しかし廃墟をでて彼女がみたものは、『崖』だった。
出口の先になにもなく、あるのは深い、深い谷。そしてその深い谷底では、少女が今まで見たことも想像もしたことがないものが飛び回っていた。黒く光る鱗を持つ爬虫類のような姿をした、火を吹きながら飛び回る、魔のもの、――ドラゴンだ。
廃墟は断崖絶壁に建てられていたのだ。それも、ドラゴンが住む谷の上。塔に幽閉されまともな教育を受けていない少女でも、ここが人の住む世界、人間界ではないことは想像がついた。
「ここ……魔界……?」
少女は最早そこから一歩も進むことはできず、その場で座り込んだ。真っ青な空の下、彼女は何よりも孤独だった。
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