第1話 役立たずの生贄

「見ろ……この腕を!」


 トロイア帝国の元皇女であり英雄でもあるヒュリアローゼは、まるで獣のように顔を歪め、恐ろしい声色で叫ぶ。彼女の左腕はみるみる内に黒く変色し、石と化していく。『石化の呪い』が進んでいき、このまま彼女が石像と化すのは時間の問題であることは一目瞭然だった。


「私が石と化す、この様を! しかと見よ!」


 ヒュリアローゼは床に伏していた一人の少女の髪を踏みにじり、それからその小さな顎を蹴り上げる。ようやく顔を上げた少女の金色の瞳からはとめどなく涙が溢れ、見るものの哀れを誘う、実に惨めな様子だった。しかしそんな少女を見下ろすヒュリアローゼの金色の瞳は怒りに染まっている。


「ヒュー……」


 少女の口からヒュリアローゼの愛称がこぼれると、ヒュリアローゼは彼女の頬を蹴った。壁まで飛ばされた少女は、しかし泣きながら顔を上げ「ヒュー、ごめんなさい……」とヒュリアローゼの元に這い、その足にすがる。しかし、ヒュリアローゼはそんな少女を再び蹴り飛ばす。少女の血が床に舞い、その白銀の髪を染めていく。


「お前のような卑しいものが私の名を呼ぶな」


 ヒュリアローゼは少女のもとに大股で歩むと、彼女の腹を踏んだ。少女はヒュリアローゼの足を掴み、ぽろぽろと泣く。しかし、ヒュリアローゼはそんな少女を踏みにじる。


「お前の血肉は誰のものだ」

「ぜんぶ……わたしは、ヒューのもの……」

「私のものだと? 私はお前など要らない! まともな意思もなく、誇りもない、こんな棒切れのような、家畜にも劣る命、私は欲しくない!」

「ヒュー、でも、わたしは……わたしはあなたのためにつくられた……あなたのためのもの……そうじゃなかったなら……今まで何のために……」


 ヒュリアローゼは少女の涙を踏みつけた。


「私が要らないといえば死ぬのか! 苦しみも悲しみも私のせいか! 自分の命の責任すら負えないのか! お前は!」


 少女はヒュリアローゼの問いに、泣きながら頷いた。

 ヒュリアローゼの額に青筋が浮かび、その唇が怒りに震える。少女はそんなヒュリアローゼの足を掴み、ぼろぼろと泣き続ける。 


「なんと醜い生き物だ」


 ヒュリアローゼは舌をうつと、肘より先が石化した左腕を器用につかい、剣を引き抜いた。剣にはめられていた黒き魔石が淡く光る。まだ石化の影響を受けていない右手で剣を回すと、ヒュリアローゼは剣を少女に向けた。


「ヒュー、だめ! わたし、ヒューに、わたしの身体あげるの! 殺さないで、お願い、わたしの身体を使って、お願い、お願い……」

「使え、だと……? 私にこの身体を捨てさせ、お前のような……小さく、脆く、柔いものになれと?」

「それは……でも、こんな身体でも……ヒューは生きられるでしょう……?」


 ヒュリアローゼは剣を構えた。


「私はこの呪いのことを恥じたことは一度もない。これを含めて我が生命だ。だが、……お前の存在は我が生涯、唯一の恥!」


 ヒュリアローゼの叫びにこたえるように黒き魔石の光が強くなっていく。ヒュリアローゼは無慈悲に、泣き叫ぶ少女の身体を一閃した。


「……え」


 しかし、少女の身体は二つに割かれることはなかった。代わりに割かれたのは倒れた少女の下の床、――いや、『空間』だ。割かれた空間、その太刀筋の向こうは真っ暗な闇。

 少女はその闇にトン、と蹴り落とされる。


「二度と、その醜い顔を私に見せるな」

 

 少女が最後に見たものは、自分によく似た人間の、侮蔑に染まってもなお美しい金色の瞳だった。

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