第22話 #22
「じゃあ日菜さん、再びこんばんは」
「日菜さん、改めてようこそ」
「お、お邪魔しまーす……!」
ひとりひとり、色の違うコーヒーカップを合わせると、かちんと可愛い音が鳴った。。ニケさんはそれこそコーヒーのような真っ黒のカップ、優子さんは林檎のように真っ赤なカップで、私は桜の花びらのような薄いピンク色のカップを持ち出してもらった。そのカップに入ったコーヒーをひと口流し込むと、さっき店内で味わっていたコーヒーよりも甘い味のように思えた。
「日菜さん、コーヒー甘いでしょ」
ニケさんがふふと微笑みながら私を見てそう言った。
「う、うん。さっきよりも甘く感じるかなぁ」
ぎくしゃくとした不慣れなタメ口をニケさんに向けて言うと、彼は得意げに笑って「そうでしょ」と言って右手でピースサインを作って私に向けた。
「ちょっとおまじないをかけたからさ」
「おまじない?」
「日菜さんがこの時間を楽しんでくれるようにと、よく眠れますようにっておまじない。伝わったらいいなって思って作った」
「あ、ありがとう。十分楽しんでるよ。私……」
「それなら良かった。ニケさん、続き話す?」
「そうだね。話そうか。あれ、どこまで話したっけ?」
「私のニックネームがロボ子ってところまでだよ」
「まだ序盤の序盤だね」
「日菜さん、話は長くなるけど大丈夫?」
「うん。バッチリ大丈夫だよ」
ニケさんは私を見てそう言ってから、コーヒーをひと口飲んでから準備を整えるように大きく深呼吸をして私の目を見つめた。
「実はこの家はね、元々住んでた人がいたんだ。その家主は僕よりも男勝りな性格の女の人でね、ガサツだし言葉遣いも荒いし。面倒くさがり屋だしすぐに部屋は汚くするし。脱いだ服や靴下はそこら中に転がしているような人だった。そこだけ聞いてるとすごく問題があるような人だと思うでしょ?」
「う、うーん。そうだね、どうしても男の人だと思ってしまいそうかな」
「そうでしょ? おまけに自分のことをオレって呼ぶし。すぐに脇腹くすぐったりしてくるしね。ムカつくこともいっぱいされたんだけどさ。僕らのことを本当の家族のように見てくれた人だったんだ」
「家族……」
私の声を受け止めてくれるようにニケさんが笑顔でゆっくりと頷く。その笑顔に優しさはあったものの、やっぱりどこか儚い表情をしているようにも見えた。
「僕ね、本当の両親がどんな顔をしていたか知らないんだ。これはその人から聞いた話なんだけど、ある日、赤ちゃんだった僕は夜の公園にベビーカーごと捨てられていたんだって。その僕をたまたま通りかかったその人が拾ってくれたみたいでさ。その人はその出会いが運命のように思えたんだってさ。幼い頃の僕とその人の生活はそこから始まったんだ。僕はその頃の記憶は無いけど、物心ついた頃には僕の側にいつもその人がいてくれた」
ニケさんは思い出を振り返るようにゆっくりとした口調で私に当時のことを伝えてくれる。今の話が本当なのは分からないけれど、もしそれが本当の話なら、この人はかなりハードな人生を送ってきている。彼の隣に座る優子さんも何も言わずに彼の言葉を聞いて首をゆっくり縦に動かして頷いている。
「集団生活に馴染めなかった僕は小学3年生の時点で学校に行かなくなった。たくさんの人がいる所では息をすることすらしんどかった。子どもの頃はこんな性格だったから友達なんているわけなかった。でも、不登校だった僕に何も言うことなくその人は僕を受け入れてくれた。人間、人それぞれなんだからどんな生き方をしていてもいい。死ななけりゃな。っていつも笑ってた。気がつくと僕の人生のほとんどがその人と一緒にいてさ、その人の役に立てるならと思って僕は店の手伝いを始めた。幼かった僕が、かちっとしたスーツを着て働いているから、まるで七五三の衣装みたいだと色んな人に可愛がってもらった。時には子どもを働かせるなって師匠が怒られてた時もあった。あ、僕たちはその人たちのことを師匠って呼んでたんだ。変な呼び方でしょ」
無邪気な少年のようにはははと口を開けて笑うニケさんの顔を見ていると、つられて私も口角が上がった。優子さんもその様子を微笑みながら見つめている。
「師匠の元には彼女を慕う人たちが働きにここへ来ていた。優子もそのうちの1人でね。それはそれは毎日賑やかだったよ。バブル期って分かるかな? 何世代か前の時代のギャルみたいな子たちもいた。面倒見はいいけどイケメンを見るとすぐテンションの上がる子もいた。体育会系の部活に所属しているような活発すぎる子もいてね。全員が全員、個性的なスタッフだった。思い出すと懐かしいね、優子」
「そうだね。今はみんな、それぞれの道へ歩いて行っているからなかなか会えないけど。もう10年以上経っちゃってるんだ。時間が過ぎるのはびっくりするぐらい早いね」
「それでね、そのクセの強い子たちがいるなかで一際大人しかったのがこの優子です。ほんとに彼女たちとは180度くらい正反対の静けさを持ち合わせていてね、客と一緒にお酒を飲んでいても顔色ひとつ変えなかったのが彼女です」
「ポーカーフェイスだったんだ、優子さん」
今ではこんなに優しくて魅力的な笑顔を向けてくれる優子さんからは当時の彼女をイメージすることなんてとても出来ない。常に心を温かくさせてくれそうなのに。ポーカーフェイスなんて言葉、優子さんには全く似合わない。
「そうだね、私も他人とは一定の距離を取ろうとしていた人だったから上手く接することが出来なかったの。当時は辛い時期を乗り越えようと必死だったっていうのもあったんだけどね」
「優子さんにも辛い時期あったの?」
「うん。好きだった人に騙されたんだ、結婚直前にね」
「け、結婚直前に? ひ、酷い……」
苦虫を噛み潰したような顔になっている気がする私の顔を見た優子さんは、あははと明るく笑って口元を押さえた。
「やっぱり優しいね、日菜ちゃんは」
「や、優しい……?」
「自分のことのように悲しんでくれてるのは優しい人しか出来ないよ。まぁ随分と昔のことだし、今はニケさんが隣にいてくれてるから辛いことなんて何もないけどね」
こんなに綺麗で優しくて、他人の心を落ち着かせてくれる素敵な人にも辛い過去があるんだ。失礼かもしれないけれど、何の苦労もしていない人生を歩んでいるものだとばかり思っていた私は、自分で自分を叱りたい。
「そんな辛い時期にね、私も師匠に救われて、気がつくとニケさんを好きになっていて、一緒に働いていた子たちと仲良くなれて私も少しずつ変わっていった。少しずつ、人が好きになっていったんだ。ニケさんの成長をこの目で実際に見ていたけれど、自分も知らず知らずのうちに成長していたんだなって時間が経ってから気づいたんだ」
「気づけば人が好きになっていた。それは僕も優子も同じで、いつの間にか自分と他人という見方ではなくて、僕と優子、僕と師匠。ひとりひとりを大切に思うことが出来るようになっていたんだ」
ニケさんは子守唄を歌ってくれているように優しく話し終えてコーヒーに手を伸ばした。音を立てずにそっとカップを手に取って、ゆっくりと口に含むその仕草ひとつを見るだけで彼の優しさが伝わってくるようだった。2人の過去を知った私は、自分の中にあった他人との隔たりであったドアを開けてみようと、この瞬間初めて思った。
「私も……」
「うん?」
口を開いた私の方に2人の視線が向いた。ただ、この2人を見ていても、いつもみたいに体全体に力が入ったりはせずリラックスした状態で話すことが出来そうだった。うん、話そう。ありのままの自分を。初めて人に話してみよう。他人ではなく。私の目の前にいるニケさんと優子さんに。声を出すまでいつまでも待ってくれている2人に応えるように私は再び口を開いた。
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