第23話 #23
「私も人が苦手なんだ。普段は接客業をやっているし、明るい声やさわやかな笑顔で振る舞おうって心がけてる。もちろん、仕事をしていくうえではそれが必要不可欠だろうし正解なんだと思う。でも、いつもね、誰もいない家に帰るとびっくりするぐらい疲れ果てるんだ。毎日。身も心も。クタクタになって何もしたくなくなるんだ」
「……うん」
ニケさんと優子さんはゆっくりと頷いて私の言葉を受け止めてくれている。優子さんの優しい相槌が聞こえると、私はもう言葉を止めることが出来なかった。
「家族には良い子でいようと必死に振る舞っている。職場仲間には頼れるスタッフでいようと振る舞っている。客には接客態度の優れた店員でいようと振る舞っている。期待してくれている人全員に応えるようにしなければいけない。毎日毎日、必死で『いい人』を演じてる。本当の自分はこんなに明るくないのに。こんなにハキハキとしていないのに。こんなに前向きな人間じゃないのに。誰にも本当の自分を見せることは出来ない。たった1人の幼なじみで親友の子にも自分の全てを曝け出すことは出来ないし、最近よく喋るようになった、自分と似たような感覚を持つ人にも同じように本当の自分を隠して話してしまってた」
自分の声なのに、自分が喋っているとは思えないぐらい心の中の声が、決壊したダムのように流れていく。自分でも歯止めが効かないくらい言葉が溢れてくる。今まで誰にも言えなかった言葉だ。けれど、誰かに聞いてほしかった言葉が次々と溢れ出してくる。その言葉たちをニケさんと優子さんはずっと変わらずに受け止めてくれている。その2人を見ていると、私は経験したことのないムズムズとした感情が胸の中に込み上げてきた。それと同時に顔が妙に熱くなってきた。
「本当の自分を曝け出すと、私の周りには誰もいなくなってしまう気がした。だって私は自分のことを、他の誰よりもひねくれていると思っているし、日によって気持ちが浮いたり沈んだりして面倒くさいし、悪口だって絶え間なく言ってしまうと思う。そんな人間が側にいたら誰だって嫌になる。離れていく。そう思うと私は誰にも心を開くことは出来なくなっていた」
「……」
時間が止まっているように思えるほどこの空間は静かで、私の声が部屋に響き渡る。ニケさんと優子さんのゆっくりとした息遣いだけが私の耳に届く。
「私と同じだね、日菜ちゃん」
「え?」
不意に聞こえた優子さんの声が、私を抱きしめてくれたように優しく耳に届いた。私を見つめる彼女の笑顔が私の顔をもっと熱くさせた。私は自分を落ち着かせるようにゆっくり深呼吸をして彼女を見つめた。
「私もね、周りにいる人に迷惑がかからないようにしようと思って生きていた時期があった。幼い頃から両親がいなくてね、一緒に過ごしていたおばあちゃんにも負担をかけないようにって考えていた時期があった。なるべく良い子でいようとも思っていたし、他人から悪口を言われないようにしようと心がけていたの。けどね、そうやって過ごしていると、どうしても人に壁を作ってしまっていたんだ。プライベートな質問をすると不快な気分にさせてしまうかな。踏み込んだことを聞いてしまうと逆に距離を置かれてしまう。そうやって相手に気を遣っていると、いつの間にかビックリするほど他人との距離があったんだ」
自分の過去を遡るようにゆっくりと話している彼女の話を聞いていると、まるで私の過去を話されているのかと思えるほどいくつも共感できるところがあった。私は首を縦に振りながら優子さんの話に耳を傾ける。
「そんな感じで歳を重ねていってね。唯一心を許すことが出来た人には呆気なく騙されて色んなものを奪われた。お金はもちろん、心とか、人を信じる気持ちとか。私は途方に暮れた。おかしくなったのか、絶望することすらなくなった。「どん底」がこういう状況のことを言うんだろうなって思っていると何だか笑えてきてね。どうやったら誰にも迷惑をかけずに命を終えることが出来るだろうって真剣に考えたりしていた。おばあちゃんを悲しませるのも嫌だし迷惑をかけるのももちろん嫌だった。毒を飲んだりするのも苦しそうだし、高い所から飛び降りたりするのも痛みは感じないまま死ぬんだろうけれど、自分には出来ないだろうなと思っていた。さあ困った。これから私はどうしたらいいだろう。誰もいない静かな夜の公園で本気で考えていたんだ」
喋り終えてまたひと口、コーヒーに口をつけて優しい笑顔を私に向ける優子さんは、さらっとすごいことを言っていたけれど、あまりにも自然にそう言ったものだから私は言葉を理解するのに少し時間がかかった。そして胸の奥の方にちくっと痛みがあることに気づいた。
「優子さん、自殺を考えたりしたことあるの?」
「うん。あるよ。見事に師匠に止められちゃったけどね」
「師匠って……。さっきニケさんが言っていた師匠?」
「そうそう。たまたま私のいた公園に酔っ払った師匠が来てね、私の話をちゃんと最初から最後まで聞いてくれたんだ。アルコールが入っていて呂律の回っていない師匠だったけれど、ちゃんと私の目を見て聞いてくれていて、ちゃんと私を抱きしめてくれた。この時に思ったんだよね。あぁ、この人の元で働いて恩を返したいなって。気がつくと私は、その店で師匠とニケさんたちと一緒に働いていた」
「酔っ払いの師匠はひとつ見方を変えれば、ただの変質者だからね」
「あはは。間違いない。職質されてもおかしくないよね」
楽しそうに「師匠」のことを話す2人は、本当にその人のことが好きなんだと伝わってくる。この2人がそこまで話す「師匠」に、私もどんな人なのか徐々に興味が出てきた。
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