第21話 #21


 「どうなさいましたか?」


優子さんのいつまでも優しい声が、焦っている私を落ち着かせるように私の耳に届く。そして、その綺麗すぎるくりっとした瞳が私をじっと見つめている。ニケさんも私を見守るように同じように見つめている。


 「質問をひとつ、今日の最後にしてもいいですか?」

 「質問? もちろん。何でも言って」


フカフカの毛布みたいにニケさんの柔らかい声が私の耳に届く。私は意を決して2人を見つめた。


 「ど、どうしてお2人は、私に対してこんなに優しくしてくれるんですか? ご、ごめんなさい……! すごくおもてなしをしていただいて閉店間際にこんなことを聞いてしまって……」


恐る恐る私が素朴に思ったことを聞いてみると、2人は同じ答えを持ち合わせているように見つめ合っていた。そしてニケさんがゆっくりと頷いて私を見つめた。その穏やかな表情は、まるで私を抱きしめてくれているように感じた。


 「僕ね、昔、人が嫌いだったんだ。自分たちのことしか考えていない人、悪いことをしている人を見て見ぬふりをしている人、誰かを、そして何かを傷つける人、自分にも他人にも嘘をついている人、数え出すとキリがないくらい人の嫌いな部分だけが見えていてね。そんな嫌悪感を抱いている自分のことも嫌いだった」

 「……」


過去を思い出して話してくれているニケさんの声が、少し寂しそうに聞こえてくる。でも、人が嫌いだと言う気持ちは私も理解出来る。


 「優子もさ、僕と似たようなことを考えていた人でね、なるべく人と関わらないように人生を過ごしていたんだって。そんな日にね、当時僕が働いていたバーに優子が働きに来た。最初は怖かったよ、この人。見ての通り、すごく綺麗じゃんか? なのに全然感情が無かったんだ。笑うこともなければ声を張ったり怒ったりすることもない。第一印象はアンドロイドか? って思っちゃったぐらいだからね」

 「ロボ子って呼ばれていましたからね、当時は」

 「あ、あれは僕が自分の中で名付けていただけだよ」

 「安直なネーミングセンスでしょ? 笑ってしまいますよね」


こんなに優しい笑顔を見せる優子さんに、私は当時の優子さんを全く想像することが出来なかった。ニケさんにもそんな暗い感情があったのだって意外すぎる。けれど、それと同時に、この2人の過去をもっと知りたくなった。


 「あ、ニケさん。桜井さんに今日、泊まっていってもらおうよ」

 「うん。僕もちょっとそう思ってた。多分、話長くなるだろうし。てわけで、再びいらっしゃいませ。桜井さん」


笑顔で店の中へ手招きをするニケさん。優子さんも優しい笑顔で私が中に入るのを待っている様子で私を見つめる。


 「い、いやいや……! それはさすがに悪いです! お2人のお店ですし! そもそも営業終わりなのに時間を取らせてしまっているのは私なのに!」

 「何だろう、僕も昔話をしてたらどんどん話したくなって。桜井さんになら聞いてほしいなって思うっていうか。それに、僕口ベタだから話長くなっちゃうんだ。僕たちは桜井さんが今日いてくれたら嬉しいなって思うんだけど。門限とか厳しくなかったらで、もちろんいいんだけど。事情はあるだろうから」

 「も、門限とかはありませんけど……」


ナンパのような口説き文句で宿泊を迫られる私だけれど、この人たちから受け取るその言葉たちは、どうしたって優しさしか見えてこない。ましてや、人のことが基本嫌いで他人には興味のなかった私なのに、どうしたってここで泊まっていきたい気持ちが込み上げている。私の心の中は色んな感情がぐるぐると回っている。


 「桜井さん」

 「は、はい……!」


優子さんが風鈴が風に乗って鳴っている綺麗な声で突然私を呼んだ。


 「私たちも桜井さんの色んなことを知りたいです」


吸い込まれそうになるその瞳を見ていると私の心臓は少しずつ鼓動が早くなっていくのが分かった。


 「わ、私もさっきのニケさんたちの話の続き、聞きたいのは本当です」


気づくと私はそう声に出していて、2人は私を迎え入れてくれるように微笑んだ。


 「それなら是非。再びいらっしゃいませ」

 「ごゆっくりしていってくださいね」

 「あ、ありがとうございます……。じ、じゃあお言葉に甘えて……」


再び店内に入ると一旦外に出たからか、さっきよりも店内が温かく感じた。


 「じゃあコーヒーでも入れますか」

 「そうだね。桜井さんもコーヒーでよろしいですか?」

 「あ、ありがとうございます……。あと、もうひとついいですか?」

 「うん。なんなりと」

 「あ、優子さんに……」

 「はい。何でしょう?」

 「あの、敬語じゃなくていいです。ニケさんみたいにフランクな感じで話していただければ……」


私がそう言うと、優子さんは口元を押さえてふふっと笑った。


 「でしたら、桜井さんもそうしてください。そうしていただいた方がお互い平等かと」

 「え、でも私年下だし……」

 「あと、それなら私、あなたを日菜さんって呼ぶ。いいかな?」


思ってもいなかったことを言われた私は、目線があちこちに行きながらゆっくり首を縦に1回振った。名前呼びは予想外だ。やばい。心臓がやばい。何だろう、この感情。


 「う、うん。お、お願いします……」

 「あ、すぐに敬語に戻った」


クスクスと笑う優子さんの笑顔が、さっきよりもくすぐったく感じて、さっきよりも身近に感じた。


 「あ、ずるい。それなら僕も日菜さんって呼ぶ」

 「うん。ニケさんは絶対そう言うだろうなって思ったよ」

 「僕だけ名字だったら違和感じゃん」

 

頬を膨らませるこのあざとい表情もニケさんの魅力の1つで、優子さんが彼を好きな1つなんだろうなと思いながら私も2人につられるように笑った。

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