第18話 #18


            ✳︎


 「こんにちは」

 「あ、い、いらっしゃいませ……!」


有線放送のバラード曲が、誰かに聞いてほしそうにその綺麗な歌声を静かな店内に響せる。昼過ぎのゆったりした店内に一際大きな体つきの男性が声をかけてきた。佐藤さんが言っていた名前は確か、晴樹さんだっただろうか。今日も相変わらず大きい。縦にも横にも。威圧感があるのは変わらないけれど、以前のようなグイグイと言葉を投げかけてくるような雰囲気ではないような落ち着いた様子だった。


 「お久しぶりです。1ヶ月ぶりくらいですかね?」

 「そ、そうですね。おそらくそれぐらいだと思います」

 「そっか。時間が経つのは早いですね。前回は桜井さんを困らせるようなことを言ってしまってすみませんでした。僕の気持ちを一方的に押し付けるように伝えてしまったなと反省しました」

 「い、いえ……。とんでもないです」


佐藤さんが晴樹さんに何かを伝えたのか、まるで人が変わったように控えめな様子で目線を下の方に下げている。情が湧いたりすることはないけれど、ここまで落ち込んでいるようにされていると流石に良い気はしない。私は話題を変えようと頭を回転させた。


 「あ、あの……!」

 「はい。何ですか?」


何の迷いも無いような真っ直ぐな視線を私に向ける彼に焦らないように平常心を保つように意識する。じっとりと手のひらに汗が滲んだ。


 「お客様ご自身は競技されているんですか?」


私の問いを聞いた彼は、その質問を待っていたと言わんばかりに口角が上がった。そして再び私の方を真っ直ぐな目でじっと見つめている。


 「はい。バレーボールの社会人プロリーグがありまして、そこのトップグループの上位チームに所属しています。ちなみにキャプテンです」

 「そ、その体格ですもんね。それで、私の親友もここで働いているんですけれど、その子がお客様が現役のスポーツ選手なら実際にプレーしている姿を見てみたいって言っていました」

 「うん。なるほど」


丸太のように太い腕を組みながらゆっくりと首を縦に振る晴樹さんが少しずつボディビルダーに見えてきたのは気のせいにしておきたい。日焼けをしたのか、彼の肌が黒くなったのも気のせいにしておきたい。


 「直近で試合の予定はありますか?」

 「直近で言ったら3週間後にありますね。名古屋市の体育館でやる予定です」 

 「分かりました。その試合の情報が決まったら教えていただけませんか?」

 「もちろん。多分、よっぽどの理由がない限りはもう決定だと思うんですけどね。また情報が確定したら桜井さんに伝えますね」

 「わかりました。ありがとうございます」

 「ちなみにその店員さん、今日はいないんですか?」

 「今日はいないんですよ。いたら隣にいさせるつもりだったんですけど」

 「はは、お気遣いありがとうございます。またその店員さんにも会えるのを楽しみにしてますね」

 「は、はい! お待ちしております!」

 「ありがとうございました。また近いうちにお邪魔します。失礼します」

 「あ、ありがとうございました!」


のしのしと大きな歩幅で歩いて店を出て行く後ろ姿は、人間ではない大型動物のような背中に見えた。終始落ち着いた様子で帰っていった晴樹さんを見送ったあとは、ビックリするぐらい時間が過ぎるのが遅かった。客が来なさすぎるのも正直疲れる。来たら来たで鬱陶しいことを言ってきたり、鼻につく態度をしてくる客も少なくないからそっちも疲れるけれど。永遠にも感じた今日の8時間勤務を乗り越えて店を出た。

 少しずつ日が長くなってきているのか、17時を過ぎて店を出てもまだ太陽が沈んでいなかったことに驚きながら上着のポケットからイヤホンを取り出し、私と密接しているこの世界から自分を遮断するように耳にそれをつけた。帰り道にはスローテンポなバラードをゆっくり聴くのに限る。スマホの画面を開き、SNSを見てみると早乙女達月さんが今日も呟いていた。


 『自分の世界を他の誰かに吐露することはとっても勇気のいることだと思う。それは言う方も然り、聞く方も然り』


約2時間くらい前に投稿されていたその呟きには多くのリツイートや「いいね」がつけられている。私はあえてそれらをせずにしばらくその呟きを眺めていた。私は無意識のまま、足をあの場所に動かしていた。

 10分ほど歩き、目的地に着きドアを開けると、ちりんちりんといつもの可愛らしい音が私を迎えてくれるように鈴が鳴る。


 「いらっしゃいませ。あら、桜井さん。少し久しぶりですね」

 「こ、こんばんは。そうですね大体1ヶ月ぶりくらいかな。ちょっと最近、バタバタしててようやく今日ここに来れました。あ、というか名前覚えていただいてありがとうございます……。すごく嬉しいです」

 「ふふ。可愛いお客様はすぐに覚えますよ。お好きな席へどうぞ。お手拭きと水をお持ちしますね」

 「ありがとうございます……」


いつも座っている佐藤さんの作業スペース(勝手に私がそう読んでいる)が寂しそうに空いていたものだから、私はそこを選んでゆっくり腰を下ろした。客も2組しかいないゆったりとした店内は、BGMもゆったりと心の落ち着くスローなテンポでピアノが演奏されている。その音楽を聞いていると、私の体からは今日溜まっていたストレスがみるみる減っていくように思えた。

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