第2話 #2


 「いらっしゃいませ! こちらのシューズは27センチでお間違いありませんか?」


必要以上に大きな声が出たと自分でも思いながら、言葉を全力投球で客に投げかけた。それに対して気怠そうに頷く中年男性。身長は見た感じ大体180センチといったところ。横幅もそれなりにがっちりとしているが、「筋肉」というよりかは「脂肪」という印象の体型。


 「ありがとうございます! 9800円でございます!」


無言で1万円札をトレイに置き、私が動くのを待っているのか男性客はびくともせずにトレイを見つめている。


 「では1万円でお預かりいたします! 当店のポイントカードはお持ちではありませんか?」


視線はそのままトレーを見つめていて、左手の掌を前に差し出して私の言葉を遮る男性は、眉間に皺を寄せながら右手の人差し指をテーブルに置いてトントンと鳴らしている。私の経験上、これはせっかちな人がよくする行動だ。私は気づかないふりをして、ガシャガシャと豪快な音を立てる自動釣り銭機から出てきた200円とレシートをトレーの上に置いた。


 「失礼しました! それでは200円お返しいたします! お確かめくださいませ!」


男性は視線をトレーのままで素早く200円だけを取り、足速に歩いて行った。私に背を向けるその男性に頭を下げた。


 「ありがとうございました! またお越しくださいませ!」


男性が店から出ていくと、隣のレジを担当している私の親友の佳苗(かなえ)

が苦虫を口で潰したような顔で私を見つめていた。


 「日菜って、あの常連にもちゃんと真面目に接客してるんだね」


佳苗の言う、あの常連というのはさっきの男性であり、彼はこの店ではスタッフ全員に嫌われている。もちろん私も嫌いだ。心の中の私は佳苗よりも嫌悪感を抱く顔でさっきの男性を接客していたはずだ。それでも今の私は、誰にでも好かれる当店人気ナンバーワンの女性スタッフを全力で演じている。佳苗も私の太陽の部分しか知らない。


 「私は真面目だけが取り柄だからね! それにさっきのお客さん、帰り際に軽く私に会釈していったから、さっきみたいに接客して良かったなって思ってるよ!」

 「……マジで? さっきのヤツ、日菜に会釈していったの?」

 「どうだろ? 私にはそう見えたけど」


嘘だ。本当のところ、男性客はお金を取ってから何もせずに帰っていった。私の接客が良かったという印象操作をさせたくなって、ついそんなことを言ってしまった。私の質問が耳に届いていないのか? せっかちなやつだな。ポイントカードがあるか無いか聞いただけだろう。それだけの時間を待ちきれずに焦っているのなら、心にゆとりを持つことから始めてみろよ。レシートがいらないのなら、不要レシートを入れる専用のゴミ箱が目の前にあるだろうが。そこに入れていけよ。置きっぱなしにするな。心の中ではこれだけの暴言を私は人に向けて吐いている。吐きまくっている。心の中にいる本当の自分は、この世界に生きている誰よりも性格が悪い自信すら持ち合わせている。もちろん、それを知っているのは私だけだ。親友である佳苗にも言えるはずがないし、誰にも知られてはいけないと思っている。


 「すごいなぁ。私は接客するヤツ全員に嫌悪感抱いてるけどな。何で自分のことしか考えない行動するやつしかいないんだよってな。接客中、口が悪くならないか意識すんのめっちゃ大変だよ」

 「あはは! 佳苗は毒舌だからね。それは昔から知ってるよ」

 「日菜みたいに明るくいようって思ってて頑張ってはいるんだけどね。なかなか難しいよ。何かさ、コツとかないの?」

 「コツ? と言いますと?」

 「こういう心持ちでいたら、心にゆとりが生まれるよーみたいなやつ」

 「そうだなぁ……。明るく接客したら、お客さんも気持ちよくお金が使えて気分良く帰ることが出来るかなぁって考える! とかは?」


自分で言っていて鼻で笑ってしまいそうになる。それこそ、接客業務をするためのオリエンテーションなんかで最初の方に出てきそうなことを言ってみた。私がそんなことを思っている時間なんて5秒もない。働いている時間なんて、早く退勤時間が来ればいいのにということしかほぼほぼ考えていない。


 「いやぁ、マジで日菜は販売員の鑑だと思うよ。私がこの店を紹介したのに、日菜の方が明らかに先輩っぽいから」

 「いやいや! 佳苗がいてくれてるから私もここでやってこれてるんだからそんな風に言わないで。今日だってこうやってシフトが被って嬉しいし、隣にいてくれて心強いし! いつだって私の尊敬する先輩ですよ!」

 「相変わらず私を褒めるのは上手だね」

 「本当のことしか言ってないよ!」


佳苗に対しては本当にそう思っている。どこで働いていてもモチベーションの上がらない私が、唯一続いている職場がこのスポーツショップだ。バスケとバレーボールが好きなのは本当だけれど、人と接するのが苦手な私がここで働く一番の理由は佳苗がここで働いているからだ。彼女の(良い意味で)力を抜いて生きている姿を、私は素直に好きだし憧れていたりする。


 「……社員になるつもりはないの?」


誰にも聞かれないような声量で私に呟き、じっと私をその大きな目で見つめる佳苗。佳苗が急に真面目なトーンに変わる時は寂しい感情が心の中にある時だ。10年以上の付き合いで佳苗の性格は手に取るように分かる。


 「そうだね。今は本業を頑張りたいからね。アルバイトで入れてもらっている今が一番時間を作りやすいんだ。社員も魅力的だとは思うけどね」

 「日菜はいつも社員より社員っぽいから、いつかはそうなるのかなって思う時があるけど、やっぱりメインはそっちだよね」

 「うん! まぁ今もフォロワーは少ないしほぼ自己満足だけどね」

 「それでもいいじゃん。私もやりたいことあるといいんだけどな」

 「まだまだ若いからこれから見つかるって」

 「それ、10歳ぐらい年上の人から言われることじゃない? 私たちずっとタメだとおもってるんだけど」

 「あはは、ほんとだ! 自然に出ちゃった!」


私が唯一、心の中の重いドアを開いて笑い合えるのがこの佳苗だ。彼女がいなくなったら私はどうなってしまうのだろう。メンヘラやヤンデレっていう言葉で最近は表現されるネガティブな性格を、ひょっとしたら自分も、と思う時があるけれど、案外間違っていないと思っている。本当に佳苗がいてくれるおかげで私は何とか生きていくことが出来ている。


 「日菜、今日の夜は予定あり? それこそ本業の日?」

 「ううん! 今日は何もないよ! 今日は本業お休み!」

 「お、いいね。じゃあさ、今日上がってからゴハン行かない? 美味しいラーメン屋見つけたんだ」

 「いいねぇ! ちょうどラーメン食べたいなって一昨日ぐらいから思ってたんだ」

 「ほんとかよ。調子いいなぁ」

 「本当だって! じゃあ今日はもうこの勢いに乗ってぱぱっと終わらせちゃおう!」

 「まだ3時間あるけどね」


私たちはラーメンのことで頭がいっぱいになりながら今日の仕事をこなしていった。仕事モードの私は佳苗みたいに力を抜いて接客をすることが出来ないから、私は一人一人に明るい声と笑顔を見せて乗りきった。隣で接客をする佳苗の声のトーンは、普段私と喋る時よりも低くなっていて接客中に吹き出しそうになって何とか持ち堪えた。

 今日もクレームやイレギュラーな事態が起こることもなく、私と佳苗は同じタイミングでタイムカードを切って店を後にした。いつもお世話になっている佳苗の車の助手席に乗り込むと、私の好きな薔薇の香りのする芳香剤が私の疲れを吹き飛ばしてくれたように思えた。佳苗が車にエンジンをかけ動き出すと、それと同時に8時間分の愚痴を吐き散らすように佳苗の口が動き出した。心の中で佳苗の吐く愚痴に激しく共感しながら私は相槌をタイミングよく打っていく。

 そうしていると10分もしないうちにラーメン屋に着いて、佳苗が車のエンジンを切った。結局、車内では佳苗の愚痴のワンマンライブ状態になっていた。おそらく今からも愚痴は止まらないだろう。食事をする時だけは私も愚痴が吐ける。という自分を演じている。もちろん、佳苗だけがその時の私を知っている。私のストレスも今から発散させてもらおう。大好きなラーメンを食べながら。私の頭の中はラーメンと、今日溜まったストレスの内容で半分こになった。私たちは同じタイミングでお腹が鳴り、同じタイミングで笑い声が溢れ、車内でハイタッチをしてから車を出て店の中へ吸い込まれるように入っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る