5
コンクリベトンの下へうずくまる、うらぶれた地下酒場。会談する上で、向こうが指定して来た場所だ。
壁に剥き出しで張り巡るスチームパイプから蒸気が漏れ出て、天井のシーリングファンが恨みがましく、キィキィと軋んでいる。いかにもアングラという風情。
酒ひとつに大枚はたく豪気な性分とは裏腹に、こういう趣きを粋と感じる感性の持ち主。
雄々しい枝角には、鈍く輝くいぶし銀の角飾り。有蹄類の特徴、太い鼻梁に合わせてブリッジの長い、丸レンズの鼻掛けサングラス。
丈の長いモスグリーンのジャケットを、渋みたっぷりに着こなす雄鹿のザイル。彼こそ俠侍郎らが面会を望んだ、闘技場の花形闘士。その名はそう、ハインという。
「断る」
元帝都兵名義で俠侍郎を闘技場の闘士へ斡旋する、その提案を聞いたハインの第一声がそれだった。
「なに……?」
眉間をしかめる俠侍郎。そのかたわらで、さもありなんとデガードがため息を吐く。
「怖い顔をしなさんな。まずは酒だ。酒場で酒を空けないのは、犯罪だぜ。こんな店構えだが、薄めた酒はひとつもねえ。シャーレの旦那もあぶれねえ品揃えだ。一杯くらいは奢るよ」
ハイン、指を鳴らす代わりに足許で蹄鉄を鳴らす。
勝手知ったる常連の振る舞いに、無愛想なウェイターが応える。こちらは馬のザイル、かちゃり――と蹄鉄が鳴る。有蹄類のザイルは、靴の代わりに蹄鉄を履いているものだ。
「……じゃあ、あんたと同じのを」
「メチル酒で適当なものを頼む」
「そうね、香草系で甘口のリキュールをいただける?」
「……牛乳だ」
無言のまま注文を受けたウェイター、各々の飲み物を注いだグラスを運ぶ。
俠侍郎には、ハインの傾けるグラスと同じく、早摘みの林檎を使ったブランデー『ヨーク』。
デガードには、メチル酒の王道とも言える木酢液蒸留酒の『カリスト』。
アンリは、蜂蜜酒をベースに香草スパイスの風味を加えた『フェアリーテイル』。
凪爪、ひとり牛乳を飲む。
「それで」と俠侍郎、ひと息にブランデーを飲み干して「断るとはどういう了見だ。憎っくき元帝兵が伸されるさまが見れるとなれば、客入りは間違いないぜ」
毛頭その気はなかろうに、調子のよい事をいう。
「そりゃあ御礼満員には違いねえ。ただ、すっかり客層は変わっちまわあな」
闘技場といって、殺気渦巻く殺戮劇を演じていたのも今は昔。今でも血の気が多いのは否定しないが、殺しは御法度。
集う客の多くは血に酔うためでなく、武闘の熱へ狂いに来ている。
「別に聖域を気取るつもりはねえが、シャバの憂さを持ち込まれちゃたまらねえ」
ハイン、四本指の手で空けたグラスを弄ぶ。親指に当たる部位はなく、鹿足の副蹄が発達した示指と小指で器用に物を掴む。
「それにおたくは、闘技場向きじゃないね」
「前に出場させたのは、あんただろ?」
酒瓶運送にあたり、雇う条件として俠侍郎を闘技場へ出場させたのは、他ならぬハインである。腕っ節は知っておきたいという前置きで。
「おたくの腕前は買ってるぜ。でなきゃ、大事な酒を預けたりはしねえ」
ただしと、ハイン。
「おたくらのやり方は、
「どういう意味だ?」
「あすこじゃ勝ちを拾えばいいってもんじゃない。拾い方に美徳が要るんだ。勝ち筋が悪けりゃ、盛り上がりに欠けちまう。負けるよりもタチが悪い」
エンタメなのさと、ハインはグラスをテーブルへ置いた。
「そういう意味じゃ、おたくよりも、そこな嬢ちゃんのほうが見込めるってもんだ」
凪爪、話題に挙げられグラスから口を離す。口許に白い膜を張って。
「わたしが?」
「嬢ちゃん、名前は?」
「凪爪だ」
「凪爪、使えるんだろ」
「……なにをだ」
「そいつだ」と凪爪が腰に帯びた倭刀を指差す「はったりでヤッパを吊るサンピンは多いが、お前は違う。立ち姿からして、そいつがそこに在るのは前提だ」
「当然だ、尾のない猫は走れない」
「なるほろ。いやはや、倭克人を見たことねえわけでもないが、剣士は初めてだ」
「猫侍だ」
「にゃむらい、ねえ。まあ本物ってわけだな」
ハイン、また蹄鉄を鳴らす。店員、何を告げられるまでもなく、『ヨーク』のボトルをテーブルへ置いた。
「いいぜ、凪爪。あんたが立つなら、俺は口利きしたっていい」
ヨークを注いだグラスを持ち上げる、ハイン。
「本物だって?」と俠侍郎、ボトルへ手を伸ばしたものの「二杯目は自腹で頼むぜ」と釘を刺されて、手を引っ込める。
「エンタメって言ったのは、どの口だよ」
「エンタメを舐めた口だな」とハイン、有蹄類特有の四角い瞳孔でジロリ――と睨む。
「メッキだけじゃ看板は光らねえ、俺はいつでもマジだぜ」
その眼光を見極めて、凪爪はうなずいた。
「わかった、お前に預ける」
「そう来なくっちゃ」
ハイン、調子よくグラスを掲げたものの、凪爪は尻尾ではてなを作るばかり。
「こういう時ゃ、乾杯だろ」
「ああ」と凪爪、言われたままグラスを
「……まあいいさ」と置いてかれたハイン、勢いそのままグラスを呷る。
「どんと俺に任せときな」
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