コンクリベトンの下へうずくまる、うらぶれた地下酒場。会談する上で、向こうが指定して来た場所だ。

 壁に剥き出しで張り巡るスチームパイプから蒸気が漏れ出て、天井のシーリングファンが恨みがましく、キィキィと軋んでいる。いかにもアングラという風情。

 酒ひとつに大枚はたく豪気な性分とは裏腹に、こういう趣きを粋と感じる感性の持ち主。

 雄々しい枝角には、鈍く輝くいぶし銀の角飾り。有蹄類の特徴、太い鼻梁に合わせてブリッジの長い、丸レンズの鼻掛けサングラス。

 丈の長いモスグリーンのジャケットを、渋みたっぷりに着こなす雄鹿のザイル。彼こそ俠侍郎らが面会を望んだ、闘技場の花形闘士。その名はそう、ハインという。

「断る」

 元帝都兵名義で俠侍郎を闘技場の闘士へ斡旋する、その提案を聞いたハインの第一声がそれだった。

「なに……?」

 眉間をしかめる俠侍郎。そのかたわらで、さもありなんとデガードがため息を吐く。

「怖い顔をしなさんな。まずは酒だ。酒場で酒を空けないのは、犯罪だぜ。こんな店構えだが、薄めた酒はひとつもねえ。シャーレの旦那もあぶれねえ品揃えだ。一杯くらいは奢るよ」

 ハイン、指を鳴らす代わりに足許で蹄鉄を鳴らす。

 勝手知ったる常連の振る舞いに、無愛想なウェイターが応える。こちらは馬のザイル、かちゃり――と蹄鉄が鳴る。有蹄類のザイルは、靴の代わりに蹄鉄を履いているものだ。

「……じゃあ、あんたと同じのを」

「メチル酒で適当なものを頼む」

「そうね、香草系で甘口のリキュールをいただける?」

「……牛乳だ」

 無言のまま注文を受けたウェイター、各々の飲み物を注いだグラスを運ぶ。

 俠侍郎には、ハインの傾けるグラスと同じく、早摘みの林檎を使ったブランデー『ヨーク』。

 デガードには、メチル酒の王道とも言える木酢液蒸留酒の『カリスト』。

 アンリは、蜂蜜酒をベースに香草スパイスの風味を加えた『フェアリーテイル』。

 凪爪、ひとり牛乳を飲む。

「それで」と俠侍郎、ひと息にブランデーを飲み干して「断るとはどういう了見だ。憎っくき元帝兵が伸されるさまが見れるとなれば、客入りは間違いないぜ」

 毛頭その気はなかろうに、調子のよい事をいう。

「そりゃあ御礼満員には違いねえ。ただ、すっかり客層は変わっちまわあな」

 闘技場といって、殺気渦巻く殺戮劇を演じていたのも今は昔。今でも血の気が多いのは否定しないが、殺しは御法度。

 集う客の多くは血に酔うためでなく、武闘の熱へ狂いに来ている。

「別に聖域を気取るつもりはねえが、シャバの憂さを持ち込まれちゃたまらねえ」

 ハイン、四本指の手で空けたグラスを弄ぶ。親指に当たる部位はなく、鹿足の副蹄が発達した示指と小指で器用に物を掴む。

「それにおたくは、闘技場向きじゃないね」

「前に出場させたのは、あんただろ?」

 酒瓶運送にあたり、雇う条件として俠侍郎を闘技場へ出場させたのは、他ならぬハインである。腕っ節は知っておきたいという前置きで。

「おたくの腕前は買ってるぜ。でなきゃ、大事な酒を預けたりはしねえ」

 ただしと、ハイン。

「おたくらのやり方は、戦術的タクティカルであって決闘者デュエリスト向きじゃない」

「どういう意味だ?」

「あすこじゃ勝ちを拾えばいいってもんじゃない。拾い方に美徳が要るんだ。勝ち筋が悪けりゃ、盛り上がりに欠けちまう。負けるよりもタチが悪い」

 エンタメなのさと、ハインはグラスをテーブルへ置いた。

「そういう意味じゃ、おたくよりも、そこな嬢ちゃんのほうが見込めるってもんだ」

 凪爪、話題に挙げられグラスから口を離す。口許に白い膜を張って。

「わたしが?」

「嬢ちゃん、名前は?」

「凪爪だ」

「凪爪、使えるんだろ」

「……なにをだ」

「そいつだ」と凪爪が腰に帯びた倭刀を指差す「はったりでヤッパを吊るサンピンは多いが、お前は違う。立ち姿からして、そいつがそこに在るのは前提だ」

「当然だ、尾のない猫は走れない」

 猫刀にゃんとう一体、猫侍にゃむらいの奥義へ至る心得だ。

「なるほろ。いやはや、倭克人を見たことねえわけでもないが、剣士は初めてだ」

「猫侍だ」

「にゃむらい、ねえ。まあ本物ってわけだな」

 ハイン、また蹄鉄を鳴らす。店員、何を告げられるまでもなく、『ヨーク』のボトルをテーブルへ置いた。

「いいぜ、凪爪。あんたが立つなら、俺は口利きしたっていい」

 ヨークを注いだグラスを持ち上げる、ハイン。

「本物だって?」と俠侍郎、ボトルへ手を伸ばしたものの「二杯目は自腹で頼むぜ」と釘を刺されて、手を引っ込める。

「エンタメって言ったのは、どの口だよ」

「エンタメを舐めた口だな」とハイン、有蹄類特有の四角い瞳孔でジロリ――と睨む。

「メッキだけじゃ看板は光らねえ、俺はいつでもマジだぜ」

 その眼光を見極めて、凪爪はうなずいた。

「わかった、お前に預ける」

「そう来なくっちゃ」

 ハイン、調子よくグラスを掲げたものの、凪爪は尻尾ではてなを作るばかり。

「こういう時ゃ、乾杯だろ」

「ああ」と凪爪、言われたままグラスをした。倭克の慣習で言えば、乾杯の作法はこれだ。

「……まあいいさ」と置いてかれたハイン、勢いそのままグラスを呷る。

「どんと俺に任せときな」

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