「では、今後の方針を定めるとしよう」

 ノラウェイダの居住区画、リビングテーブルに右手を置くデガード。俠侍郎きょうじろう凪爪なつめ、エルフのアンリを含めても、一等の年かさはデガードだ。自然、取り仕切るのは彼になる。

 俠侍郎達が戻り次第、バルキリーの修理を終えて貨物室へ積み込み、ノラウェイダの燃料も補給した。後はバッドランズを飛び発つだけだが、航路も決めぬまま混沌の海は渡れない。

 各々、思惑の異なる船員達には、共通した羅針盤が必要だ。

「俠侍郎。そもそもお前は、何故乗り気になった」

「密猟者の背景に帝都が絡んでる……かもしれねえ」

 テーブルの上で足を組み、ソファへ深く腰掛ける俠侍郎。その仏頂面に、デガードは得心した。

「ああ、例の虫歯か」

 この男の奥歯がうずくたび、災難へ出くわす。

「虫歯……?」と唯一、事情を知らぬ凪爪が尻尾を曲げて、はてなを作る。

「……帝都とは?」

 他の三者が一様に、顔を見合わせた。倭克わかつは閉じたコーラル、とはいえ帝都ほどの悪名が届いていないとも思えない。

「お前、歳はいくつだ」と俠侍郎。

「十五だ。それがどうした」

 思ったよりも、三つ四つ幼い。帝都解体が十三年前、なるほど知らぬのも無理はないか?

「おい、帝都とはなんなのだ」

「追い追い説明しよう。かつて悪名を馳せた軍事コーラルがあったとだけ、今は理解してくれ」

「悪名……かつて?」

「軍部と政権は、すでに解体されたからな」

「ならば、残党狩りか」

「そんな大仰なもんじゃねえ。虫歯の治療だ」

 俠侍郎、脚を組み替える。

「どういう意味だ」

「まだ歯も生え変わってねえ小娘にはわからねえさ」

「愚弄するな、もう元服は迎えている」

 睨み合う俠侍郎と凪爪。大人気のない相棒に呆れつつ、デガードはアンリへ水を向ける。

「アンリ、君はゼリーフィッシュの密猟者を捕えたい。それで間違いはないな?」

「わたしは」感情の整理が着くのには、まだ時を要する。

「……ええ、野放しにする気はない」

 ただ、その動機へ嘘偽りがないのは確かだ。

「わかった。では、凪爪」

「……わたしの目的も、というわけか」

 凪爪、話の行く先を察して身構える。

「どうやら考えていた以上に、相手は途方もないらしい。各々、思惑と妥協点の擦り合わせは必要だ。君が語ってもよいと思える範囲で構わない、話してくれ」

 請われて、凪爪は肉球を刀の柄尻へ這わせた。葛藤、逡巡。やがて堅く結んだ口を開く。

あだ討ち」

 予想だにしていなかった、というわけでもない。それでもデガードが瞠目を覚えたのは、彼女がはっきりと動機を口にしたからだ。

「一度は命を預けた相手だ、包み隠すつもりはない」

「光栄だな」

「父と母が殺された。そのかたきを討つため、わたしは故郷くにを発った」

「家族のかたきか」

「両親のかたきだ」鯉口を切って、金打を打つ「それを果たすまで、二度と倭克の土を踏むことはできない」

 かたわらで聞くアンリ、神妙な面持ち。

「そのかたきが、あの密猟船にどう関わる」

「わからない。わたしはただ、あの船へ倭克出身の武者が居ると、嗅ぎ付けただけだ。そうしたら、海月くらげが襲われる場面へ出くわした」

「くらげ?」

「倭克では、あの生き物をそう呼ぶ。海の月と」

「素敵ね」とアンリ。

「あなたは」と言い差した凪爪へ「アンリ。そう呼んでもらえたら嬉しいわ、凪爪」

 うん、と凪爪は頷く。

「アンリ、あなたは海月、ゼリーフィッシュを守るために海へ漕ぎ出すのか」

「ええ、そうよ」

「……たしかにゼリーフィッシュは、尊い生き物だという。だが戦士ではないあなたが、どうして彼らのために命を張れるのか。よければ、聞かせてくれ」

 真摯な眼差し、アンリは一度耳をいらって応える。

「父はゼリーフィッシュを尊敬していた。そして、彼らのために死んだ」

 三十年越しの真実、エルフといえども信じ込むには充分長い嘘。なのにバティスタが語った真相は、存外にすんなりと腑に落ちた。

 ――母さんは賢い人だったけど、男を視る眼はまるでなかった。なにしろ、この私と恋をした。

 たしかに優しい父ではあったが、ひとり娘を何よりも優先させるような、よい父親だったわけでもない。ゼリーフィッシュを追って家を一年以上開ける事も、ざらだった。

「お父上の遺志を継いでの旅だと?」

「どうかしら」

 それでも父が好きだった。父が語るゼリーフィッシュの話も。

「彼らの美しい営みが、この海からひとつでも失われるのは我慢ならない。父もそうだった」

 でも――いつからだろうか、父の帰りを待つ間にゼリーフィッシュを夢想するようになったのは。

「一番大事なのは、この旅はわたしが決めた道だっていうこと」

 今は、それさえわかっていればいい。

「……失言だった。あなたは、紛れもなく戦士だ」

「ありがとう」

 握手を交わすふたり。ふにふにと柔らかい肉球の感触が、アンリを襲う。

「……!」

 天にも昇る心地に、一瞬、アンリの理性は総崩れになった。

「……あ、アンリ?」

 両手で掴み掛からん勢いで肉球へ溺れるアンリを、凪爪のか細い声が我に戻させる。

「……あ、ごめんなさい。その、ついね」

「締まらねえなあ……。デガード」

「ああ、話を進めよう。凪爪、くだんの密猟者について根城は割れていると言っていたな」

「うん。奴らが拠点としていると思しきコーラルを探り当てた」

 凪爪が羽織の袖から、記憶素子を取り出す。

「ここに、座標を記録してある」

「……君は倭克を発って、長いのか?」

 帝都すら知らないほど混沌の海の事情へ疎いわりに、情報収集の手際がいい。

「一年だ。武芸だけで身を立てられるほど、今の倭克は戦事ばかりで回っていない。草の根の分けかたも手解きは受けている」

「ふむ。倭克には忍術という諜報術が伝えられていると聞くが」

「熟達しているとは言えないが、一応の心得くらいはあるつもりだ」

「それは心強い」とデガードは記憶素子を受け取って「俠侍郎」へ投げ渡す。彼が手許の携帯端末で情報を読み取る間に、デガードは旅程に障る一番の障害を切り出した。

「さて、当座の問題は資金だな。あいにく、うちは万年資金難でね。燃料と食糧の補給で、収入の半分以上が消し飛んだ。俠侍郎、しばらく女遊びは控えろよ」

「遊びじゃねえ。お前こそ、鉄クズだけで舌を満足させとけよ」

 お決まりの小競り合い、アンリはもう慣れた様子で口を挟む。

「燃料さえあれば、航海はできるでしょ。問題はないはず」

「そうは言うが。凪爪、割り出したのはコーラルまでか? 詳しい位置まで特定が済んでいるわけでもないのだろう?」

「……うん、そうだ。あとは現地へ足を運ぶしかない」

「当てもなく海をさまようのに比べれば楽だが、ひとつのコーラルも充分広い。連中とて大手を振っているわけではあるまい、探すのには労力が要る」

 時間も金もだ。場所によっては、船を留めているだけで使用料をがめられる。

「それに相手は帝都の残党、装備も現状では心許ない。調達にも先立つものが必要だ。アンリ、君も今となっては羽振りがよいわけではないだろう」

 む、と口籠るアンリ。その通り、もはや研究資金を頼れる身の上ではないのだ。身銭を切ってできるのは、精々食い扶持を保つ程度である。

「わたしもだ」と凪爪。バルキリーの修繕費、パーツ代だけで済んだとはいえ旅銀の大半を持って行かれた。バルキリーを積んでいるお陰で、ノラウェイダのペイロードは相当圧迫されている。運び屋稼業も大口の仕事は見込めまい。

 故郷を発ったうら若き武芸者に、ゼリーフィッシュの研究者、万年金欠の運び屋。金を稼ぐのに向いている面子ではない。

「……揃いも揃って、貧しい顔寄せ集めてんじゃねえよ」

 大口を叩いて見栄を切る俠侍郎。組んだ脚を、勢いよく床に打ち付ける。

「なにか妙案でもあるの?」

 アンリ、訝しげに。

「くだらない考えじゃないだろうな」

 凪爪、信用ならないという様子で。

 デガードは、聞くまでもなく承知していた。この男がこんな顔をする時はおおかた、ろくでもない事を口にするのだと。

「凪爪、お前ここがどこだか知らねえな」

 口許に笑みを忍ばせつつ、俠侍郎は携帯端末を操作する。読み取った座標情報を、ノラウェイダのCPUへ転送。テーブル上へ、海図のホログラム映し出す。

「金策なら、ここへ行くに如くはねえ」

 転々とする、コーラル群。座標情報に従い、そのひとつを拡大する。

「眠らない街、常夜城」

 形状は、球系スフィア。コーラルの周囲を渦巻くリングの軌道上を、転がるように周る三つの月。通常、大半のコーラルは太陽と月の両方が巡るものだが、このコーラルは三つの月をリング上に侍らせる。さながら、運否天賦を量る運命の車輪ルーレットのように。

「混沌の海随一の賭博コーラル、博都ばくとギャンブリラ。俺達が目指すのは、ここだ」

 地表で輝くのは、常に絶えない欲望の灯火。

「さあ、舵を切れ」

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